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今朝平遺跡 縄文のビーナス 1:元祖縄文のビーナス

豊田市(とよたし)の今朝平遺跡(けさだいらいせき)からも土偶が出土していることは知っていましたが、出土した土偶(縄文のビーナス)が記事にできそうな土偶ではなかったことから、愛知県の土偶の紹介は麻生田大橋遺跡出土の土偶を最後にしようと思っていたのですが、思いついていたことがあって、記事にすることにしました。

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今朝平遺跡から出土した縄文のビーナスの展示されている足助資料館は母親の実家に向かう途中にある足助町(あすけちょう)にあることから、すでに数度見学に訪れていた。
足助町は2005年に豊田市へ編入される以前には東加茂郡に所属していた地で、縄文のビーナスの出土した今朝平遺跡(けさだいらいせき)とともに、これまで紹介してきた土偶が出土した愛知県内の縄文遺跡4ヶ所と異なり、山間部に位置している。

豊田市足助町 今朝平遺跡

足助町の街は巴川と、その支流である足助川の合流点を軸にして広がっており、足助川に沿って旧くから三州街道(塩の道)の足助宿として栄え、今も旧い街並みが残っている。
巴川に沿った香嵐渓(こうらんけい)は愛知県内随一の紅葉の名所として知られ、戦後まで巴川の河原で暮らすサンカ(山岳部の放浪民)の姿が見られたという情報がある。

足助町は2ヶ所のリニアモーターカー予定駅の存在する愛知県名古屋市と長野県飯田市を結ぶ、国道153号線の脇に沿った街で、153号線から分岐した国道420号線とそこから分岐した県道366号線が足助町の幹線道路となっており、さらに366号線から分岐して山間部に向かう県道33号線の脇に当たる場所に足助資料館は存在する。
33号線の交差点から急坂を登って行くと、その路地に沿って北西を向いた短い石段が立ち上がっており、その上に門、門の奥に足助資料館の玄関が見えている。

豊田市足助町 足助資料館

ここは、かつては愛知県蚕業取締所足助支所だった場所で、その建物が資料館として流用されている。
以前は脇のスロープから資料館の建物沿いの庭まで車で入れたのだが、最近はその入り口が封鎖されているので、資料館の敷地沿いに愛車を駐めた。
入り口でスリッパに履き替えて、勝手知ったる、右手奥にある考古資料を展示してある部屋に向かった。
展示は、最初にやって来た時と変わっていなかった。
縄文時代に関する展示パネルの文章などは、縄文時代の出土品などから、以前の常識からは変化してきているので、今読むと違和感のある部分が散見される。

部屋の中には壁面のガラスケースと部屋中央に並べた机型のガラスケースが並んでいるが、土偶及び土偶断片(以後土偶と呼ぶ)は机型のガラスケースに並べられていることから、間近に観ることができる。

豊田市足助町 足助資料館 今朝平タイプ土偶

ここには14点の土偶が並べて展示されており、「今朝平タイプ土偶」と呼んでいる。
今朝平遺跡から出土している土偶は21点だから、7点は今朝平タイプ土偶とは異なる特徴があるのか、あるいは今朝平タイプ土偶とは断定できない土偶片なのだろう。

それはともかく、上記写真の上の列の左端が縄文のビーナスだ。
今朝平遺跡から出土した土偶の中では唯一ほぼ完形に近いとされている土偶だ。

今朝平遺跡 縄文のビーナス

誰でも気になるのが、「縄文のビーナス」という名称だ。
「縄文のビーナス」と言えば長野県茅野市棚畑遺跡(ちのしたなばたけいせき)から出土して、縄文期の製品としては初めて国宝に指定された縄文のビーナス(下記写真左)を思い浮かべる人がほとんどだろう。

長野県茅野市棚畑遺跡 縄文のビーナス ⎮   愛知県豊田市今朝平遺跡 縄文のビーナス      
 愛知県豊田市今朝平遺跡/長野県茅野市棚畑遺跡

今朝平遺跡の発掘されたのは1978~1979年なのだが、縄文のビーナスが何年に出土したのか、足助資料館に唯一、常駐している若い女性に確認したのだが、不明とのことだった。
どうも、この人は学芸員ではないようだ。
なので、国宝の縄文のビーナスのことを持ち出したのだが、なんと、国宝の方はご存知なかったのだ。

棚畑遺跡縄文のビーナスは今朝平遺跡縄文のビーナスより後の1986年に出土しており、「縄文のビーナス」と名付けられたのは、おそらく今朝平遺跡の方が早かったろうから、棚畑遺跡の縄文のビーナスは今朝平遺跡縄文のビーナスの存在を知らずに名づけられたのだろう。
しかし、国宝に認定する際にも名称の重複は気にしていないんだね。

