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ダイアログ・イン・ザ・ダークを体験して 暗闇の中の光

真っ暗闇
DIALOG IN THE DARK
の世界を体験してきました。


真っ暗な世界のツアーに参加

「目の見えない人は世界をどうみているか」
伊藤亜沙 著
光分社新書

の中にご紹介がありました
東京の外苑前の「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」真っ暗闇を体験できる施設(完全予約制)に足を運んでみました。

人が得る情報の八割から九割は視覚に由来すると言われています

目の見えない人は世界をどう見ているのか 伊藤亜沙著 光分社新書

視覚を使わない、漆黒の中の暗闇、照度ゼロの空間へ。

8人という定員と共にお一人の視覚障害者さんのガイドのもと、真っ暗な空間ツアーの体験。

8人、私にとっては、皆さん初めましてだったのですが、参加された方々はそれぞれ数人ずつお仲間同士のご様子。

体験後、この記事を綴るにあたって色々検索してみれば、最初から一人はもしかすると勇気ある行動だったのかもしれません。

この本でご紹介された2ページほどの内容を読んで参加ボタンをポチり。

とはいえ不安もありました。
暗闇の中での体験ツアーに、「私は女性」という意外な不安も現れました。そして、この日の前日はジェットコースター並みの心の動揺を感じた日。そしてここに着くまでの電車の中でも、とあるメッセージで参加のたった90分にもかかわらず、連絡が閉ざされる新たな不安な現状も起きます。

視覚以外の感覚が開く

手荷物、スマホは全てロッカーへ。
裸足スタイルと動きやすい服装で暗闇へ。

真っ暗闇の中では、視覚障害者さんが心強い存在で導いてくださいます。視覚障害者さんがいてくださるから安心します。

真っ暗闇では、ひとりでは生きれません。ポツリ消えちゃいます。とはいえ、ゆっちという存在。誰か覚えてくれているのだろうか。

体とは、存在とは、わたしとは一体なんでしょう。今日の髪型、お化粧、服装。これまでたくさんのお金をかけてきたものの大半がなんだったんだ!となります。

初めましての人たちでありながらも、手の温もり、声、いや、「存在」に安心します。

きっと、ちょっとこの先どうなるの?もしこの場で一人になったら?

「『今』という時を離れてしまってはいけない!」と本能スイッチに切り替わったようにも思います。

人の気配もだんだん掴めてくるものなんですね。最初は全くでしたが、隣で立っているか座っているか。最後尾にいることや、両隣に人がいる感覚、左に人がいない感覚。なんとなく近くで不安で彷徨っている人がいることも。

視覚以外を感じるツアーであり、驚きある面白い企画内容。綴って良いのかわからないので詳しくは綴りませんが、視覚を使わなければ聴覚、味覚、嗅覚、触覚、もしかするとその他の感覚も使われていくことが体感できました。

絵で見ていた体の仕組み、神経、血液が張り巡らされている写真が頭に浮かびます。

「うるさい」
というのは目で感じていたことにも気付かされます。

多くの「モノ」は要らない、ひとつを味わえば十分じゃん!とも気付かされます。

声のありがたさも気付きます。誰に言われるでもなく、優しい声を放ちたいと感じます。

色を知りたくなります。でも好きにイメージしていいんだと感じます。

平等の世界

暗闇の空間に入ってまず初めに通るのは躙口(にじり口)。茶室の出入り口。千利休さんが思いつかれたと言われています。立っては入れず、刀も中には入れれません。この先、肩書きは関係ありません。この先のお部屋では誰もが平等であるという入り口。

これも偶然なのか、今月に入り初めて茶室の躙口を通らせていただきました。入り口には本当に刀置きもありました。本来なら暗闇で想像しかできないところ、躙口のイメージができたのも私にとっては安心でした。先日訪れた茶室では、お茶を楽しみカルタ大会を行いました。これも偶然なのかそのお仲間の中には目の不自由な方もいらして、その中でのカルタ大会。

私もコンタクトを外せば目の前のカルタが全くわからないのを知ってます。その目の不自由な方の見方をみれば、なんとなくではありますが見え方の察しはつきます。

その方専用に特別にカルタを3枚だけ近くに置いたりという、提案など、皆で出し合い遊びました。

この歳で大人同士の「はじめまして」のお会いした仲間とカルタを楽しむことに最初は戸惑いもありました。が、はじまってしまえば「ハイ!!」と元気な声まで出して。取り合う時の手の重なりがまた楽しく。

目の不自由な方専用のカルタに手を伸ばさないように配慮もあったのですが、中にはその方と手が重なり、その方専用のカルタを取られた方もいたり。

今回の暗闇で、遠慮ないその手の重なりの白熱が、あーよかったんだ!って今になって感じます。

真っ暗闇な世界

「この世は真っ暗闇」という世界も現実存在しているのですね。

でもそこで感じたのは

「今」を生きれること。
心の声を聞けること。
人と繋がる感覚が掴めること。
イメージ力が強まること。
地面にくっついていることの安心。

真っ暗闇の中には全部があります。見えない不自由さにある自由があります。逆に見える不自由さに生きてもいるのです。

見える世界では、導く関係性の見えない人が、見えない世界では導く存在でした。これは見える世界でも、得意な人が不得意な人を導くなど、「おたがいさま」なんだと感じます。

その真っ暗闇の中で、私は「ヒト」をはじめ自然界の「生命」が光なんだと気付かされました。

何をせずとも、ただそこに「在る」私たちの存在で良いのですね。

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この真っ暗闇体験をしたくなったきっかけはこちらから

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