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会社員としての最後の職場

今回は、35年勤務した会社で私が最後に配属された職場と私の仕事をご紹介します。
私が勤務していた会社は、障がい者雇用を促進するため、2012年に障がいのある方が働くセンターを開設しました。

センター長は、人事部長でしたが、センターは、人事がある本社ではなく、別の事業所の中に開設されたため、実質センターの管理運営を私が行っていました。

内示を受けた時は、私の息子に障がいがあるため
「この会社でこのセンターの運営をできるのは私しかいない!!」
くらいの勢いで引き受けたのですが、実際は、息子の世話と障がい者雇用では全く違いかなり戸惑いもありました。

何から手を付けて良いのか分からず、講座に出たり、メンバーの定着支援をしてくださる支援者に相談したり、障がい者雇用を支援するセンターへ出向いたりと動き回りました。

ただ、手探りの中でも、これだけは必ず行おうと思っていたこと
それは、『面談』です。
1年目、毎月全員(10人くらいだったと思います)の面談を必ず行ないました。
体調、仕事のこと、要望など
毎回1時間くらい時間をかけて話しを聴きました。
それは私にとってもとても勉強になり、そのあとにつながっていきます。

センターのメンバーは、
知的障がいのある方は、1名。
他の方は、気分障がいなどの精神保健福祉手帳をお持ちの方、発達障がい、身体障がい、内部障がいの方であったため、比較的仕事の説明に苦労せず、進めることができ、こちらはあまり苦労がなかったですね。

職場は、印刷事業をしている事業所内にあったため、印刷物の後加工(紙折り、封入封緘、ラベル張りなど)や書類の電子化(スキャニング)業務からスタートしました。
センターの仕事が非常にスムーズに進んでしまったため、仕事がなくなるという場面があり、仕事の確保は課題でした。これは、今も同じです。

仕事はスムーズに進んでも1年の間には、いろいろなことがありました。
障がい特性に関わる人間関係のトラブルはいくつも。
そして、障がい特性からかなのか、問題行動によるトラブルも。
その時は、とても大変でしたが、後から考えるといい経験になり、そのあとにつながりました。

2年目を迎える時、法定雇用率が上がる関係で、3月に1名、4月に特別支援学校や能力開発センターから4名新卒採用!

ここからは、仕事の指示がうまく伝わらなかったり、コミュニケーションの取り方が独特で、相手を不快にしてしまったりする人がいたりと結構てんてこ舞の日々が始まりました。
新人5人には、「週に1回面談をする」こと
ことばの指示だけでは難しいため、
「分かりやすい絵や写真を入れた手順書を作る」
作業をスムーズに進めるため、「ツール作る」といろいろ工夫した結果、優良事業所として表彰を受けました。

その後は、講演の依頼も入り、職場の見学を希望する企業様が増え、かなり認知度が上がり、私の役割としては、10年で60%くらい満足することができました。
残る40%は、社内での障がい者雇用の理解と受け入れが残ったことです。
社内の理解が全くないわけではありませんが、どうしても自分の仕事が優先されるため、障がい者雇用まで力を注げない状況のように感じます。
ただこれは、1~2年では実現しないため残る人たちに託して私は退職したわけです。

この話、語ると1時間でも足りないので、ここではこれくらいにしておきます。
詳しいこと、気になることがありましたら、遠慮なくご連絡くださいね。
長い社会人生活で、最後に障がい者雇用の担当になったことは、今の私にも大きく影響しています。
その職場で会社員生活を締めくくれたことはとても幸せです。
障がい者雇用で大事なことでもいろいろ書かせていただきましたが、これからも必要に応じでまた投稿したいと思います。


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