この2体の縄文のビーナスはサイズがまるで異なる。
今朝平遺跡縄文のビーナス(縄文時代後期〜晩期)が天地7.3cmなのに対して棚畑遺跡縄文のビーナス(縄文時代中期)は天地27cmもある。
しかし、棚畑遺跡縄文のビーナスのサイズと顔に目鼻口の造作があることは縄文時代中期の土偶の標準的なものなのだが、今朝平遺跡縄文のビーナスは縄文時代後期・晩期の標準的な土偶からは、はなはだしく逸脱しており、むしろ、縄文時代前期の土偶に近い特徴を備えている。
その一つは7.3cmというサイズで、これは縄文時代前期土偶の標準的なサイズだ。
もう一つは顔の造作がされていないことだ。
これも縄文時代前期の土偶の主流と一致している。
さらに、縄文時代前期土偶は脚部が太もも上部までのものが主流で、これも今朝平遺跡縄文のビーナスと一致している。

こうしたサイズの小さな縄文時代前期土偶には携帯像説が存在し、狩猟生活を主とした遊動生活者の使用したものとする説が存在するが、今朝平遺跡縄文のビーナスは縄文時代後期〜晩期のものであるのだが、場所的に出土場所が山岳部に存在し、現在でも、熊、イノシシ、鹿猟が行われている地域だけに、そうした特殊事情を説明するものなのかもしれない。
これは他地域の山岳部から出土した縄文時代前期土偶で小型のものが存在するか、検証する必要がある。

今朝平遺跡縄文のビーナスの前に記事として取り上げた麻生田大橋遺跡(あそうだおおはしいせき)の土偶のことを記事にし始めた年に、日本の土偶に関する画期的な書籍が出版された。
竹倉史人氏の『土偶を読む』(晶文社 2021年4月23日出版)だ。
この書籍では「土偶は食用植物と貝類をかたどっている」という仮説をもとにして主に縄文時代中期〜後期の土偶を読み取ったもので、その主張には納得させられた。
ただ、縄文時代草創期〜前期の土偶は出土数が少なかったり、地域性が強いことなどから、個別には取り上げていない。

現時点で最古級の土偶とされている下記の滋賀県相谷熊原遺跡(あいだにくまはらいせき)出土の相谷土偶なども食用植物と貝類の形態を当てはめることはできるのだろうか。

滋賀県相谷熊原遺跡 相谷土偶

ところで、今朝平タイプ土偶の中にもう1体、棚畑遺跡縄文のビーナスと共通点を持つ土偶が存在する。
上記2点目の土偶集合写真上の列、右から2番目の土偶だ。

今朝平遺跡 今朝平タイプ土偶

この下半身だけの土偶を仮に「渦巻土偶」と呼ぶ。
棚畑遺跡縄文のビーナスは体に沈線で3ヶ所の渦巻が記されている。
下記写真は茅野市の屋外に置かれているレプリカを撮影したものなのだが、ケースに入っていないので、好きな角度から撮影が可能だ。
まず、下記写真、頭部左側面の耳の後ろから耳の上に向かって、ゼンマイのように上に延びる渦巻。

長野県茅野市棚畑遺跡 縄文のビーナス 頭部

次に後頭部真後ろの左側に上から下に延びる渦巻。

長野県茅野市棚畑遺跡 縄文のビーナス 後頭部

そして、平らな頭頂部全面に入っている渦巻だ。

長野県茅野市棚畑遺跡 縄文のビーナス 頭部

最後の頭頂部全面に入っている渦巻に関しては『土偶を読む』にも記述があって、竹倉氏も、これまで通説になっている「渦巻=蛇」説を肯定している。
それだけではない。
蛇の種類を「マムシ」と同定している。
その理由は縄文時代中期の遺跡から出土した棚畑遺跡縄文のビーナスの原型を、この時期の縄文人の主食であった食用植物のトチノミとしており、トチノミを食べにやってくるアカネズミからトチノミを守るのがマムシであるとしている。
こうしたことを竹倉氏は縄文人の主食としてトチノミが登場した背景とトチノミとマムシの繁殖する地域とトチノミを精霊とする土偶の出土地域が一致していることなどから導き出している。

棚畑遺跡縄文のビーナスとトチノミ

そして、棚畑遺跡縄文のビーナスの爬虫類っぽい目鼻立ちはマムシの顔面の形態が元になっているとしている。
縄文人はレプティリアンの餌だったという説があるが、棚畑遺跡縄文のビーナスはヘルメットを被ったレプティリアンではなく、トチノミの精霊を守るマムシを帽子に装飾したトチノミをかたどったものだったのだ。

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noteは個人的に「土偶」をテーマに始めてしまったのですが、始める前に『土偶を読む』が出版されていたら、妄想を膨らませるパワーが半減してしまうので、別のテーマを選択していたと思われます。    


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