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【知ってた?チャーハンに秘められてたって】

私たち姉妹は40歳を超えているのにファザコンである。かなりキモい。父親が大好きという共通な話題があるので仲が良い。20歳を越えてからは年に数回しか会ったりしないが、どのくらい仲良しなのかというと、私たちの第二子は同じ年の同じ日に産まれている。10年前の同じ時間帯に陣痛に苦しみ、同じ日に新しい命の誕生を喜んだ。産まれた子どもたちの手首には左右対称に大豆ほどの同じ大きさの蒙古斑があった。ある意味#コワイレベルで姉妹仲が良いのだ。

2017年12月、父が前立腺癌で、すでに身体のいたるところに転移していることがわかった。その事を聞いた日私たちは人生で一番悲しいと思った。別々な場所に居ながらこれでもかという程に二人で号泣した。まだ父は死んでいないのに。

ずっと気が弱いと思っていた母は、電話口で淡々と主治医から癌告知を受けた時の父の様子と今後の父との生活についてを話してくれた。一度と泣かずに。気丈な人という言葉が当てはまった瞬間だった。

私たちは母の作るチャーハンがあまり好きではなかった。味がイヤだとかそういうことではなく、ごはんがやわらかくて油が絡まりペチャっとした食感だったし、卵とごはんに一体感がなく何かが物足りないというか、全体的にインパクトがないチャーハンだったからだ。今時の食レポでいうと「このチャーハン優しい味ですね〜」とでも言うのだろう。我が家では食べ物に対して優しいとか使ったことは一度もないから、適切な表現の仕様がない。時々母の気分で入れる蒲鉾入りチャーハンも好きではなかった。蒲鉾の味がやけに主張してくるし、ごはんのやわらかさと蒲鉾のムニャっとした食感のコラボが好きではなかったからだ。

それに比べて小さい頃の休日、たまに父が作ってくれるチャーハンは一味違っていて美味しかった記憶がある。ごはんはパラパラとほぐれ、子どもには辛いくらいにコショウがピリッと効いていて、ネギのシャキシャキ感と大きく切ったハムが絶妙なバランスだった。これぞ男めし!とでも言うのだろう。一番印象的なのは食べ終わった時の皿のキレイさ。最後に油が浮いてしまう母のチャーハンとは断然に違うのだ。

父は特段イケメンではないのに若い時からなぜかモテ男だった。女性の影が見える度におとなしい母がよくヤキモチを妬いていた。下ネタは盛り込まないがオヤジギャグはそこそこ面白い。荷物はサっと持ってくれる力持ちだし、自分が使ったあとの洗面所はササっとまわりを拭いてたりして気配りする優しさがある。服のセンスはイマイチだけど、オリジナルなオシャレにはいつまでも気を抜かない。長年続けている社交ダンスのシャツはエンブレムを付けてオリジナルシャツにしているし、どこで買ったのかわからないが「俺にかまって」とプリントされたTシャツを夏に堂々と着ていた時もある。先日は干してある下着が全部赤いトランクスになっていた。最近のブームは毎日母とウォーキングする時に帽子をかぶることらしい。

母は嬉しそうに父に合わせて同じく帽子を選び、ネイルをして小さなオシャレを楽しんでいる。

そんな両親の事を話していると、ふとある事に気づく。私たちはあの母チャーハンも父チャーハンも十数年食べていないのだ。はたして父が死ぬまでにあのチャーハンを食べる機会はあるのだろうか。そもそもあとどのくらいの回数父に会えるのだろうか。

ああ。ああ。
父に会いたい!
チャーハンが食べたい!

ああ?
ここでひとつ疑問が湧いた。私たちはどっちのチャーハンが食べたいんだろうか?長年食べ続けた母チャーハンなのか、強く脳裏に焼き付いている父チャーハンなのか。結局その場ではチャーハンが食べたい!としか答えが出なかったので、シンプルに父にこういうリクエストをした。

「週末遊びに行くから、お昼はチャーハンをつくって。」

で、出てきたチャーハンはコレ。

母「お父さんが好きなのよ」
父、無言で頬張る。

私たちが大好きな父が好きな、母チャーハン。父にとっては妻チャーハン?もはや名前なんてどーでもいい。昔はブロッコリーなんて入ってなかったけどな。蒲鉾も入ってないし油も浮いてないや。

私たち「懐かしい!」
優しいよりも表現ができない味だ。

あまり好きではなかった母チャーハンも
大好きな父が好きならすべて良しとしよう。
母チャーハンを好きになる!

チャーハン、それは愛なんだ!

#チャーハン大賞
#エッセイ #日記 #写真 #料理 #家族

文・構成・撮影 39pater
刺繍バッチ イガラシナオ
ネイル tomoe