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麻生田町大橋遺跡 土偶A 31:翼を持った蛇(再録版4)

この記事は写真のリンクが外れてしまうトラブルが起きていることから、4度目の公開をするものです。どうも、記事に修正を入れると、写真が外れてしまうことが判ってきましたので、この記事には以後、修正を入れない事とします。

この回の記事では最大の目的だった豊川市砥鹿神社(とがじんじゃ)奥宮に、なんとかたどり着けたことを報告しています。
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砥鹿神社奥宮の四ノ鳥居である銅の鳥居をくぐり、急な石段を登っていくと、表参道の石段から枝分かれした石段を設けた上に堂のような建物があり、その建物に「荒羽々気神社例大祭」の立て看板が立てかけてあった。

砥鹿神社奥宮 境内社荒羽々気神社

その建物の石段の麓脇には以下の案内書が立てられていた。

砥鹿神社奥宮 境内社荒羽々気神社 案内版

???
11年前に奥宮に参拝した時の記憶では荒羽々気神社は奥宮拝殿の左手脇に存在した記憶があったのだ。今回は11年前とは異なった方向から登ってきたので、奥宮拝殿脇の荒羽々気神社とは別の社なのだろうかと、思った。
同じ境内社が複数祀られることはよくあることだ。

祭神である大己貴命荒魂の「大己貴命」とは砥鹿神社奥宮の祭神のことだ。
この案内書は「荒羽々気神社」の「荒」は「荒魂(あらみたま)」のこととしている。

この荒羽々気神社は銅板葺切妻造平入の建物で、正面は斜めガラス格子戸が締め立てられていた。

砥鹿神社奥宮 境内社荒羽々気神社

軒下以外の木部は白くペイントされていたようだ。
左側の柱には黒い看板に「東海唯一健歩健脚の守護神」とあり、このお守りがあるようだ。
両脚がボロボロになって荒羽々気神社前にたどり着いた小生とって、天の恵みのようなお守りなのだが、荒羽々気神社前に立っていた時には「お守りは授与所にて」という一文は目に入っていなかった。
だが、写真をセレクトしていて、「健歩健脚の守護神」という説明を見つけ、銅の鳥居をくぐった瞬間に体が軽くなったと感じたのは大己貴命荒魂のおかげであることに気づいた。

問題は、荒羽々気神社に奉納するために持ってきたワンカップのお神酒だ。
11年前の奥宮拝殿前での体験から、奥宮拝殿脇にある方の荒羽々気神社に奉納する方が好いので、こちらの荒羽々気神社では参拝のみにした。
参拝して社内を観ると、素木の社が1社納められていた。

砥鹿神社奥宮 境内社荒羽々気神社

金箔の金具も木部も比較的新しい社だった。

荒羽々気神社前から降りて、脇を通っている表参道をさらに登っていくと、参道が左折して石段になっており、その石段を上がっていくと、石段上の通路は、この岩山を削って通してあることが見て取れた。

砥鹿神社奥宮 表参道

この両側の岩をカットした通路を抜けると、正面に以下の案内板が立てられていた。

砥鹿神社奥宮 表参道 『天の磐座』案内板

この『天の磐座』という案内板は荒羽々気神社下にもあったのだが、どれの石が「天の磐座」なのか分からなかった。
しかも、同じ表示がGoogle地図を見ると、砥鹿神社奥宮の北西380m以内にも表示されている。しかもそれは、砥鹿神社奥宮の参道ではなく、境内の外側に当たる場所なのだ。
ここの『天の磐座』案内板には「行人岩一帯」ともあり、どうやらこの天の磐座とは独立した石ではなく、砥鹿神社奥宮が頂点に祀られている「行人岩」という岩山全体を指しているようだ。それでも、とにかく、この2番目の『天の磐座』案内板の立てられた後には下記写真のような巨石が深い崖の縁に頭を出していた。

