見出し画像

インタビュー企画、編集部×著者『我々はなぜ書くのか』

はじめに


こんにちは。お山出版編集部です。 今回はインタビュー企画をお届けします。いつもお山出版を読んでくださっている皆さん、そして、お山出版初めて読んでみるよーという方にも入り口として、気軽に読んでいただければ幸いです。第一回目は「著者」としての浅井先生に迫ります。

その前に

お山出版の著者、浅井和英についておさらいしておきましょう。お山出版では、小説、ショートショート、 エッセイ、紀行を。クライミング関連ではハウツー記事の執筆を行なっています。「えっ?クライマーな の?」と思った方はこちらをご覧ください。

2023 年 9月末には東京国際フォーラムグロー バルフェスタへの出展も行いました。カンボジアの記事はこちら。

とにかく一つの型にはまらない浅井先生の活動内容は多岐に渡ります。

だからこそ今、聞いてみよう

浅井先生の持つ、いくつもの肩書きの一つが『書き手』であるということはなんとなくお分かり頂けたでしょうか。お山出版には、彼が活動の中で感じたことや伝えたいこと、彼独自の考えが集まってきます。 ところが、彼の書き手としてのプロフィールはほとんど知ることができません。

note の中ではまだ、その部分に触れている記事が無いのです。インタビューを通してその原点に遡り、浅井先生にとって文章を書くことと はなんなのか、皆さんと一緒に探っていきたいと思います。

浅井和英 1979年長野県小諸市生まれ。2004年クライミングに出会い、開拓記録を雑誌に投稿し始めた事から文章との関わりを持ち始める。2021年ショートショート作品を納めた書籍『自然の萌芽』を出版。 note ではクライミングハウツー、お山出版では紀行、エッセイ、ショートショート、短編小説を執筆。その他の活動として、佐久平ロッククライミングセンター代表 、こどもクライミングクラブ、アドベンチャークラ ブ、クライミング講師、道楽登攀代表、カンボジアNPO法人アンコールクライマーズネット代表理事、ビジネスサポートコミュニティ『cafe萌芽』オーナー。今季、NPO活動から発展し始動したプロジェクト『CANBOROCK HOLDS JAPAN 』も着実に動き出すなど、フィールドはどんどん拡がっていきます。

インタビュー

編集部 それでは先生、よろしくお願いします^ ^

浅井 はい^ ^

編集部 まずは先生の描く物語についてお聞きします。物語を書くとき、そのもととなる発想はどこから生まれてくるのでしょうか?

浅井 これはね、日々生きてる中で、気がついたことがあるとするでしょう。例えば、山に登る時に、その日の体調によって休憩の数とか歩くスピードとかって変わってくるよね。

編集部 はい、確かにそうですね。

浅井 同じ毎日だと思ってもそういう小さな変化がある。そういう小さな変化と、自分の人生の中にあるもっと大きなテーマが重なる時がある。

編集部 なるほど。

浅井 それをただ、こんな風に登ったんだって書いてしまったら人生のテーマとは繋がらない。それはただの記録。だから物語りにして主人公とか登場人物に演じさせちゃう。そうやってゼロから作られた物語の方が読んでる人に伝わりやすいんだよね。

編集部 だから物語を書いているんですね。

浅井 不思議なことに登山に行ったっていうノンフィクションにすると意外と伝わらない。

編集部 そうやって、日々生きている中での小さな気づきから発想が生まれて、頭の中に物語として湧いてくる感覚っていつ頃からあるんですか。子供の頃から頭の中でおはなし作ってたかも...みたいなことってあ りますか?

浅井 あー、それね。うちの母親は絵本をすごく読んでくれて。読書から得るものは大きいって思うね。絵本ってなんかすごく残る時とかあるじゃん?もう何日も残っちゃたり、たまにトラウマになっちゃったり。あれって頭の中に残っている間にもうなんか元の物語からずれて、自分の物語に変換されてるみたいなところがある。

編集部 本の世界と現実の世界をいつの間にか結びつけていたり?

