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生きることにした(雑記) 20231231



 大晦日なので、一年の振り返りをしつつ精神状態や認知の変遷について整理しようかなと思います。
 9,000字に上る大ボリュームとなりました。一年の終わりに何してんだ。






・1月(ダメだった)



 あんまり覚えてない。(早速)

 精神状態がよろしくなかったのは確かで、悪夢とフラッシュバックで眠ることも起きることもままならず、ここらへんから隔週掲載の原稿を予定通りに上げられなくなっていました。
 人生単位で脳のメモリを圧迫している「ジャッジされることへの恐怖心」が凄まじく、何をやるにも後ろ指を指されるような不安がありいつまでも行動に移せないような日々が続いていました。この頃までは漫画は「できるからやってるもの」であり、やりたくてやってるという認識はほぼ0に近かったです。
 死ななくて済むからやっていた、というかんじ。

 この月からメンクリの通院が月1から隔週に増えました。
 ちなみに今は3週に1ぺんです。こうやって過去を過去として振り返れるくらいには0に近づいています(私は一番良い状態はプラスではなく過不足ない0だと思っています)。

 全裸で下着を見つめて「(これはなんのためにどうする布なのだろう)」と5分ほど見つめる時間が増え、精神負荷を発散する方法がわからず、最終的に頭を丸刈りにしました。あまり似合わないし寒かったので多分もうやりません。。

 おじめいの作業は確か14話〜15話あたりだったと思います。
 単行本やコミティアの作業で忙しくできていたのが救いでした。仕事のことを考えれば死のことは考えなくて済むので。





・2月(ダメだったり、良かったり)



 おじめい1巻が発売されたメモリアルマンス(こんな言葉あるのか?)。
 コミティアにも参加しました。はらまずともやどるの文章を出したりした。


 おじめいについては、発売日に知人と秋葉原に行って本屋さんで売ってるところを見に練り歩きをした思い出。
 メロンブックスさんとか初めて入ったので新鮮でした。入り口がだいぶ難しいですよねあそこ。

 人生初の単行本だったり大きいお店に自分の描いた色紙が展示されてたり池袋のアニメイトさんでは大きな看板も掲出されていたりでめちゃくちゃすごいことが連続していたのですが、体調の波もだけどもともと生来の性質で「良い成果を喜ぶ(褒められるとか)」のが苦手なのもあり少し消化不良というか、色々もったいなかったなと思います。
 書店さんとのやりとりなど種々ご手配をいただいた担当さんを始め、単行本に書店特典を挟んだり店内の高い位置に看板を掲示してくれた方の労力、SNSなどであたたかい感想をくださった皆様の善意を無碍にしてしまった後悔がいまだに大きい。

 改めて振り返ると相当うつ状態が厳しく、メンクリでも「詰んでるね」とか言われたりしてたので正直しゃーなかったわなとは思います。
 とはいえ二度は繰り返さないように今後は元気でいたいところです。


 コミティアについてはおおむねつつがなく。
 鬱の波が大きいタイミングで人とたくさん会って会話したので反動がすさまじく数日寝込んだりしましたが、いい意味であまり記憶がないので大丈夫だと思います。

 そのほかには、1月にメンクリで勧められた生活技能訓練の体験に行ってみたもののなかなか厳しく当時なんとか通っていた歯医者に「少し精神の治療に専念したく、次の予約は電話で取らせてくれ」と告げたところ「えー! 全然そんな風に見えない。元気そうですけどね!」という精神疾患なら高い打率で言われるアレを真正面から喰らって一週間ほど寝込んだりしました。


 あと、治療に専念すべく更新の頻度を下げたい旨をおじめいの担当さんに震えながら電話でお伝えしたのはいまでも鮮明な記憶です。
 なんとか原稿を期日に間に合わせてあげることしか自分には価値がないと思っていたので相当緊張したのですが、担当さんは優しく「元気でいるのが一番なので」と伝えてくださって本当にほっとしました。

 振り返れば、おじめい連載という生活の担保のおかげで今こうやって無音の部屋で記事を書けています。ありがたい限りです。

 
 ちなみに歯医者にはいまだに行けていません。怒られるのが怖いからです。





・3月(割とよかった)



