見出し画像

インタビュー企画、編集部×著者『体育嫌い=運動嫌い、とは限らない』

はじめに

こんにちは。編集部です。
今回は、エッセイを元にして行ったインタビューをお届けします。浅井先生は学生時代、スポーツに興味を持つことは無かったようです。そんな先生が大人になってクライミングと出会います。なぜクライミングには興味を持てたのでしょうか。

今回のインタビューでは、子供から先生に届いた質問にも答えていただきましたので、こちらもお楽しみに。

体育嫌い=運動嫌い、とは限らない。というタイトルはどう言う意味なのでしょうか。色々聞いていくうちに、エッセイだけでは汲み取れなかった部分が見えてきました。

子供たちと、子供に関わる多くの方にオススメしたい記事です。ぜひ親子でも読んでいただけたら嬉しく思います。

インタビュー

編集部 それでは先生、始めていきますね。

浅井 はい、どうぞ。

編集部 学生時代のエピソードが印象的なこちらのエッセイ。先生は本当にどのスポーツも嫌いだったんですね。

浅井 嫌いだった。

編集部 一応運動部に入ってみたものの、やっぱり楽しくなかったですか?

浅井 うん。

編集部 この時代の流行りのスポーツと言えば、某有名バスケ漫画の影響でバスケットボールが大ブレイクしていました。そういった流行りのスポーツへの憧れも全く無かったのでしょうか?

浅井 流行ってたね。その手のスポーツは特に苦手だった。

編集部 どういうことですか?

浅井 バスケは運動ができてすごくモテる男子がやってるわけね。なんかその雰囲気も、その中心にあるバスケ、みたいなことも全部ひっくるめて嫌だった。

編集部 え...そうなんですか。なぜそこまで嫌いに?

浅井 なんでだろう。

編集部 バスケ、やってみたことは?

浅井 体育の授業ではやったね。なんか3 回位ついたらダメみたいなやつだっけ?

編集部 いやいや。3 回ついたらじゃなくて、3 歩歩いたらダメってやつです。

浅井 ああ、そうか。そんなことももう忘れてるね。

編集部 ではバスケのことは一旦置いておきましょう。先生が運動を好きになれなかったのは、苦手だったからでしょうか?

浅井 いや。そうじゃなくて。全然楽しそうじゃないと思ってた。で、やってみてもやっぱり想像してた通り楽しくない。時間の無駄を感じていた。

編集部 時間の無駄?

浅井 中学生の時の俺にとっての有意義な時間の使い方って、笑ってる時間をたくさん増やすことだったから。一日の中でどれだけ笑っていられる時間を増やすかってことを大事にしてた。だからね、そんな俺がバスケットボールの練習の中で笑えるかって想像したら、めちゃくちゃ少ないわけで。

編集部 自分のモットーを中学生にして既に発見していたと。

浅井 極端だったかも。俺の笑う時間を奪うなって。部活をしっかりやるとか、黙って授業を受けるとかいう学校のルールは自分の大事な時間を迫害するものだと思ってた。

編集部 その大事な時間、具体的には何を?

浅井 これ分かるかな...。歴史の教科書に偉人の肖像画ってよくあるでしょ。あれ消しゴムで消すとさぁ、インクが弱くて消えるの。授業中にこっそり顔のところだけを綺麗に消して、 そこに俺が顔を描いて...。その教科書を回すってことをやってて。そしたらそれ見て笑いが堪えきれなくなるやつが何人かいるわけ。それを見て俺も笑う。

編集部 (笑)

浅井 そういうことをずっとやってるような男子だったから、女子が 1 番嫌いなタイプかもしれないね。 バスケはモテるじゃん?実際モテる男子がやってた。でも俺はそこでは笑えないし楽しいとは思わなかったんだよね。

編集部 なるほど、ようやく人物像がちょっと見えてきました。ここまでで分かったことは、浅井少年は自分の大切なものが何なのか中学生にして既に知っていた。運動に良い思い出は無いものの、学校では友達とふざけ合っていっぱい笑って、自分の好きなことをして過ごしていた。ということですね。先生ちなみに休み時間とか何をしていましたか?

浅井 だからね、教科書に落書きをして...

編集部 あ、はい。それは先程伺いました。では、学校の先生方との関係性はどうだったのでしょう。

浅井 部活の先生は否定的に怒る人だった。すごく嫌いだったなぁ。高校の時の担任はね、面白かった。いたずらばっか仕掛けてた。俺らが卒業してから先生は県外に単身赴任になってね、先生の家まで遊びにいったりした。そこでもいたずらしたなぁ。

編集部 どんな?

浅井 先生がお茶を出してくれるって言うから、俺らがやるよって言って急須に紅茶を入れてみたり。

編集部 かわいい生徒じゃないですか。エッセイのエピソードだけだと、その彼の明るさは見えないんです。

浅井 暗い部分をあえて吐き出すために書く時もある。このエッセイではそこまで語ってない。基本的に俺にとって学校のシステム自体は自分たちを矯正するものでしかなかった。自由や尊厳を育てるっていうよりかは、常識や秩序を厳守させる場所だった。それは強制的だったけどその代わり、俺たちが反発する余地は残されていた。そういう時代だったから、俺たちは、学校のことを嫌いって大きな声で言えてたし、その裏ではすごくふざけまくってた。

編集部 時代ですね。先生はこの頃はまだ、自分の可能性に気がついていなかったようですが、誰か浅井少年に運動の伸びしろを感じていていた人はいませんでしたか?