浅井 そうだねー。結局、並行している世界を行き来してるんだろうね。現実とイメージの境目を自分で行き来してて。だから、表現の方法を探す事は結構文章だけに限らず色々やってきて、絵を描いたり、音楽とか、色々やる中で、文章っていうのは一番いい。

編集部 一番いいんですね。しかも文章とは長く付き合ってきた。なぜでしょうか?

浅井 音楽も長いけど、結局、文章表現がいちばん高い再現性を持ってて。残ったのは文章。

編集部 再現性かぁ。 先生の物語って、そこに書かれていることっていうのは先生の実体験が含まれていることが結構多いですか?

浅井 ほぼほぼ実体験。あと、自分の性格もあると思うんだけど、メンヘラの女子が主人公なことが多いかなー。

編集部 メンヘラ...(笑)

浅井 何かちょっとメンタルが不安定な

編集部 はいはい

浅井 中年以下の女子が人生をもがいてる...みたいな。そんな設定が多い。

編集部 ああ、なるほど (笑) あれ?女子ですか?あんまりお山出版ではお見かけしませんが...。

浅井 ショートショートはね。短編は女性が多いし熱量も変わるから。たまに男性も出てくるけどすごく少ないよ。

編集部 そうなんですね。

浅井 ショートショートの作り方は見つけた言葉をとっておいて、後から組み合わせるから主人公が女性ばかりとは限らない。短編は作り方が全然違う。人生の気づきと結びつくようなものを表現したくなった時に、生身の自分じゃなくてそういう別の主人公に責任を背負ってもらって全部代弁してもらう。自分の中の表現したいことを主人公が物語の中で不幸な目に合ったりしながら代弁者になってくれる感じ。

編集部 みんなそれぞれ作られ方も違いますが、ドキュメンタリーより物語で表現する方が読み手により伝わりやすいということなんですね。まだ難しいけどちょっと分かってきた気がします。

浅井 クライミングも表現の一つ。文章は頭を使う表現。クライミングで好きなのは、開拓で人が行ってないようなところとか、情報がないようなところを探検すること。その行動の中で失敗することもあるし、雨が降っちゃって死にそうな思いをすることもある。そういう何があるか分からなくて色んなことが起こる現実のストーリーの中で、割と自分の表現ができるんだよね。

編集部 体験からストーリーが生まれ、それをよりリアルに伝えるために物語として表現する。

浅井 そう。逆にトポっていうのは、クライミングのルートマップであって、それは記録。表現じゃないね。ドリルやってるような感じ。

編集部 こなしてるだけのこと?

浅井 そうそう、それはだから自分の登りじゃない。そういうクライミングは今はもうやってない。もう何年も。クライミング歴20年位になるけど、グレードを追って登っていたのは最初の 2~3 年だったと思う。

編集部 そうなんですね。自分のクライミングをするようになって、それは表現の一つになった。そして区別はあるけど繋がっている部分もあり、全く別のものではないのですね。

浅井 クライミングも表現の1 つであり、文章も頭の中の表現だから。あんまり、別れているわけではないのかもね。

編集部 そういえば、クライミング関連の、記録ではなく文章としての記事を書くようになったのはいつ頃どのようにだったんですか?

浅井 記事として書いたのは、白山書房が出版していた『山の本』て言う山岳文学の雑誌があるんだけど、そこにね、ヒルに追われて、とにかくどこもかしこもヒルだらけで、

編集部  、、、はい?

浅井 ヒルから逃げるように登って、逃げるように降りるって言う

編集部 はい。登山の?

浅井 そう。その登山の記事を出版社が使ってくれて。あの辺からじゃないかなー。

編集部 表現として書いた文章を、出版社が気に入ってくれた訳ですね。

浅井 それから文章としての記事も寄稿するようになった。記録はその何年も前から書いていたけど、開拓の記録って、山に登ったとか、開拓をしたとかの行為をまとめただけのもの。それだとちょっとドリルっぽいんだよね。そういった記録が雑誌に載っても、あんまり嬉しくない。もちろん文章としての記事に比べたら、ということだけど。

編集部 なぜですか?