 過去に書いたメンクリ日記がわかりやすかったのでそのまま掲載します。


メンクリ日記 20230322

メンクリ(一ヶ月とかぶり…)と打ち合わせに行ってきた日記です。
 今回はそんなに暗くないけど宗教の話をするので苦手な方は注意。


・メンクリ

問診票→担当さんとの打ち合わせの前日緊張して死にそうになる

・「なぜ緊張するのか?」→品定めをされるような気持ちになる、相手が望む答えを出せなかったらという恐怖がある
・「相手はビジネスパートナーであり対等な立場なのだから、お互い様というか気負う理由はないのではないか。」→たし蟹…
・そもそもこの恐怖は、宗教という上下関係のはっきりした場所での失敗経験に基づくものかもしれない。失敗したら親に怒られ、上のきょうだいに怒られ、村八分にされる。居場所がなくなる。
・もうそんなことはないからビビらなくていい気がしてきた。結構でかい気づき。
・「フィクションと現実を必ずしも一致させなくていい。白昼夢みたいな漫画があってもいい」
・「会う人によって違う自分を見せてもいい、社会ってそういうもの」
・「社会経験だよね…」



・打ち合わせ

 お電話は何度かしたことあったが、お会いするのは初めてだった担当さん。死ぬほど緊張した。出版社さんのビルにも初めて行った。
 担当さん、話(会話、アイデア)を引き出すのがうますぎてものすごく頭が整理されていて感動した。以前よりやりとりしていた連載の企画を詰めつつ、過去に描いた読み切りを改めて評価していただけたのでそれの話も。成功体験を積み重ねてこられた方で、その実績にふさわしい行動力もあり、なんというかものすごく素敵なものを見たような気持ちになった。老後の楽しみのために新しい言語や経験のない資格を取ろうと勉強されているらしい。
 めちゃくちゃ失礼な言い方になってしまうが、「挑戦し」「成功する」という大きい成功体験をたくさん積み上げてきた方なのに、私のような福祉に頼る側の人間の話を全く否定せずに聞いて「会話」をしてくださったのも地味に感動した。
 次回の打ち合わせの予定も組みつつ、詰めるべき内容ができたのでまたやる。

 おじめいという今この日々を生きるための担保を確保しながらこれからの話ができたことは個人的にとても大きな価値がある。毎日暗くてどこにぶつかるかわからない地中をスプーンで掘り進めるみたいな人生だったが、今は動かせなくなるまでは使える採掘機があり、それを操作しながら方位磁針を見る余裕もあるみたいなかんじ。
 もしかしたら少しずつ暮らしがよくなっているのかもしれない。でも期待するとしくったとき快速が止まらない駅のことを考えてしまうからほどほどに。
 とは言え今日褒めていただけたこと、メンクリで先生に解説していただけた自分については素直に受け入れられるようにしたい。私は褒められたときの喜び方がわからない。人生の期待の仕方を知らない。



 今年に入ってから複数の行動案が形を帯びてきたことで人と会う機会が増え、少しずつ暮らしが変化している実感がある。
 言うても自分の知らなかった苦手なことに事故的にぶつかったときは普通に瀕死になるが、心の拠り所が増えてきたことで軌道修正の方法も増え、回復したときの戻り位置の水準が上がっている気もする。前までは−5、ー2、0、0.1…てかんじだったが、最近はー5、…0、3…みたいになってる気がする。

 評価をもらえているうちは、気にかけてもらえるうちは頑張りたいと知り合いに話したら「笛が鳴ってる間に踊れ」て言うてた。いい言葉だ。


 その翌週の雑記も併せて掲載↓


20230329

 今年に入ってからしばらくは比較的スキッと起きられる日が続いていたのですが、今日ひさしぶりに2時間かけて寝床から体を引き剥がすやつをやってしまい、活動開始が正午になってしまいました。

 寝床から体を引き剥がすやつとは「頭は起きている」「目など体は寝ている」の状態からなんとか覚醒まで持っていく戦いのことなのですが、ブレーキを最大までかけた状態で無理やりエンジンをふかそうとする感覚に近く、この状態になるといざ起きられても吐きそうなくらいしんどくなります。
 RRRでビームが絶叫しながら無理くり罠の綱とひっかけるとこ引っ張って繋げようとするシーンを想像していただければよいかなと思います。ビーム舐めんな

