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論説 神の存在証明(12)生き神様なる存在【短編集:創作1000ピース,68】

【はじめに】

この「【論説】神の存在証明」は「神様はいるのか?」という問いに対して著者の考察をまとめたエッセイです。

「神とはなにか?」「存在するのはどのような状態なのか?」という、言葉の定義を出発点とし、宗教や神話を例にして、「神の存在」について論じたものです。

論理的、科学的な側面から神の存在と神とはなにかを論じており、宗教、オカルト、スピリチュアルな要素は含まれておりません。
純粋に哲学的な思考で論理を展開しています。

論説で語られる宗教に関する知識はすべて著者が書籍等から得たもので、そこから著者が感じた印象も含んでいます。

信仰を批判したり、信仰心を傷つける意図はございませんが、何かしらの宗教を信仰している方、神の存在について強い信念をお持ちの方は不快に感じる可能性がありますので、閲覧をお控えください。



【前回の議論】



余談その6:生き神様なる存在


宗教を交えて神様について話してきたが、今回はフランクに神について語りたい。
フランクに、と言うのがミソである。


日常でよく聞く「神」ワード

巷では、「神っ!」「神プレイ!」「神ってる!」という言葉をよく聞く。

神様もカジュアルになったなぁと、感慨深くなる。
私にとっては違和感がものすごいが。

使用例としては、

ゲームをプレイしていて、奇跡のようにゲームがことを運んだ時、「ああーっ!神っ!」や「神プレイ」と言う。

日常生活で、絶望的な状況で「もうダメかもしれない」と落胆していた時に、奇跡的にいい方向に物事が運んだ時に「神ってる!」と言う言葉が出るかもしれない。

共通項としては、自分ではどうにもできない状況だったけど、幸運が舞い込み事がうまくいった。と言うものだ。

やはり、人間は自分のコントロールが及ばないところは神様に助けてもらったり、天命に委ねたいものである。

その心理がこれらの言葉に現れていると思う。


推し活、尊敬、憧れ……。自分の想像を超えるところに神的存在が隠れている!?

他にも日常シーンで、こんなことがあるかもしれない。

アイドルのコンサートに行って、恋い焦がれた憧れの人を目にしたとき「神!」と思う人がいるだろう。

ファンにとってはアイドルは神に近い存在。
いや、ファンの世界観を作っている神そのものかもしれない。

ファンの生活がアイドル中心に成り立っているのなら、確実にそのアイドルはファンにとっての神的存在と言える。

推し活も同様かもしれない。

推し活については緩い推し活スタイルも存在するので、ちょっと興味がある程度から生活の基盤になっているような熱狂的推し活まで熱量のバリエーションがあるが、推し主も神、推し神様になり得る存在だ。

もちろん彼らは人間なので、生き神様になるだろうか。

生きながらにしてファンの世界観を創造し、ファンの生活、人生に影響を与える神になったのだ。

ファンにとっては、神と形容される彼らは現実に存在している。
本論では宗教の神様、神話の神様について議論を展開し、「現実には存在しないけど、神様を信じる人の心に、神様はいる」と結論に至った。
一方で、生き神様なる存在は人間なので生きているし、存在している。
そこが大きな違いだ。


つくづく人生は自分が何を信じるかで変わってくる。

普遍的な神の存在は定義できず、各人の心の中に己が信じるもの、信念が具現化されて現れている。
それが神というものなのかもしれない。


〈余談その6:了〉

余談その7へつづく……。次で余談も含めて最終議論です。

 



*** 創作1000ピース ***

 たくさん書いて書く練習をするためにまずは1000の物語を書く目標を立てました。形式は問わず、質も問わず、とにかく書いて書いて、自信と力をつけるための取り組みです。

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