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カリフォルニアで禅に出会った話

正しくは、カリフォルニアで禅の片鱗を体感していたが、そのことに気付いていないまま「一体あの感覚はなんだったんだろう」と、そのよく分からない感覚を追い求めていた。今日はそんな話。

2006年だったと思う。友人の住むアメリカ西海岸の岩場の1つにラバーズリープという場所がある。その岩場にbear’s reach(熊のリーチ)という3ピッチのルートがある。dan osmanがフリーソロしたことで有名なルートだ。(Danはこのルートをフリーソロで駆け上がっているから驚く)

友人の家に滞在中、一度だけそのルートを登ったことがある。「グレードも低いし人間が走って登れるようなルートだ。俺たちにもフリーソロできるだろう」と、軽いノリでルートに取り付いた。人生で初めてのフリーソロ、オンサイトフリーソロだ。友人と2人で時々前後を入れ替わりながら登った。人気ルートなのでロープを使って登るパーティーが何組かいたが、その横をロープ無しでどんどん追い越していく。ロープを使っていない分、登るスピードが早い。とはいえ一度のミスが死に繋がる。普段よりも慎重に登るせいか凄まじい集中力を感じる。

ルートの中間ほどを登っている最中だったと思う、その集中力の針が振り切れた。スポーツカーの回転数がレッドゾーンに突入した時のように。

指先の指紋の間に浮かび上がるミクロな汗の量、クライミングシューズのラバーが花崗岩に吸い付く感覚、呼吸によって取り込まれた空気が毛細血管の中を駆け巡る実感、筋肉が精密なアクチュエーターのように機能して肉体の隅々の感覚が鮮やかだった。その瞬間、私の心から思考が消えた。西海岸の乾燥した風、照りつける太陽、輝く花崗岩、その自然の一部として自分が岩を登っている。それは岩を登っているというより、存在しているという強烈な事実。心が肉体と共に自然と溶け合う。一部になる。私の体は完全にbear’s reachと同化していた。

登り終わってからもその感覚のあまりの気持ちよさにしばらく呆然としてしまった。そこで私は1つの危険な勘違いをした。フリーソロは面白い。

帰国後、5、11台のルートを何本もフリーソロで登った。時にはその場にいたクライマーが見届け人として申し出てくれたこともあった。しかし、私は記録が欲しいわけでも有名になりたいわけでもない。「bear’s reachの感覚をもう一度!!」それが望みだった。しかし多くのルートは私の望みを叶えてくれることはなかった。私はただの危険な男だった。その時、とある先輩に言われたことを今でも覚えている。「30までは生きられないね」その言葉を聞いて私はフリーソロにこだわることを辞めた。

それから何年かたって、南アルプスを縦走した。途中、台風で身動きが取れなくなり、どこだったかもう忘れてしまったが3日間ほど無人の山小屋に1人で閉じ込められた。小屋ごと吹き飛ばされるのではないかと思うような強烈な風に混じって殺気立ったみぞれ混じりの雨が叩きつける。沢に水を取りにいくことも出来ず食糧もどんどん消えていく。ガスの減りも早い。そんな避難生活のある日、窓を少しだけ開けてチタン製のカップで雨水を汲んでいる最中だった。「bear’s reachの感覚」に突如として陥った。私は完全に山と同化した。私を足止めにして食糧の枯渇を促す台風にさえ感謝を覚えたほどだ。そして愚かな私は縦走に没頭した。フリーソロと違い縦走は何日も山に篭る。幸運なことに私は幾度となく「bear’s reachの感覚」と再会していた。こうなってくると徐々にパターンのようなものが見えてくる。

見えてきたパターンは、社会性を持ったルールを排除することだった。クライミングで言えば、グレードやトポに表記されたラインだ。それらを無視する。事前に情報を仕入れない。できればトポも見ない。計画を立てない。直感に従う。そんなところだ。

意外なことと思われるかもしれないが、事前情報が多ければ多いほど失敗は多い。おそらく「あれだけ調べたんだから」という油断もあると思う。自然の中で生き延びるには適者生存が求められる。環境に適合するか否かは、事前の情報とはほとんど関係がない。直感が頼りになることは自然の中では思いのほか多い。だからクライミングの時間の殆どを開拓に費やした私は自分によくあったスタイルを選択していたことになる。

40歳になって学生時代から憧れだったサーフィンを始めた。サーフィンは最初は何もできない。笑えるほどに。それでも海の上にいるだけで充実した。1年ほど続けたある日、波のフェースを走ることが出来た。ボードが波の力を受けてぐんぐん加速する。ただ波に押し出されるのとは違い、波そのものが意志を持って私と関わってくれているような感覚だ。私は海の上でも「bear’s reachの感覚」が生まれたことを心の底から喜んだ。それから当然のようにサーフィンにのめり込んだ。波の良い時はいつでも「bear’s reachの感覚」に出会える。その期待が私の脳内にドーパミンを放出し私を海に向かわせた。それから雪上でもサーフィンのような感覚で楽しめる雪板を仲間と作って遊んだりもした。これもまた「bear’s reachの感覚」を私にもたらした。

そんな生活を続けているうちに、社会に対して自分自身の感性が違和感を感じることが多くなってきた。と同時にそれが具体的な言葉として表現できず常に微量のストレスを抱え始めた。そうして私は社会に対して身勝手な嫌悪感を膨らませた。社会的であること。生産性を維持すること。建前と本音を使い分けること。もう40歳を超えた中年だというのに、そういったことを求められる社会生活に対して「くそくらえ」といった厨二病的世界観を抱いたまま、同世代の安定した生活を見て意味もなく焦りを募らせた。

昨年の離婚を機にたくさんの時間ができた。その時間の中で、以前から興味があった神道について勉強を始めた。神道から始まった学びは、仏教、古事記、日本書紀、人類史、ゲノム、そして禅へと繋がった。私は、私自身がなぜ社会に対してストレスを感じるのか、なぜ「bear’s reachの感覚」を20年近くにわたって追い続けてきたのか、ようやくその理由が理解できた。ただし理解できただけであって、私自身が心身の健全さを維持したまま社会とどう向き合っていくのか、その技術はまだ身についていない。そう思い、半信半疑であったが座禅を始めた。朝と寝る前に15分間。最初の10分は思考が脳内を忙しく駆け回る。しかし徐々に思考が落ち着いていき、やがて思考より感覚が強くなる。そして残りの5分は「bear’s reachの感覚」に近いものを感じることができた。

私は気付いた。2006年、友人と登ったアメリカ西海岸の岩場で、一度のミスが死に直結するクライミングで、私は禅に出会っていた。そしてその感覚は18年かけて禅の世界へと、まるで宇宙から解き放たれた星の光が何光年も経って地上に降り立つように私を導いてくれていたのだ。そう思うと、私に起きた全ての出来事、今こうして生きている事実、その全てが有難いと感謝が湧いてくる。

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人間のストレスの大きな原因は2つ。お金と人です。私が自然との関わりの中で見つけたゆっくりとした生き方のコツ、それから禅の心を掛け合わせ、私独自のストレスを溜めないゆっくりとした生き方の方法を紹介していきます。


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