 先週からお薬が増え、それでもイマイチ元気になれず追いコーヒーしてみてなんとか今日は作業ができました。ゆるやかに体調が破滅に向かってる気がして正直めちゃくちゃ不安です。このままどんどんこういう、薬なしでは生きられなくなるんじゃないかと(ガチの鬱話題すみません)
 頑張れているうちに頑張りたいのですが、なかなか未来が明るくならん。最近眠るのもちょと難しいです。寝たくても眠れん。よくないのはわかっているのにできないの、本当に不安になるのでやめてほしい。

 でも以前の診察で「死なないことを毎日やる」と誓ったので、ひとまず生きていることを評価したいと思います。
 諦めなければ報われるとは言わないが、報われるときは基本諦めなかったときだと思うので、引き続きなんとかやっていきます。


 頑張って生きていたなあ。


 「死なないをやる」とは、2022年11月の通院での取り決めです。
 最近非公開にしていたのですがせっかくなので公開に戻しておきました。



 この目標は一年以上経った今でも引き続き頑張れています。
 生きて眠って明日を迎えるだけが勝利条件のゲーム。






⭐️4月(よいチェックポイント)


 とはいえ引き続きフラッシュバックや悪夢をほぼ毎日見ている生活は続いていました。

 少し詳細に話すと、フラッシュバックでは主に過去の体験の5感(そのとき視界に見えていた全て、空気の温度、人間の温度、聞こえた言葉や音、不安や恐怖といった自分が感じていた感覚など)が鮮明に蘇っていました。
 目を開けると怖いものが見えそうで、でも静かな場所だと幻聴が鮮明になるので、この頃は特に爆音でEDMとかをひたすら聴いていた気がします。

 悪夢はシンプルに悪夢ですね。私のトラウマのメインは家族との思い出にあるので、ほぼ毎日家族が自分を殺しに来る夢を見ていました。
 寝ても覚めても爆音で音楽を聴いていたのでろくに眠れていませんでした。ずっとOwl cityとか聴いてた。


 初めて解離の体験を明確にやったのもこの頃だったと思います。
 ある日知り合いに「もう死んじゃおっか」と言われた際明らかに自分の肉体と自我の座標がズレたことがあり、メンクリで相談したところ「強烈なショック体験をすると自我が"自分"から距離を取ろうとする」「それが慢性化するといわゆる多重人格になるから気をつけて」と言われました。

 以前からこの体験に近い状態になることは何度かあったのですが、先生に相談したことで色々と自分の状況を再検討するきっかけになりました。


 なお、フラッシュバックは「過去の失敗を回避するための"不安の再掲"」、悪夢は「脳の整理」というかんじみたいなので、「あのときとはもう違うことを冷静に認識する」という訓練を始めてから明らかに良くなりました。
 この世界には時間という概念があるので、人間社会単位でまったく同一の事象が起きるということは厳密には不可能だと気づいてから少しずつクールタイムにかかるコストが下がっている気がします。






・5月(割とよかった)


 とにかくインプット! 成功体験の蓄積! というシーズンでした。
 陰キャラブコメなど温かい作品にも出会えたり、色んな人との出会いもあった気がします。

 また、4月の大きい気付きをベースに生活のサイクルを作るようにしたところ、それがかなり良い結果を生みました。

 メンクリ日記再掲したのでそちらもご覧ください。



 あとはおじめい1周年だったりしました。
 更新頻度がゆっくりというだけで迎えた1周年ではあったのですが、同じ季節を新たに迎えることができた感動は凄まじかった。








⭐️6月(よいチェックポイント)


「死なない」という消極的な消費から、自発的なエネルギーを伴った「生きたい」という矢印に切り替わってきたフェーズ。
 漫画を描く意義についてきちんと考え始めたのもこのころでしょうか。


 改めて「何が好きで、何が苦手か」「何が得意で、何にコストがかかるのか」という自分の快・不快を理解する学習に時間を費やしていました。

 また、別マの担当さんとの打ち合わせで「奇を衒わなくていい」「普通に描いてくれたらいい」と言われ続けていて、本当に奇を衒っているつもりなど1ミリもなくて意味がわからなくて文字通り死にそうなほど苦しんでいた時期でもあります。


「自分という車の機能も理解できないまま走らされていたのをちゃんと教習所に通うようになった」
という表現で伝わるでしょうか。


 みんなができることがなぜできるのか、なぜ私にはできないのか、では私には何ができるのか。
 自分が大切にしていることは何か。どうすればそれを他者に伝えられるのか。

 ……みたいなことをじっくりと検討できるきっかけに多く出会えたタイミングでした。






・7月(ダメだった…が、違和感に気づいた)



