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【自粛生活で得たこと】

研究が終わって、久々更新になりました。卒論を無事に書き終えることができました。おもしろかったー!論文を書いて考えたことについてはまた後日書こうかなぁ。

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コロナでできなかったこと、失ったって言ったら大袈裟かもしれないけれど、失ったものは沢山ある。みんなもきっとそうだよね。

自分の行きたかった方向・進路、海外卒業旅行、遊び倒し、学校の授業、アルバイト… 等。

考えようによっては、何で今年に限ってと思う。わざわざ大学卒業を2年も延ばして、そのわざわざ延ばした年に当たってしまったわけだから、思うことは沢山ある。

春夏あたりはずっとこの2年間の意味を考えていた。進路さえうまくいけば、編入という選択をした自分を肯定できる気がしてた。だから必死だった。

でもそれができない。一体何のために関西に来たのか?わからなくなったし、何より見通しが立たない予測不可能と言われるコロナに対してどう感じて考えればいいのかわからなかった。

アンラッキーだと思うこともあった。
2年前に就職していたらコロナに影響されずに就職活動ができたんじゃないかとも思った。


でも、コロナ の影響で第一志望の進路を選ぶという選択肢が、一旦自分の中でなくなったことで、フラットにして考えることができた。

一生をかけてやっていきたいこと、どういう働き方をしたいかがはっきり見えてきた。

新しい選択肢も見えてきた。


それに、沢山の国宝や舞台、美術館で文化的な価値のあるものにふれたときに、人間のおもしろさと人間の可能性、力をすごく感じた。

便利は楽だけど、不便やうまくいかないという状況が引き出す人間の能力、不便であることが故の豊かさみたいなのもあるんだなぁと。



コロナの影響の一側面をみて、悲観的になってるだけじゃもったいない。コロナで得られること得られたこと、そこで生み出される何かを見逃さずにいたい。

せっかく学生生活伸ばしたんだもん、選択肢も広がってるはず。

大丈夫、関西生活の3年間の経験はなくならない。積み上げてきたものが発揮される場は奪われるかもしれないけれど、そのもの自体はなくならない。

それに、選択をしないってことは、まだ選択肢がなくならないってことだから。

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ありがとうコロナ。
コロナがなかったら、今ここにはいないかもしれない
って未来で言えるように、そういう選択と決断をしていきたい。

明日からも諦めずに自分の感情に向き合いながら、頭をフル回転させて、楽しく生きていきたいと思う。

コロナで得たことを今回は書いたけれども、コロナで得られることをこれからも探していきたいと思います。

これからが楽しみです。可能性は!!!

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