見出し画像

「しょうがねえ」「やるしかねえ」が子供に与える影響(紀行)

子供とキャンプ

昨年から暇をみては息子を連れてキャンプに行ったり、クライミングをしたり、カヤックに乗ったりとアウトドアを楽しんでいる。

つい先日は、息子と2人で新潟県の海と長野県の山で遊ぶ2泊3日のロードトリップに出かけてきた。今回はそのことについて書きたい。

画像1


車の故障

自宅から100キロ弱走って、目的の海岸にたどり着いた。しかし車のエンジンを一度切ったら今度はエンジンが掛からなくなった。

何度かエンジンをかけようとトライしてみたが状況は変わらず、JAFを呼んでエンジンルームを見てもらうと発電機が壊れているとのことだった。

画像2

この状態で走行すると走行中に車が止まってしまうこともある、ということで走行中のリスクが非常に高いことを知り、地元まで100キロ以上あるが、悩むことなくレッカーすることに決めた。

JAFスタッフの方はなんとか早く我々のためにレッカー車を手配してくれようと頑張ってくれたが、私たちはその日にレッカーすることは断って海岸に一泊して明日の朝レッカーすることにした。

海で遊ぶ

移動ばかりで退屈だった息子は遊びたい気持ちでいっぱいなので、私が使うつもりだったショートボードを出して、波打ち際で日が暮れるまで遊んだ。

画像3

息子はロングボードやミッドレングスのソフトボードに乗って遊んだことはあっても、ショートボードに乗ったことはなく、今までのボードと比べてバランスが悪いのが怖いらしく、体を硬らせた。

そうして最初こそ怖がっていたものの、座って乗ってみて、慣れたら寝そべって乗ってみて、そんなふうに工夫をしながら、この日パドリングして前進できるようにまでなった。

画像4

翌日、レッカー車が予定の時刻にやってきて2時間かけて私たちを地元のお世話になっているメカニックがいる整備工場まで運んだ。

偶然空いている代車があったので、それを借りて家まで戻り一休みすると、息子が「これじゃあ物足りない」と言う。

山で遊ぶ

どこに行きたいと聞くと、山に行きたいと息子が言うので、諏訪方面の山に行くことに決めて、小さな車に荷物を満載にして出かけた。

画像6

その日到着したキャンプサイトには誰も人が居ず、広々とした草原を息子と2人で貸し切った。

私はこうした旅に出るとき決めていることがある。「決めている」と書くと、うざったい感じにも聞こえるが、これは海外をあちこち放浪するように旅をしていた時からなんとなく自分の中でそうなった、感覚のようなものに近い。

画像6

それは12時間以上先の未来を決めない。つまり基本的に計画は立てないということだ。息子にそのルールを話したことはない。息子は感覚で親父との旅はそういうものだと知っているのだろう。

「こんなに楽しいんなら帰りたくないなぁ」とハンモックに揺られながら笑う息子を見て、日常のルールから解放されて放埒の自由を楽しんでいるのが分かる。

画像7

無計画

計画を立てないことは旅の上で、特に途上国や異文化の国では重要だ。電車やバスは計画通りに来ないことの方が多い。

計画を立てると、私たちはその通りに行動することを望む。故に計画通りに物事が進まないとそこにストレスを感じるのだ。順調に計画通りに進んでいるとしても、計画を遂行することに精神的なエネルギーを奪われてしまう。

ストレスは、物事を冷静に見つめ、問題の核を摘み出し、状況を好転させるために必要な判断力を奪う。

憤り、怒り、後悔、ストレスが創り出す感情はそんなところだろう。

私たちの旅には計画がない。予定もない。だから車が壊れたことは、物体はいつか壊れるというエントロピーの法則をただ垣間見たに過ぎない。状況を好転させるにはプロを呼び判断を仰ぐことだ。それを行っただけで、悲観も何もない。

もちろんこれが途上国などロードサービスの質が低い環境であれば、事前の準備やバックアップの確保をするが、日本ではプロを呼ぶと途上国では考えられない速さで問題が解決する。

動かない車から遊び道具を持ち出して、新潟県の海では私たちは好きなことをして楽しんだ。

画像8

翌日は整備工場で小さな代車を貸してもらったが、積めるだけの遊び道具を積み込んで、自宅の庭先で息子と私はその日の行き先を決めた。

受け入れて行動する

生きていれば必ず何かがおきる。面倒なことも、嫌なことも、良いことも、とにかく生まれて死ぬまでに起きる出来事は数え切れないだろう。

その時「しょうがねえや」と受け入れて「やるしかねえ」と今出来るベストを探し出し行動することができれば、きっと豊かな人生を歩むことができるだろう。少なくとも、自ら命を落とすような選択はしないと信じている。

画像11

それっぽいアウトドアや、それっぽい旅でなない、本気の旅と本気のアウトドアには思いもよらないトラブルが起きる。誰もいない山の中で、荒れた海の上で「辛い」「悲しい」「もう帰りたい」と思っても状況は良くならない。

冷たい雨の山の中で歩みを止めれば明日には死ぬ。潮流の早い荒れた海で漕ぐ手を止めれば数時間後には海の底だ。そんなことは誰でもわかる。この「そんなことは誰でもわかる」状況が、人を生物として成長させる。

私たち親が「こぼさず食べなさい」といっても言う事を聞く子はあまりいない。鹿の糞や、何者か判断がつきにくい動物の糞が落ちている環境で、食料をその辺りにこぼしながら食べることは、即ち就寝時のリスクを上げるのだ。私は息子に一言静かに言うだけで済む。「俺たちの食べ物の残りを狙って夜何かが来るかもしれないから、食べる時には注意だ」

息子はマットの上でうまそうに夕食を食べる。米粒ひとつこぼす事なく。

画像10


よろしければサポートお願いします。いただいたサポートはクライミングセンター運営費に使わせていただきます。