10年前のあの日の記憶4
解散となってすぐ、私は部署の先輩に徒歩で帰宅すると申告した。
その時はじめて津波について指摘を受けた。
「おうち、海の方でしょ?津波とか大丈夫なの?」
ビルから帰宅するために進むのはたしかに海を目指す方向だった。
しかし、海沿いというには数キロ離れていたし、今まで大きな地震があっても実際に津波被害が出たところを見たことは無かった。
「大丈夫だと思います。それより家族と連絡が取れなくて不安なので…。」
そんな会話をして、そのまま1人で歩き始めた。
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私が幼少期から育つ中で、
『宮城県沖地震は必ず起こる』
と何度も言われ続けていた。
そして、東日本大震災が起こるまでの間に、震度5ほどの地震を何度か体験してきた。
大きな地震が来るたびに、『津波に注意』と耳にしてはいたが、実際に大きな被害を目の当たりにしたことは無かった。
だからこその『注意』だったのだと今ならわかる。
本当の恐怖は油断しきっているときにやってくるものだ。
けれど、当時の私はあれだけの揺れを体験したのに、津波の恐ろしさをわかっていなかった。
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ロッカールームからなんとか引っ張り出したコートとブーツを身につけ、ひたすら家までの道を歩き続けた。
出来るだけ大通り沿いの広い歩道を選んで歩いた。
信号は未だ復旧することはなく、多くの車が道路に並んでいた。
しかし、クラクションや怒声がひしめき合うような状況ではなく、一人一人が非常事態時と認識し、節度と思いやりをもって行動しているのだと感じた。
歩道沿いの道には、たくさんの家やお寺、ガソリンスタンドなどが並んでいた。
お寺の門は倒れ、ガソリンスタンドは屋根から崩れ落ち、本来の給油スペースは全く見えない状況だった。
(こんなに崩れ落ちて、ガソリンは大丈夫なのだろうか…。引火したりしないだろうか。)
漠然と不安に思いながら横を通り抜けた。
少しずつ雪が激しくなり、まだ夕方というには早かったが、どんよりと暗く感じる。
早く帰らなければ、街灯もない真っ暗闇を進むことになるのかもしれない。
ふと頭をよぎったその光景に、背筋がゾクっとした気がして、歩く速度を速めた。
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