砥鹿神社奥宮 表参道 天の磐座巨石

この巨石前から参道は降っていて、途中右手にはバターナイフでカットされたかのような石がリクライニングシートの背もたれのように、やはり崖の縁に立っていた。

砥鹿神社奥宮 表参道 巨石

この巨石の奥の下方には社が見えている。

その社の背後にも、かなりの巨石が頭を出していた。

砥鹿神社奥宮 表参道 巨石/境内社

見えていた境内社は八柱神社(やはしらじんじゃ)だった。

砥鹿神社奥宮 境内社八柱神社

祭神はアマテラスとスサノオの誓約(うけい)で生まれた五男三女の神だが、傍の案内板には以下の『日本書紀』の名称で紹介されていた。

・田心姫命  ・天忍穂耳命
・湍津姫命  ・天穂日命
・市杵嶋姫命 ・天津彦根命
       ・活津彦根命
       ・熊野櫲樟日命

『日本書紀』ではアマテラスに謀反を疑われたスサノオが潔白である証明をするため、男の子が生まれたら潔白であると宣言した上で、まずは天照大神が素戔嗚尊の十握劒(とつかのつるぎ)を貰い受け、三つに折って天真名井(あめのまない)の水で噛み砕いて霧のように吹き出すと、上記の左列祭神の3柱、宗像三女神が生まれる。
一方、素戔嗚尊が天照大神の八坂瓊之五百箇御統(やさかにのいおつみすまる)を貰い受け、天眞名井の水で噛み砕いて霧のように吹き出すと、上記右列の男神が生まれ、スサノヲの潔白が証明される。
それにしても呪術的でゾクゾクする描写だ。
スサノヲの潔白を証明するために八柱神社の八柱の神は生まれたことになる。

ちなみに「御統(みすまる)」とは紐に複数の球を通した首飾りや腕飾りを指す。

八柱神社前から間もなく、砥鹿神社奥宮の拝殿前に上がる石段の下に出た。

石段の親柱には「亀甲にト定(ぼくじょう)」紋が浮き彫りされていた。

砥鹿神社奥宮 表参道 神紋

この石段を登ると、南向きの奥宮の拝殿前に出た。

砥鹿神社奥宮 拝殿

やっと、この日の目標点の一つに到達した。拝殿は檜皮葺平入で軒下の扁額には金文字で「砥鹿神社本宮」とある。
正面はガラス格子戸が立てられている。完全に疲労でヨレヨレになっていたので、賽銭箱下の最下段に担いでいたカバンを下ろし、賽銭箱が遠くて、投げると賽銭が箱から外れる恐れがあると思ったので、階段に左手を突いて賽銭を持った右手を賽銭箱にかざしたところ、左手の授与所に人がいたらしく、ドタバタと騒ぐ音がした。どうやら賽銭泥棒を疑われたようだった。それは無視して参拝したところ、授与所は静かになったので、しばらく瞑目した。

ところで、今回の参拝の主目的は砥鹿神社本宮ではなく、境内社荒羽々気神社の方だった。
記憶では授与所の南側に位置していたはずなのだが、そこには荒羽々気神社は存在しなかった。
さっき参拝してきた荒羽々気神社と授与所の間がショートカットされ、くっついて記憶されていたようだ。
それで、荒羽々気神社には帰途に再び参拝することにした。

11年前に複数の友人たちと、この拝殿前で参拝し、やはり少し長い時間瞑目していたところ、自分の右耳たぶに触れるように羽ばたくものがかすめて自分の背後に飛び去った。
思わず驚いて「ウワッ」と声をあげて目を開いたのだが、右隣の友人はこちらを向いていた。
「ハト?」とみんなに聞いたのだが、みんなは何も見ていないという。
実際、鳩のエサの無いこんな山の上に鳩がいるわけはなかった。
拝殿の軒下に掲示された『由緒』には以下のようにある。

本宮山砥鹿神社奥宮の創祀は、文武天皇大宝年間以前より鎮座さられた事は、社伝に明らかである(約千三百年以前)、海抜789、2米に位する、本宮山の秀麗な山姿と全山を覆う樹林は、昔より東海無双の霊域として神聖視され、 殖産の神、護国救人の守護神として広く 尊崇され、明治四年の官制より三河国唯一の国幣小社に列格された、砥鹿神社の奥宮である。
大神の御神徳は弥々輝き、除災招福、交通 安全、等にも広く御神威を垂れ給っている。
社名 三河国一宮 砥鹿神社
祭神 大己貴命(別称大国主命)

この『由緒』には大己貴命の別称が大国主命とあり、大己貴命が農耕神であることを示唆している。
三河国にとって昔から農耕はもっとも基本的な産業だったから、大己貴命はそれにふさわしい祭神と言える。

ところで、11年前に参拝した時は釈然としないまま、本宮山を後にしたのだが、自分の中ではその後8年間の間に右耳をかすめたものが何だったのか徐々に判明してきたのだ。
まず、砥鹿神社奥宮で「羽ばたくもの」とつながりがあるのは「荒羽々気神社」の社名だ。案内書にはその祭神は「大己貴命の荒魂」とあったが、その別名が「荒羽々気神」とも言える。
つまり、羽ばたいて耳をかすめたものは荒羽々気神である可能性があるのだが、それは鳳凰のような鳥の姿をした神なのだろうか。
砥鹿神社の祭神大己貴命は『ホツマツタヱ』では「初代大物主」と解釈でき、三輪山神話では大物主の正体は蛇とされている。このことからすると、以下のように解釈することもできる。

