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畑について

今日は長いこと放ったからかしだった畑に久しぶりに踏み入れた。
うっそうと茂ったジャングルのようになった畑に最初は半袖で入ろうとしたが、すぐに大量の蚊の襲撃に遭ったため家に戻って長袖を着込み、首にもタオルを巻いてフル装備で臨む。

そもそも八百屋の仕事でいろんな農家さんから野菜を仕入れているので、野菜を作る必要は全くないのだが、毎年5月のゴールデンウィークになってホームセンターに夏野菜の苗が並び出す頃にはソワソワしてきて、そうこうしているうちに農家さんから余った苗をもらったりして、結局いつもギリギリになって畑を準備して夏野菜を育てている。
とは言え今の家の前にある畑は夜になると普通に鹿や小動物が自由に歩き回って食物を漁りに来るので、去年までは植えたは良いもののほとんど収穫らしい収穫はできなかった。で、そうなると自ずと畑にも足が向かず、ほぼ放置プレイな状態が3年ほど続いてしまっていた。

今年は一念発起してちゃんと収穫できる畑をやろうと思い立ち、5月初旬に竹をたくさん伐って来て、幅5m、奥行き10m、高さ2mぐらいの棚を作り、その棚の周りにぐるりと鹿よけネットを張り巡らし、自分のテリトリーを明確に線引きした。おかげさまで今年は特にトマトはたくさん収穫できたし、キュウリやナス、シソ、食用ほおづきなどもそこそこ採れた。そして本命のヘチマも予定通り、夏野菜が終わる今頃に棚を覆い尽くして実を付けている。
夏野菜はお盆前にはひと通り採り尽くしたためここ最近は畑に行ってなかったのだが、今日は久しぶりに様子を見に行ってみた。

鬱蒼と茂るジャングルのような畑
鬱蒼と茂るジャングルと化した畑
カボチャの花はウリハムシ天国
まともな実が付かなくなったミニトマト

土に触れて、湿気にまみれ、虫にたかられ、腐敗なのか発酵なのか分からない状態の実に触り、鎌を片手に少しずつ雑草を刈りながら自分の通り道を作って行く。5月に竹の支柱を立てて畝を立てたころは完全に僕がこの畑の主だったのに、8月の終わりにわずか1,2週間放置しただけでそこはあらゆる生き物に乗っ取られている。それだけ夏という季節が生命力に溢れているわけだが、この「ムワ~ッ」とした濃厚な生命力にまみれるのが僕はたまらなく好きだ。
プロの農家だったらはこうはいかない。畑を自然に乗っ取られたら商売にならないのだから。

僕にとっての畑とは、無責任に自然との駆け引きを楽しむ場なのだ。
放置しすぎて枯らしてしまうこともあるし、気まぐれでやる気を出してたくさん収穫できることもある。今日なんかはほんとに雑草にまみれていたので、雑草を親の仇のように排除することに没頭していたが、余裕があるときは残す雑草と取り除く雑草を選んだりもする。
他の生命の営みの気配を感じ、その中で自分が何を選び、どう行動するかを考え、その結果採れたものをおいしくいただく。山歩きやダイビングなどのいわゆるアウトドアアクティビティの一種として捉えると、「農」という活動はもう一歩踏み込んで自然に干渉しているアクティビティだと思う。

変形ヘチマ
ヘチマの花芽は上へ上へと伸びている
実を付け始めたヘチマ

そしてなによりも惹かれるのは、僕が干渉してもしなくても、自分が意図的に植えた野菜も、勝手に生えてくる草も、あらゆる命がそこでは「一所懸命」生きているのを感じられることだ。「一所懸命」とはよく言ったもので、文字通り彼らは一所に留まってどこに行くこともできない。その与えられた持ち場で、他のあらゆる生命との関係性の中で、ただ懸命に生きている。

そしてその懸命さが、とてつもなく美しい造形として、根や茎、葉や花や実に現れてくる。

ほぼ収穫が終わったトマトだが、上の方はまだ新しい芽が出て花が咲いて実を付けている
棚の上にかけたネットの隙間から突き出して伸びるトマト
トマトの力強い茎
幾何学的なヘチマの花芽
途中で枯れてしまったヘチマ
懸命に日光を浴びようとめいっぱい広げたヘチマの葉

農業の大きな目的が食糧生産なのは間違いないが、そこだけに限定してしまうのはとてももったいないことだと僕は思っている。大規模で高度に効率化された農業は、社会にとって必要ではあるけれども、それ一辺倒ではどこか味気が無い。

そういう視点で見るとオーガニック業界は、一人一人の農家が独自のこだわりを持って生産し、商品としての価値基準やパッケージを含めた見せ方までとても個性的で、それぞれの野菜から作り手の顔が見えると言っても過言ではない。一歩踏み込んでその農家さんのことをもっと知れたら、その人がどんな理由で農薬を使わない(もしくは使う)のか、とか、土づくりや施肥設計、栽培管理など、すべてにおいてその人の想いや考え方が反映されていて、どのようにして自然と向き合いながら仕事をしているかが分かる。

僕の畑は無責任に自然と戯れることしかしていないのだが、農家さんはいろんな意味でより真剣に自然と向き合っている。この自然との向き合い方において僕はプロ農家の仕事をとても尊いと思っている。野菜が他の草や獣や天候と共に生存をかけて一所懸命に生きているのと同じように、農家さんも生存をかけて雑草や獣や天候に向き合って一所懸命に仕事している。

僕らが食べるものは基本的に全て土から生まれている。。と断言できない時代になって来てはいるが、少なくとも野菜に関しては、たとえそれが水耕栽培であっても、元となっている種は土由来のものである。

種は土に落ち、太陽の光と雨水によって根と葉からエネルギーを吸収して育ち、僕らはその実りをいただいて生きている。
オーガニックやサスティナビリティやレジリエンスといった近年注目されている概念を本当に理解するためには、このエネルギーのダイナミズムの中で僕らが生かされているということを畑で実感するのが結局一番早いのではないか、と思う。

というわけで、自由に自然と戯れることができる家庭菜園は本当におススメです!


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