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お爺さん(74歳)の思い出 その24 父母の事

父と母は20代半ばで結婚している。父は働き者であつたが、貧乏な家庭で育つ。一方母は竹屋さんで生まれ育っている。当時は雨傘日傘共に竹で手作りであった。他にも、提灯や扇子、団扇など、職人さんが丁寧に一本一本作っていました。剣道の竹刀も作っていた。多くの需要があり、結構な暮らしをしていたようです。

従って、父よりも母の家の方が、数段上の家系であったようです。(当時の結婚は家柄や家の格を比べる時代でした)母はあまり乗り気ではなかつたが、母のお父さんが父の働きぶりに、大変気に入って母に進めたそうである。

家同士は近く、何時でも歩いて帰れる距離でした。私達が子供の頃は母に連れられて、よく遊びに行きました。母も実家に帰るのが楽しみなようでした。

父は働き者ではありましたが、気が短く直ぐに手が出る人でした。母どれだけ殴られたかわからないと、晩年には語っていました。

母は、農家の生まれではないのに、加えて学校卒業後は街の魚屋さんに、働きに行っていたそうで、農家のことは全くわからなかったと言います。

その事をわかっていたかどうか、父は容赦なく母に、一人前の仕事を要求したといいます。母は仕事が出来ないから、怒られてばかり、かてて加えて母は勝気な人でしたから、怒られても引き下がらずに、クチゴタエ(反論)をしていたそうで、そこでまた父の怒りが倍増する💢そんな夫婦ですが、仕事場は農家でありますから、殆ど一緒に仕事をします。

しかも、五人の子供を産み育てている、その共同作業は見事と感心します。

子供の五人は、長女から三つ違いの長男、二つ違いの次女、三つ違いの次男、五つ違いの三男と上手く生み分けています、しかも、長女から次男までの四人は、みんな早生まれ(ニ月三月)です。

夫婦喧嘩は絶えなかったようですが、子供は立派に産み育てています。脱帽です。

父母が亡くなった今でも、五人兄弟は時々集まっては食事をしたり、旅行したりと皆んな仲良くやっています。

今回はこれくらいで終わります。本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

次回も宜しくお願いします。

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