浅井 ただのまとめを見てるだけだから。

編集部 だから体験したことを記録として残すだけでなく、物語のような世界観で表現することにこだわったのですね。

浅井 記録の記事の場合もみんなに読んでもらいたいと思って書いているし、雑誌に寄稿してそのまま載ることもあった。でもそれも、紹介したいなぁって思いが強くなった時は出すけど「そうでもないな」みたいな、冒険の質がそこまで高くなかったなぁと思うような時は出さない。

編集部 読んでもらいたい気持ちは一緒だけど、先生にとっては表現として書いた文章の方が、再現性を求める自分の感覚と合っていたのかもしれませんね。そうして文章と関わっていきたいと思うようになったきっかけは何だったのでしょうか。

浅井 やっぱり白山書房に載ってからだと思う。自分の文章が本になってお店に並んで、それ読んだ時、今までと違った感覚があった。それまでは自分の記録が載った雑誌を見ても、感動はあんまりなかった。だから、本屋さんで白山書房に載った自分の文章を読んだ時のあの感覚が、今思えばきっかけと言えることかな。

編集部 なるほど。順番的にはそれ以前に、記録を書いていた時期があったということでしょうか。

浅井 そうだね、順番でいくと、開拓をした記録を自分で書き溜めてた。それがまず先にあって、そのあとちょっと物語っぽくヒルに追われる話書いて、みたいな。そうそう今思い出したけど、その辺で自分の可能性に気づき始め、そこでその当時の先輩に、メッセージ性のあるものがどれだけ書けるもんか書いてみろって言われたんだ。

編集部 文章書くなんて、簡単じゃないんだぞ。みたいなことでしょうか。

浅井 そう。でもその先輩がそう言ったのはね、俺はありがたかった。実際書いてみたら、自分でもわかる位ひどい話だった。

編集部 先生でもそんな時があったんですね。書きたいだけじゃダメなんだって私も良く考えさせられます。物語を書きたいと思ってる人がいて、その人にある程度書く力とセンスがあったとしても、いきなり書けるようにはならない。先生の場合はどんな段階を踏んで今に至るのか、その辺りを詳しくお願いします。

浅井 段階的に区切ると、記録を書くためにまずやることは、調べること。記録を書く時はとにかく沢山取材する。自分が登ったとはいえ、ほんとにあの場所だっけ?とか確かめたり、何回も行ってる場所だったとしても、もう一度調べて裏をとる。それがまず先。そして、その次の段階が情景描写。晴れてるのか雨が降ってるのか。どういう人に出会って、その日の体調はどうなのか。情景描写をしていくと、それはもうほとんど物語のはじまりの部分になる。

編集部 確かに。イメージが頭に浮かんできます。

浅井 この、取材するって言うところが鍛えられた上で、自分の物語を作るステップに進む。

編集部 なるほど。

浅井 そしてその次の段階で、俺の場合は先輩から、物語の一つでも書いてみろっていうテ ストね。

編集部 そこから更に自分で表現力を育てていったんですね。

浅井 育てるって言っても、人生を切り開いていくって言うような感覚じゃないよ。それってどっちかって言うとなんか、一生懸命努力して坂を登ってく人みたい。俺のは、坂の上にポンって置かれた石が、何にも逆らうことなく転がって行ったらたまたま何処かにたどり着くみたいなイメージだと思う。

編集部 転がり始めたらあとは重力で?

浅井 俺の感覚はそう。だから上に登って行くような、重力に逆らう感じは嫌になっちゃう。文章は、なんとなく一つ書いたら次のテーマが出てきてまた次のテーマが出てきて、また次っていう感じで、登っていくというより、転がって転がって降りてく感覚なんだよね。

編集部 では先生、色々な文章を書いていてどういう時が一番楽しいですか?