 今までの人生で感じていた「何かがおかしい」という違和感の輪郭を掴んだ。
 自分をモニタリングする習慣を始めて「今なんか嫌だったかも」とか「なんでこんなに(良くも悪くも)興奮しているんだろう」といったことについてメモをとって分析することでセオリーが見えてきた時期でした。

 私は他人と対面での会話をするのが今までずっと苦手でした。
 会話が成立しないことがあまりにも多く、そのたびに自分が無知で無価値であることを実感するからです。
 あと他人と目線を合わせるのが苦手。これが一番でかい。

 で、自分を客観視する習慣の中でふと「私はネームも没るし会話もろくに成立しないのに、なぜ担当さんらは引き続き私と会話してくれるんだろう」と考えた瞬間がありました。
 みんな死ぬほど忙しいだろうに、その合間をぬってやり取りをしてくれるのは一体なぜだ? と。

 

 ここらへんから「なんだかわからねえが、少なくとも声をかけ続けてくれる限りは私も全力で応えよう」と思うようになりました。






・8月(良かったが、瀕死にもなった)



グッドオーメンズの2期が来て本当によかった



 グッドオーメンズというアマプラのドラマ(天使と悪魔が共謀して神が計画したハルマゲドンを阻止する話)を見直したタイミングで小説版を買い、下巻のラストシーンで悪魔のクロウリーが放った言葉に本当に救われました。
 このセクションを読む、本当に数日前くらいに、自分なりの人生の落とし所として考えた内容とほぼ一致していたからです。


 また、この頃から本や色々な論文、文献などを積極的に読むようになりました。
 今までは長文を読むのが苦手だったのですが、興味のあるジャンルに絞って少しずつ順を追って理解するようにしてみたらかなりやりやすかった。


 この世界は神の一人遊びだ。







⭐️9月(よいチェックポイント)



知能検査を受けて本当によかった


 今までの人生で一番苦しかったのは「自分は普通なのになぜ一般的な普通を理解できないんだ」という無力感でした。

 普通なのに「王道の恋愛漫画」が理解できず、普通なのに誰かに相談しても「言ってる意味がわからない」と相手へ理解に足る説明ができず、「どうしてこんなに何もできないんだろう」「何がわからないのかすらわからない」という泥沼に首くらいまで突っ込んでいました。

 なので、知能検査を受けて「自分が普通であることを数値で証明してもらおう」と思いました。


 詳細は上記のエントリーを見ていただければと思うのですが、結果として検査項目のうち(平均値10のところ)「5」とか「14」という極端な得点数が出た分野があり、「何がわからないのかわからない」その理由が「"何がわからないのかわからない"というつくりのシステムを積んでるから」だと判明しました。

 なので暗黙の了解みたいなのは極力ないようにして、最近は「わからないことは人に聞く」「私が"わからない"ということを了解したうえで対応してくれる人を大切にする」このあたりを意識してコミュニケーションを頑張っています。


 また、処理能力の低さは「穏やかでいること」「不安を抱えないこと」が大事だと言われ、不安を感じるものから距離を取るようにしたところ今まで苦手だった長文をスラスラ読めるようになりました。
 複雑性PTSDの説明として聞いたことのある「トラウマはパフォーマンスを下げるうえ自分ではシャットダウンできず常駐し続ける最悪のアプリケーション」みたいなやつを猛烈に実感しました。


 ちなみに、大切にしたい人を大切にする方法についてはまず自分の頭で考えるようにしています。社会的認知の訓練になるなと思ったので。







・10月、11月(忙しかった)


 おじめい単行本2巻に付随する作業でバタバタしていました。
 長く休止していた連載を再開するのもかなり不安でした。この数ヶ月で自分が受け取った周囲の人のあたたかい気持ちをどうやって自分のメッセージとして発信できるか、なんとか脱落せずに読んでもらえるように意味を組み立ててネームを何回も何回も直しました。それが17話。


 色んな知人に色んな相談をして、色んな本を読んで、色んなことを考えて、がっかりしてめそめそしてどうしようかねというかんじの日も多かったけどなんとか越えてこられました。

 あるタイミングでの仲間内での作業通話で、入室するや否や友人らに「私たちは…ナキさんの味方だよーっ!」と言ってもらえたことが未だに忘れられません。
 今思い出しても泣く。今入力しながら泣いてる。
 こんなぴかぴかの光を浴びられることあるんだ…! ってなった。

