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論説 神の存在証明(3)【短編集:創作1000ピース,59】

【はじめに】

この「【論説】神の存在証明」は「神様はいるのか?」という問いに対して著者の考察をまとめたエッセイです。

「神とはなにか?」「存在するのはどのような状態なのか?」という、言葉の定義を出発点とし、宗教や神話を例にして、「神の存在」について論じたものです。

論理的、科学的な側面から神の存在と神とはなにかを論じており、宗教、オカルト、スピリチュアルな要素は含まれておりません。
純粋に哲学的な思考で論理を展開しています。

論説で語られる宗教に関する知識はすべて著者が書籍等から得たもので、そこから著者が感じた印象も含んでいます。

信仰を批判したり、信仰心を傷つける意図はございませんが、何かしらの宗教を信仰している方、神の存在について強い信念をお持ちの方は不快に感じる可能性がありますので、閲覧をお控えください。



【前回の議論】



第3論:「神」の定義とはなにか?


神の定義について考える。

端的に、「神とは何か?」「何者か?」というわけである。

日本の現代社会は信仰とかけ離れた生活を送っているので、神というと構えてしまう。日常で神を感じるシーンがなかなかない。

全てのものに魂が宿る。
八百万の神の概念をすんなり受け入れる日本人にとっては、死んだ祖父母も神様だし、それぞれの神社にも神様がいると思うし、トイレの神様のように、トイレにだって神様がすんでいると言われたり、神様はありふれている。
ありふれすぎてありがたみがない。

わたしはケルト神話やゲルマン神話、ギリシャ・ローマ神話、ヒンドゥー教などのオリエントの神様が好きなのだが、それらに至ってはゲームや漫画の設定に多用されていて、オカルトの域になっている。つまり、神様というキャラクターになっている。

神と言えばキリスト教やユダヤ教、イスラム教に代表される一神教を想像するが、これらの話をすると深い話になりそうなので、いったん全てを忘れて、なぜ神という概念が生まれたかについて考えることを出発点にしたい。


神という概念はどうやって生まれたか?

古代世界では、人間にとって自然は脅威だった。生き死にに関わり、人間の制御が及ばない存在だった。当時の人間は恐れをなしたに違いない。

自然世界の上に人間の生活が成り立っているわけだから、人間たちは自分達の生活が脅かされないように常に願っていたと思う。
大地の実りを人間に与えるのとは反対に、自然災害はまるで意志を持って人間たちに襲いかかってくるように見えただろう。

人間の制御が及ばない自然という存在は、物言わぬ生きている何かと感じたに違いない。

天災を鎮めるため、五穀豊穣を祈願するため、自然に向かって祈る。
そこに神という存在を見出したように思う。
人間の力が及ばず、人間を簡単にねじ伏せてしまい、人間の運命を変えてしまう存在。それが神であり、はじめは自然界にその存在を見出だしていたはずだ。

一神教が誕生する前の古代宗教、多神教では、太陽の神、大地の神、海の神など、どの地域の神話でも自然をモチーフにした神が登場する。

一神教が登場すると、その宗教の中では自然をモチーフにした神たちが否定される。
一神教の神は世界を作り、人間を作った創造主であるという設定だからだ。天災も人の運命も制御し、自然と人間を掌握する存在、それが一神教の唯一神だ。

どの神様を崇拝するかは置いておいて、神という概念はちっぽけな自分の力が及ばない領域をコントロールするパワーを持った存在になる。
それは一神教も多神教も共通している。多神教の場合はモチーフがあるので、力が及ぶ範囲が限定的なだけだ。


自分ではどうしようもないことを神頼みする。
人間社会から離れた次元から、自分の運命を握っている強いパワー。それが神様の正体だと思う。

第4論へつづく……。

 



*** 創作1000ピース ***

 たくさん書いて書く練習をするためにまずは1000の物語を書く目標を立てました。形式は問わず、質も問わず、とにかく書いて書いて、自信と力をつけるための取り組みです。

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