【雑感メモ】食べるは生きる①〜ナスビってどうやってできるの?〜

note始めて2日目、2回目の投稿になります。

昨日の初投稿「はじめまして」に、スキをいただきました!フォローもいただきました!わーい!

せっかく書いても、私なんかじゃ読んでもらえないかも…と不安に思っていたけど、こんな誰とも知らない人が書いた「はじめまして」、読んでくださり、スキをくださり、フォローしてくださる方がいて…ありがとうございます!とても嬉しいです。励みになります。今日も頑張って書こう。何書こうかな。


「はじめまして」で、"私の理想の社会"があると申し上げましたが、理想の社会を語る前に、私が気になっていて、どうにかしたいなと思ってることを、しばらくは綴っていこうと思います。共感してくださる方、「確かにそうかも」と思ってくださる方がいたら、嬉しいです。

その中で、今日は食べ物の話をしましょう。

突然ですが、皆さん、枝豆、とうもろこし、ナスビ、にんじん、タマネギ、キャベツを想像してみてください。

…どんなものかイメージつきましたでしょうか?

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ナスビが大きいのは、私の推し野菜だからです。美味しくて大好きなんです、ナスビ。

皆さんのお子さんにナスビってどんなの?言葉で説明してくれる?って聞いたら、どんな説明してくださるでしょうか。「紫色でね、ツルッとしてて、丸かったり、細長いのもあって、おうちでは漬物出てくるよ、麻婆茄子好きだよ、夏にいっぱい畑を持ってるお隣さんからお裾分けをいただくよ、秋が美味しい季節なんでしょ、、、」年齢にもよりますが、こんなお話が弾んだら、嬉しいですね。


じゃあ、ナスビや枝豆、キャベツ、とうもろこし、にんじん、タマネギって、どうやって育つの?畑にどんな姿でなってるの?って聞いたら…どうでしょうか。お子さんのみならず、皆さんはどうでしょうか。イメージが浮かぶ方って、どれくらいいらっしゃいますかね。

ごめんなさい、私、説明できる自信がありません。畑に青々と茂ってるたくさんの種類の野菜を見て、葉っぱを見て、どれが何の野菜だよって、区別して説明できる自信がありません。私は都会育ちなわけではありません。のどかな地方出身ですが、それでも分かりません。私が知ってるそれらの野菜たちって、スーパーや産直市場で袋詰めされた、果実だけなんです。

一時期、「最近の子どもは、スーパーで売られているパックの切り身の状態を魚だと思っている。『泳いでいる魚の絵を描こう』って先生に言われて子どもが書いた絵が、切り身の魚だった」なんて話がちょっと話題になったのを覚えている人はいらっしゃるでしょうか。真偽が分からないと言われていますが、私は、そういう子どもがいても不思議じゃないなと思います。大人でも分からない人も、私と同じように実はある程度いらっしゃるのではないかなと思います。

お魚なら水族館で、牛や豚、羊、鳥なら動物園で見られるかもしれません。でも、お米や小麦、油、野菜や果物の姿って、いつの間にかとっても遠く遠くなっちゃっていないでしょうか。

生きていくためになくてはならないはずの食料のこと、ちゃんと分かってなくて良いのでしょうか。子どもにはどうやって、食べること、ひいては生きることを知って貰えば良いのでしょうか。私にはまだ子どもはいませんが、子どもがいたとしたらどうやって教えれば良いのか、分からないんです。

確かに、便利な今の時代、スーパーでもコンビニでも、元の姿を知らなくても、調理された食事は手に入ります。スーパーで買えるんだから、ネット通販で買えるんだから、それで良い。それを勉強したり調理したりする時間があるなら、ほかにやりたいことをやる。時間がもったいない。自分のために良いバランスで使ってくれる人がいて、その人はちゃんと分かってるんだから、自分は完成したものを受け取れば良い。

…そうかもしれません。それどころか、いつか、栄養素を詰め込んだサプリで栄養摂取は効率よく完了、原料の姿なんて知らなくて良い、なんて時代も来るかもしれません。

でも、私は、いつか育てるかもしれない自分の子どもには、自分が食べるものがどうやって出来ているのか、自分がどうやって生きているのか、ちゃんと分かって生きてほしいです。

自分が口にする食べ物には、いったいどれだけの人たちのどんな努力があるのか。より病気や虫に強い種子や苗を研究している人、24時間365日をかけて作物を育て上げる人、育った作物を畑から手元まで送り届ける人、食べ物をお店で売ってくれる人、台所や工場で美味しい形に仕上げる人…そういうのがちゃんと分かる人であってほしいし、私もそういう人でありたいです。

便利はとても良いことですが、完成された状態でそばにあることが当たり前すぎると、いざとなった時にどうすれば良いか分からなくなります。どうやっていつも当たり前のように自分のそばにあるのか、想像もできなくなります。

今年の春、新型コロナは、私たちに当たり前が当たり前じゃないことを教えてくれました。

売り切れになるかもと思ってスーパーに殺到した人たちで、マスクだけじゃなく、パスタなどのいくつかの食料品も一時的に欠品になりました。逆に、学校給食や外食産業の需要がなくなったことで、せっかく育てた野菜や牛乳の届け先がなくなって困り果てた農家さんたちもいました。報道でそういう事態を知り、自分たちの食料が普段どうやって作られているか、改めて考えた方も多いのではないかと思います。

必要になったら政府が、企業が、必要な情報を教えてくれる。それはそうかもしれないし、それが政府や企業の役目だとも思います。でも、自分で自分の命をつなぐために必要なことや、そのための社会の仕組みは、分かっていないと、分かろうとしないといけないと思います。特に食べることについては。生きるために。


「食べる」をテーマにしたことは、ほかにもまだ気になってることがあるので、また続きを書きますね。今日はこの辺で。 

今夜のnote書きのお供は干し芋でした。私、干し芋の作り方もよく知らないな。今度見学に行こう。

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では、おやすみなさい!関係あること、あんまりないこと、コメント歓迎です。






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