10年前のあの日の記憶12
金曜日に起こった地震の後、ただひたすら生活を整えようと走り回って週末を終えた。
まだライフラインは一つも復旧しないままだった。
地震による道路への被害や原発の問題などが相次ぎ、物流がストップ。
発生直後より店先に並ぶ物資が極端に減った。
公共交通機関も復旧しておらず、薄明るくなってきた時間から起き出してぼろぼろの自転車で会社へ向かった。
まだ就業開始には時間があったが、オフィスには何名か既に出社し、細々としたPCのセッティングなどをしていた。
避難直前にみたぐちゃぐちゃのオフィスは綺麗に整っていた。
膝が震えながらも避難の為に歩き出した瞬間に見渡した荒れ模様を思い出しながら、週末の間にどれだけの人がここを片付けてくれたのだろうと申し訳無く思った。
それと同時に、蛍光灯から降り注ぐ人工的な光へ眩しさを感じると共に、私が暮らすエリアとの格差に驚きを隠せなかった。
そこにいるメンバーの中にも大変な状況の人は多く居ただろうと思う。
出社出来ないと連絡が来ている人も何名かいたようだった。
色々な気持ちを抱えながら、自分にも出来そうなことはないかと見渡していると、上司が気まずそうな顔で声をかけてくれた。
「…大丈夫か?食料とかちゃんと確保出来てる?」
ピシッとしたスーツを着ている上司を見て、どこか別の世界の出来事のような気がしていた。
なんとなく言いづらいような気持ちを持ちながら、自宅のライフラインがまだ復旧していないこと、物資が滞ってきていることで食料が得づらくなりそうなことなどをぽつぽつと話した。
「そんな状況なのになんで会社きてるの。ちゃんと帰って生活を整えてきなさい。」
上司は優しさで言ってくれたのだと今ならわかる。
けれど、『生活を整える』という言葉に、自分でどうにかできるものとは思えなかった。
人生経験も社会人経験も乏しかった当時のわたしには、途方もない言葉に思えた。
オフィスの復旧にも参加せず、自分の生活で手一杯になっていた。
そのうえ、ここから忙しくなることが目に見えている職場からも外れるように言われてしまった。
自分の無力さを痛感し、胸が苦しくなる。
けれど、生活を立て直すことに手一杯になっていることも事実だった。
「とりあえず今日は仕事にはならないし、帰っていいよ。ライフラインが整うまでは無理しないで」
『無理しないで』という言葉へも、みんな無理しているのに私だけ何もしないほうがダメなことのように思えた。
「あ、ありがとうございます…。」
そう言って、なんだか悪いことをしているような気持ちになりながら、オフィスを後にした。
この頃、駅前のエリアのスーパーや市場にはまだギフト用の日持ちする食料や、生鮮品が多く並んでいた。
せめて、なにか買って帰ろうと自宅付近ではほとんど出回っていなかった野菜類を探しながら帰った。
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