大己貴命の荒魂=荒羽々気神=羽ばたく蛇神

しかし、そんな神は日本神話には登場しない。
だが、アステカ神話には登場する。農耕神とされるケツァルコアトルだ。その名は古代ナワトル語では以下の意味になるというが、

鳥の名前=ケツァル(quetzal)
   蛇=コアトル(coatl)

ケツァルコアトルは日本では「羽毛ある蛇」とか「翼を持った蛇」と翻訳されている。
ケツァルコアトルはさまざまな形態で表現される神だが、蛇の姿をしたもので有名なのは農耕と関係の深い春分の日と秋分の日にだけ、テオティワカン遺跡に存在するケツァルコアトルのピラミッドに姿を現すケツァルコアトルだ。

ケツァルコアトルのピラミッド

このケツァルコアトルには羽の表現が存在しない。
実は小生は一時期、大蛇に乗って空を飛び、低空飛行になって墜落しそうになる夢をよく見たのだが、その大蛇にも翼は存在しなかった。
体をクネらせることで空を飛んでいた。

様々なケツァルコアトルの姿を見ているうちにWikipediaに使用されている写真を見て、

ケツァルコアトル神殿のケツァルコアトル

以下の『古事記』に登場する二柱の神の神名を連想した。

・櫛石窓神(くしいわまどのかみ)
・豊石窓神
(とよいわまどのかみ)

ケツァルコアトル神殿の石像はライオンのタテガミのように羽を持つケツァルコアトルが石の丸窓から頭を出している。
このケツァルコアトルはこのケツァルコアトル神殿を守る役割をしており、像としては水を吐き出す機能のあるもので、そのことは農耕神を表現するためにデザインされたのだと思われる。
しかし、ケツァルコアトルと櫛石窓神・豊石窓神は結びつく要素があるのだろうか。

櫛石窓神・豊石窓神は『古事記』ではニニギの従者とされており、『古語拾遺』では天照大神が岩戸から新殿に遷座した後にこの2神に新殿の門を守衛させたとあり、ケツァルコアトルが神殿やピラミッドを守る役割をしていることと通底している。
また『延喜式』でも宮中の神祇官西院において櫛石窓神・豊石窓神が四面の門に各1座ずつ祀られているとし、やはり御殿を守る性質があることが解る。
そして、谷川健一著『白鳥伝説』(集英社)には以下の記述があり、アラハバキ神にも御殿を守る性質があることが判明した。

神社の門に衣冠束帯姿(※いかんそくたいすがた)で、脛巾をつけた二体の随身(※ずいじん)の木像があり、それをアラハバキと称しているところが見受けられる。アラは荒拷(※あらたえ)などのアラであり、ハバキは脛巾のことである。朝延の御門を守る衛士が脛巾をつけているところから起こった名であると考えられている。                            (※=山乃辺 注)

ちなみに文中にある「荒拷」とは国語辞典にある「荒妙」もしくは「粗栲(あらたえ)」のことらしく、上代に木の皮の繊維で織られた、織り目の粗い布の総称である。
それはともかく、『白鳥伝説』から櫛石窓神・豊石窓神がアラハバキ神とも関係があることが解ってきたのだ。
埼玉県の大宮氷川神社には現在、足摩乳命(アシナヅチ)・手摩乳命(テナヅチ)という蛇を暗示する名を持つ二神を祀った門客人神社(もんきゃくじんじんじゃ)が祀られているのだが、その門客人神社は、かつては摂社アラハバキ神社として祀られており、祭神は櫛石窓神・豊石窓神の二神だったというのだ。

そして、小生は荒神社の神もアラハバキ神(翼を持った蛇)である可能性があると考えている。
安城市小川町の荒神社に参拝した折、荒神社脇の堤防上で以下のような雲を撮影したのだ。

安城市小川町 荒神社脇の豊川堤防上で撮影した雲

翼を持った蛇じゃないか👍
ちなみに小生が21年間に渡って使用して来た愛車には翼のエンブレムが付いている。

〈この項続く〉
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砥鹿神社奥宮に到達したことで、とりあえずの目的は果たせました。その時、したかったことは甘いジュースが猛烈に飲みたかったことでした。持ってきたお茶は渋くて、もう飲む気にはなれませんでした。奥宮の裏面には本宮山を警備する愛知県警の宿泊施設があり、そこに自動販売機がありました。それを見つけた時は歓喜したのですが、何と、その自動販売機に収められていた飲料は全てお茶だったんです。


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