 このぴかぴかが本当に温かかったので、どうにかこの気持ちをもっとたくさんの人にお裾分けできないだろうかと真剣に考えるようになりました。




 突然ですがおじめいに限らず自分の制作における基本スタンスは「自分の救済がワンチャン他の人にも役立ったら嬉しい」というライフハックの共有みたいなかんじでして、とはいえなんというか大それてて青臭い志ではあるので「自分ごときが掲げたところで笑われるのはある程度仕方ない」とも思っており……。

 みんなが幸せでありますように、と本気で思うことは割とうさんくさい。(みんな根底ではそう思っているからこそうさんくさいことに使われるのだと私は思っているのですが)


 本気(マジ)ゆえに笑われたら嫌なので(実際笑われたことがあるので)今お世話になっている担当さんを除いて基本的に他人には話していなかったのですが、この時期偶然知り合った人がいたので「たまたま知り合って関係も浅いから逆に言っちゃえ! 笑われてもそこまで傷つかないやろ!」と思い切って

・普遍的な常識への感度が低いので大衆娯楽を描くのに向いてない
・でもやはり自分が今まで受け取ったあたたかさを共有したい気持ちを諦めたくない
・"大衆娯楽"の体裁をとり、広く示すことで一人でも多く安心を共有できるなら頑張って勉強したい(なので最近感情類語辞典を頭から読んでいる)

と語って笑われ待ちをしていたところ、実際あはは、と笑われたのち

「一番めんどくさいとこ行きましたね」

とだけ言われて、めちゃくちゃ救われました。







・12月(生きることにした)



 3食食べられる日も増え、休むべき違和感を察知したら横になり、頑張れそうな日は頑張りたまに筋トレや散歩に出るようになりました。
 嬉しいことを嬉しく思って、悲しいことを悲しく思って、やりたいことを「やりたいです!」と他者に示せるようになりました。

 あと目覚ましい変化としては胃の調子が良いです。食べ物を消化できるようになってきました。今ではなんと白米も消化できる。

 見えたままを受け入れ、人それぞれの人生があることを認識しながら試行錯誤していく今の日々が本当に楽しいです。
 変なこと言っちゃったかなとかうまく伝わったかなとか不安になることもたくさんあるけど、今後の態度でリカバリしていこうと思える自分が今ここにいます。



 割と長い付き合いの知人と最近通話した際「ここ数ヶ月のナキさんは"妙にまわりくどいことをなんだかわからんけどゴリ押しで成し遂げてる"という雰囲気があった」みたいなこと言われて照れました。

 私の周りには「考え過ぎ」と言われてきた人が多く、自分もその一人であり、かつ「私は普通なのだから、普通仲間であるみんながそう言うということは"その先の答えを知っているのにあえて言わない"ってことなのかな」と最近まで本気で考えていました。
 なので「なぜ考え過ぎと言われるのか」という根幹の理由について時間をかけて考える機会は逆にあまりなかった気がします。


 なんとなく気付き始めたのは「みんなが10秒20秒で終わらせる考え事を自分は1時間2時間かけてる」ということです。


 とはいえ今までの人生で行き止まりまで考えないと越えられない局面も多々あったし、決して無駄ではなかったとは思います。でも全部の事象に対してそれをやり始めるとだんだん統合が失調するのでほどほどがいいみたいです。
 最近はそういう「気配」に気づいた段階で思考を強制終了して、暗算アプリとかマインスイーパとかやってます。
 

 だし、現段階での「自分の限界まで考えた感」も実感し始めているので、来年は出力調整をしながらちょうどいい分量を出していけるように頑張りたいところ。





 理性と感情のバランスを取りながら、悩んだり回復したりして生きていくのがヒトの生の楽しみなのだなと実感しています。

 すべてどうにかなるというか、「どうにでもしていける」のだと思います。





 なお今月は本を買い過ぎて貯金が尽きそうなのでチキンレースです。死ぬまでこういう人生ではあるのだろうな。

 





 

来年の目標


・ポケモンみたいな漫画を描く(あえて抽象的に言っているので、今後の制作物で意図を推理してもらえたら嬉しい)

・イラストレーションの仕事をしたい!

・楽しく生きる。なんでも楽しもうとする姿勢を忘れない

・「自分がどうしたいか」と検討し続ける





2024年も頑張ります。

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