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なぜ僕は野球が嫌いになったのか

 タイトルで誤解されないように伝えておくと、基本的には好きです笑。じゃなきゃ今の仕事していませんし。
 ただ、色々とあり嫌いになった時期が何度かあった、という感じです。

 そして、当時を少し批判する表現があるかもしれませんが、それは「今」振り返ったからであり「当時」はそれが正しいと僕も思っていたので、全否定するつもりもないです。

 ただ、コロナ禍や、今僕が携わるコーチングやキャリアの視点で振り返った時に、今ならその状況を変えられるかもしれない、という節がありました。

選択肢の不足による「仕事感」

 僕は高校も大学も野球で進学しました。野球をやりたいからそうした、そこに間違いありません。そして、進学先に対し一定の期待を抱いてもらえる程度の実力もあったようでした。
 一方で「それしかなかった」という感覚があったのも事実です。

 そういう感覚なので、当時は「文武両道」の意味がさっぱり分からなかった。自分には野球しかないのだから、野球さえ上手くなれば良いと。

 高校では朝練で家を5時半に出て、帰宅は22時を過ぎる。文字通り野球しか知らない。この辺りから少しづつ野球が楽しくなくなってきました。楽しいからやる、というより、これしかないから、これをやらなければならない、という感覚が大きくなりました仕事で結果を出さないといけない感じに近かったです。

「楽しくなければ辞めても良い」「楽しいことを探す」「違う世界がある」「違う世界を見ることで、やはり僕が野球が好きなんだと再認識する
 物事に真摯に打ち込み貫くことの価値はしっかり認識しつつも、このようなアンテナを張ることができていたら、あるいは野球をもっと愛せていたかもしれません。

練習メニューの偏りによる怪我

 現役中はとにかく怪我が多かった。ピッチャーだったので肩や肘も何度か痛めましたが、特に多かったのがオーバーワークによる腰と下半身

 高校時代はコンクリートを走り過ぎて、両足の脛(すね)がシンスプリントに。それでも止めずに走り続け、結局疲労骨折していました。(とどめは、交通事故で完全に骨折しました笑)

 大学時代では「グローインペイン症候群」と「恥骨結合炎」の併発という謎の事態に。脚の付け根が慢性的に痛く、サッカーのように足を振り上げたり、陸上競技のように走る動作を繰り返す競技で多いとのことですが、野球では聞いたことがないとのこと。陸上部よりも長時間、トラックにいたのを思い出します。

 ランニングの量が明らかにおかしい。短距離と長距離のバランスが悪く、これだけ走っているのに、ピッチャーに必要な筋肉がそこまでついていないとも言われました。病院では陸上部の中距離選手に間違われました。(これ地味にかなりショックでした)

 これは本当に辛かったです。寝返りも打てないほど痛く、それをなかなか共感してもらえなかった。部位が部位なのでネタにされることも多かった。。。(これはコミュニケーションの一環としてあまり気にしていなかったです笑)

 とどめは腰痛。少しだけ結果が出てきた大学3年の時、もう下半身はボロボロで、時間の問題だったと。腰椎分離症と診断され、選手としては終了

 最近はS&C(ストレングス&コンディショニング)コーチと会うことも多く情報が入ってきますが、それをもとに考えると、この事例は明らかにおかしい。
 体を鍛えるにしろ技術を高めるにしろ、体力の限界があります。そしてそのキャパは人によって違う。この配分には、プロの視点が必要だった。

イップス

 上記のように怪我が多い中で、身長はどんどん伸びました。それもあり体を上手く使えなくなった記憶があります。
 最初に異変を感じたのは、交通事故から復帰した高2の冬。バント処理の練習をしていた時、1塁への送球がとんでもないところに。その後、5メートルくらい先のネットに、ボールが入らなくなった。間違いない、イップスだ
 この時の心境は、今でも夢に出てくる。悪夢でした。ピッチャーなのに、ストライクゾーンの出し入れどころか、キャッチャーが取れる位置になかなか投げれない。もう終わりじゃん。結局、大学の最後までイップスとは付き合うことになる

 イップスについては諸説ありますが、プロ野球選手でもイップスの人がおり、決定的な治療法は見えておらず(というより人によってアプローチが違い過ぎる)、イップスのせいで戦力外通告を受けた選手も実際に多くいます

 その中で僕が注目しているのは「技術不足」という視点。メンタルを指摘されることが多いですが、そもそもここでいうメンタルとは何か、という根本がはっきりしていません。怖い先輩に対して臆せず投げる力なのか。余計なことを気にしない力なのか。そこを指摘されても、特に当時の僕は何もできなかった。本当に悔しかった。
「余計なことは気にせず投げろ!」いや、無理だって。それができりゃ苦労はしない!笑