浅井 記録はまあ、やったら書くものだから別として、楽しいのはね、物語を想像してる段階。頭の中で、どんな設定で、どんな人物がいて、主人公はこうで、とか想像してる時は一番楽しくて、これが書き始めるとわりとね、楽しくはないかな。むしろ一度作ったイメージをぶれることなく最後まで振り切れるかっていうことがあるから。

編集部 書いている最中よりも、書き始める前が一番ワクワクするんですね。

浅井 小説の設定段階は素材を集めている感じ。だから楽しい。料理も同じかも。スーパーで食材選んでる時が一番楽しい。しかもそれが旅先だったら、そこにしかない食材を集められる。あとは、最終的に自分の思いが表現できて、これで納得がいくって思えた瞬間も楽しい。でもだからって、それまでの間は苦労なのかって言われると、決してそうじゃない。ただ、ひとつの大きなエネルギーがいるとは思う。

編集部 ハウツーの執筆についても伺いたいと思います。note で書いているクライミングハウツー。世の中にはクライミングの魅力や技術を伝える本が色々と出版されていますよね。 先生の書くクライミングハウツーは、専門性が高いと言われていますが、その理由は何だと思われますか?

浅井 技術の裏付けを全部説明すること。技術を裏付けるには、なぜ八の字結びが選択されたのか、その背景にはどういった歴史があるのかまで説明する。なぜなら、その歴史を知ると八の字結びをいつ使ったらいいのかって言う幅が拡がるから。木に結んでも良いんだなとか考えられるようになるし、なんかそういう風に読者の発想の余地を増やしたいって思いがある。だから技術の一つ一つにそれぞれの背景とか歴史があることを伝えるようにしてる。

編集部 確かに先生の記事を読むとそのように書かれていますね。一つの技術に対して、歴史もそうだし、そこに内包する問題点とか思考方法とかも全て合わさっています。

浅井 結論に安心感を求める人には俺のハウツーは向いてないけどね。

編集部 早く正解を知りたい人とかですね。違いは分かりました。相手に選択の余地を増やしたいと思う、そしてそれには説明ができるだけの生きた情報と技術の経験値がいる。その両方を合わせ持っているのが先生のハウツーなのですね。では最後の質問です。先生は今、ハウツーも小説もエッセイも、並行して同時期に執筆されていますが、一般的にはそれって色々と難しさがあると思います。誰に向けて書くのかと言う点でも違うし、文章の種類として捉えてもハウツーと物語では、使う頭が違う気がします。つまりこれ、切り替えがうまくできなければやれないと思うんですよね。先生は頭の使い方を分けて書いている感覚というのはありますか?

浅井 それは、それぞれの運動に使う筋肉が違う。みたいなことと同じ感覚かな。ハウツーを書くときの頭の使い方と物語を書く時の頭の使い方は全然違うから。

編集部 運動やトレーニングとして考えたら、確かにそうですね。

浅井 うん。そういう感じに近いと思うな。ずーっとハウツー書いてたら物語書きたくなるし、その逆もあって、だからそこは何かバランスをとりつつ...。あとやっぱ書かないと表現力が落ちるから、それは落としたくない。パッと自分の中に表現したいことが見つかった時に表現できないままになる。いつも一定の筋トレをしておきたいねって言う意味では、違う筋肉を維持するために色々書いて鍛えている感じかな。

編集部 いざ表現したい時のために書き続ける。そういう姿勢がいいですね。運動や能力を鍛える事とも共通しているというのは興味深いです。

今回の、書き手としての浅井先生へのインタビューはここまで。読者の皆さん、最後までお付き合いいただきありがとうございます。

次回は浅井先生のエッセイを元にインタビューを行います。それでは次回またお会いしましょう。

お山出版編集部

よろしければサポートお願いします。いただいたサポートはクライミングセンター運営費に使わせていただきます。