浅井 親はね、可能性があるはずと思ってたみたい。だからスイミングとかに通わされた。泳げって言われれば泳げたし、言われたことはすぐできたし褒めらることも多かった。でもそれで楽しいとは思わない。

編集部 先生の場合は褒めてもダメなんですね。

浅井 他人の評価が自分の喜びに直接繋がっていないかもね。

編集部 揺らがない自分軸をはっきり持っていた少年は、そのまんま大人になり、クライミングと出会います。運動なんか絶対にするものか!からのクライミング。なぜそこでクライミングには興味を持てたのでしょうか。

浅井 クライミングは自分の出したものが100%返ってくるから。その再現性に魅力を感じた。

編集部 クライミングに出会い、すぐに運動が好きと言えるようになったのかと思いきや、実感するまでには時間がかかった。何をもって気付くことができたのでしょうか。

浅井 クライミングを始めてグレードを追って登っていた 2、3 年の間、俺にとってクライミングは体育になった。そうなってしまった時、グレードとは何かっていうことを自分の中に落とし込むまでに割と時間がかかった。だけど、腑に落ちたときにぱっと見えた気がした。自分の身辺を見渡したら、自分がすごくいろんなスポ ーツをやっていることに気付いてね。俺は体を動かすことが大好きだったんだって思えたんだ。 身体動作を体育というジャンルに分けた瞬間につまらなくなる人だってことが分かった。だからすごく気をつけてそうならないように意識していなければいけない。

編集部 先生でも意識していないとブレることがあるんですね。

浅井 歳を重ねて自分のアイデンティティーは仕上がってる。その部分は誰に何を言われようと変わらないと思う。それでもいつの間にか自分でも知らないうちに体育になっちゃうこともある。だからこそ強く意識していないといけない。自分でグレードとかレベルとか追ってるうちに、自分の気持ち以上に、他人に期待されるようになったりする。こんなことができるんだったら、これもやれるんじゃないかってね。

編集部 なるほど。外からの影響は本人の気持ちまで左右してしまいがち。そんな経験から得た大切な考え方を元に、子供たちと接する場所を作ったのが現在のこどもクラブですね。

浅井 いたずら書きをしてるようなクラブを作りたいって言うのを思い出してちょっとやってみよう、形にしてみようと思って。やってみたら精神的に楽になった。「ここじゃなきゃダメ」「ここに来れるようになってよかった」とも言われるようになった。居場所としてこういう場所も必要だったんだなと。色んな所に色んな形のクライミングジムがあるけど多くはレベルを上げることを目的としている。そうじゃないジムもあっていい。

こども質問コーナー

編集部 それではここで、こども質問コーナー。今回の質問はこちらです。

こども質問者さん 僕も学校に大嫌いな先生がいます。でも、だからって学校に行かないとかできません。先生勇気あるなって思います。反抗するって勇気がいると思うんですけど。

編集部 ということなんですが...、先生、いかがですか?

浅井 勇気はね、全く自分の場合は要らなかった。まず自分の話をするとね、反抗だと思ってなかったんだ。自分の1 番大切なものは何か分かっていたから。自分が笑っていられることをやればいいんだって。で、これは俺の場合であって、質問者さんの気持ちになって答えると、一回その先生のことは忘れて、自分が学校で1 番大切なもの、楽しめるものは何なのかをまずは観察してみてほしいと思います。自分のことを自分でね。そこをまずは最初にやってもらいたい。 自分を自分で観察した結果、見方が変わるものって結構あると思う。質問者さんは、自分の観察をしたことがまだないかもしれないから、やってみてほしい。

編集部 できるといいですね。大人もなかなかこれが難しい時ありますからね。でも絶対やる価値はありますね。

浅井 嫌いな人が自分の視界に入るって事はさ、今いるレベルが近いんだよね。その嫌いな人と。何でもいいから自分の好きなものを見つけると、世界の色は明るくなる。そうするとね、もうそういう人は見えなくなるはず。山で言ったら、標高が上がれば上がるほど、下界の景色は見えなくなるでしょう。視座が変わるから。嫌なことがあってもそれが視界から消えるくらいのものを見つけて欲しいと思う。自分で自分の大切なものに気づいていけることを期待したい。

編集部 そのためには、

浅井 そのためにはまず自分の観察をしてみること。もしそれでも嫌いな状態が続いてしまったら、またここに質問を下さい。

編集部 先生ありがとうございました。今回は編集部としても面白い気づきが多くあり、今また作品を読み返してみたら感じるものが変わっているかもしれないと思いました。エッセイでは、「学校とは自分の好きなこととそうでないことを知るための場所」という言葉があり、親である私にはこの言葉が響いています。社会の仕組みに違和感を感じている様な、ある意味自然な感性を持っている子ほど、この意味を理解できるのではないでしょうか。

編集後記

今回のインタビューはここまで。
読者の皆さん、いつもありがとうございます。
コメントやメッセージに皆さまの質問やご意見をお寄せください。子供達の素朴な疑問もお待ちしております。

よろしければサポートお願いします。いただいたサポートはクライミングセンター運営費に使わせていただきます。