 僕自身の経験も含め、「ボールを操る技術が足りていなかった」という考え方はとてもしっくりきます。他の人はともかく、少なくとも僕は技術不足だったのではと感じています。
 ここでいう技術の定義を「ボールを意のままに操る力」とした場合、脳が意識した動作と実際の動作の差異を測り、近づけるトレーニングは実在しているため、対処法として有効だと思います。

 そしてそれを投球動作につなげる時のポイントは、工藤公康氏や桑田真澄氏のYouTubeを見て実践すれば教えてくれます。
 そう、技術に問題があると理解することで、解決の糸口が見えてくる。それが、僕が「イップス=技術不足」と認識している一番のポイントです。

 脱線しましたが、イップスが原因で野球を大いに嫌いになったのは間違いありませんでした。

承認されない環境

 現職の周りにラグビー関係者が多く、話を聞く中で、「存在を認めてもらうことができる」という点にラグビーへの最大のジェラシーを感じたことは記憶に新しいです。

 野球をやる中で辛かったのは、「僕はここでは不要の存在だ」と思わざるを得なかったこと。存在意義を感じることができなかった

 プレーできないなら、ベンチ入りできないなら、いる意味はない。そう感じてしまっていました。思い込みかもしれないし、実際に勝負の世界なので、十分に理解はしているつもりです。
 しかし、人間には承認欲求や所属の欲求が存在します。(ここでもマズローの欲求5段階が分かりやすい)。そこが満たされないと、あらゆるパフォーマンスが低下することは間違いない。

 そのチームが健全で、個々のパフォーマンスを最大限に発揮できている状態を目指す上でも、この視点は大事にしないといけないと思います。

ハンドボール吉田氏の言葉(#スポーツを止めるな2020にて)

「大会が中止になり『このくらいで幕引きかな』という空気を感じる。最後の大会を大人が設けようとしても、あまり乗ってこないというか。スポーツの魅力をどう伝えるかという課題を再認識した。」

「#スポーツを止めるな」に登壇いただいた吉田 耕平氏のコメントに、ザワっとした自分がいました。なぜなら、「僕も、そのように考えてしまう時期があっただろうな」と思ったからです。

 要は野球を辞めたかったんだ。辞める口実が欲しかった。そういう時期が僕にもあったからこそ、吉田氏のあの言葉が忘れられない。

 僕が今、この仕事をする理由が、多分この辺りの文脈にありそうです。「スポーツの魅力って一体何なんだ。」「あんなに辛かったのに、なぜ僕はそのスポーツの魅力を伝えようとしているんだろうか。

僕が今スポーツを好きな理由

 散々ぶちまけておいて矛盾していますが、やっぱり僕はスポーツが好きです。それはなぜか。

スポーツならではの得られることが確かに存在し、散々な現役生活の中でも培われたものがあり、それを今実感しているから。

スポーツに再度身を投じたら、スポーツで幸せになっている人間が本当にたくさんいたことがわかり、これを大切にしたいと思った自分がいたから


今の僕なら、スポーツを嫌いになる要素を少しでも減らせるかもしれない、という有用感を感じたから

改めて、僕に何ができるのか、何がしたいのか

●僕はプレイヤーとして野球を、スポーツを愛しきれませんでした。理由は上で述べた通り。なので、今現在、好きなスポーツがある人がそれを好きでい続けられるようにサポートしたいです。

 これも先日の「#スポーツを止めるな2020」にて、バスケの宮田 愉氏が発言していたことと同様なのですが、そのスポーツをせっかく好きになったのだから、可能な限り好きでい続けて欲しいし、種目を続けて欲しい。外部の人間が、それを阻害するような存在になってはいけない僕が上記で語ったような、その種目を嫌いになってしまう要因を、少しでも減らさないといけないと思っています。

●スポーツに取り組んでいる人に対し、いろいろな世界や選択肢を考えてもらうきっかけを作りたいです。自分には、そのスポーツしかない。そんな訳なくて、スポーツは人生の選択肢の一つに過ぎない
 だからこそ、その視点を持った上で、それでもそのスポーツが好きなのであれば、それは本物の気持ちなんだと気付けるのではないかと思います。
 そしてそれを通じて、スポーツから得られることや、自分の強みを見つけ、社会で活躍するための武器にしてもらい、自分らしく生きてもらう、そんなサポートをしたいです。

 自分が野球を嫌いになった経緯に目を向けて、改めてなぜこの仕事に打ち込んでいるかが見えてきました。ネガティブな入り方ですが、上記の僕みたいな感覚に陥って欲しくないんですね。

 そして今の僕の立場で、何をどう変えられるかというと、やはり指導者の皆さんのサポートに行き着き、選手たちがその種目を愛せるように、そして選手がスポーツを通じて、社会で活躍できる人間に育つように、必要な学びを提供することなんだと思いました。

では。


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