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[玉前神社+須佐神社+大洗磯前神社+世継稲荷神社+築土神社+観音崎権現洞窟と寂光土] 引き寄せられる力に逆らわない私

前もって計画して訪れる寺社と衝動的に訪れたくなって訪れる寺社に違いがあるかというと・・・、無いです。

もともと神様に引き寄せられてその寺社を訪れるため、神様から呼ばれて訪れることに、違いはありません。寧ろ衝動的に訪れる神社は、神様からのメッセージに私たちが気が付いておらず、ある日、唐突に神様に会いに行きたい!と思い立ったような心象を持ちますが、日頃より神様からの「おいでなさい」のメッセージは到着しています。

では神様から到着するメッセージにもっと敏感になるためにはどうすればよいかというと、まずは心身に溜まっている穢れ=気枯れを取り除くことであり、次にエネルギーを高めることの2つです。

日頃より塩で心身を清めることで穢れを祓い、そして、呼ばれる神様のもとへ足を運ぶことで神様からのエネルギーを吸収することです。プラス、写経や祝詞を奏上することを楽しみ、そしてその行為が日々の生き甲斐になってくると、神様とのコミュニケーションから自生パワーが養われ、自分でエネルギーを作り出していきます。そのパワーは自分を信じる力となります。

私の場合、将門公の首塚を訪れる都度、「自分を信じる力」というメッセージを頂戴しますが、まさにこの「自生する力を身に着けよ」と、鼓舞され続けています。自分の力を信じて要石になるべく、切磋琢磨の日々は続きますがその中でも呼ばれるタイミングがある寺社や土地をご紹介したと思います。


玉前神社(たまさきじんじゃ)ー 千葉県長生郡一宮町

ご祭神に神武天皇の母である玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀り、良縁や安産、子宝にご利益があるとされる。玉依姫命の玉は神様の霊魂が依りつく三種神器の勾玉でもあり、その玉に仕える巫女として、玉依姫命は神様を引き寄せる神様としても敬愛される。

玉前神社

玉前神社はご来光レイラインの最も東に位置するため、新しく物事を始めたい方や起死回生といった再生や復活を望む方々が春分・秋分の日にこの地を訪れる。

玉前神社 本殿

はだしの道という白玉砂利の上を裸足で3周すると魂がリフレッシュされるという謂れがあり、一周目では玉石という荒魂を通して体に溜まった穢れ(気枯れ)を取り除き、二周目では大地を流れる幸魂であり、奇魂のエネルギーを体に取り込み、そして三周目ではそれらの霊魂が和をなすことで、人それぞれが生まれた時に神様より与えられた霊力を取り戻すとされる。

はだしの道
はだしの道
一周廻りで無垢となり
二周廻りて気を入れて
三周廻りて気を満たす
はだしの道

また子宝・子授けイチョウは、雄株、雌株、そして子供のイチョウの順に木に触れることで、子宝に恵まれたり、良い縁にめぐりあえると言われている。

子宝・子授けイチョウ

上総十二社祭りという玉依姫命とその一族の神様が釣ヶ崎海岸で年に一度、再会されるという儀礼があり、その神々が十二社に祀られている。

十二神社

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何か新しいことが始まる前に玉前神社に呼ばれます。
新しい物事が始まるということは、古いものを手放すタイミングでもあり、先日、玉依姫命から呼ばれる引き寄せのエネルギーに居てもたってもいられず、大雨の予報にもかかわらず、玉前神社へ向かいました。
自宅の最寄りの駅ではすでに雨が降り始めていましたが、目的地である玉前神社に到着すると、雨は降っていませんでした。
本殿を参った後、はだしの道を歩き始めると、二周目を廻ったところ辺りより、ポツリポツリと雨が降り始めました。一周目で古く気枯れたエネルギーを大地へ放出させていただき、二周目で新しく幸と奇魂エネルギーを体に入れていたため、三周目の魂を和合させるタイミングで雨が降ってきたため、天からの雨水(あまみず)は天水(あまみず)として神様からのエネルギーも入れてもらえたようです。こういった神様からのメッセージが分かるようになると常に神様が私たちを見守ってくださっていると確信できます。

初めてはだしの道の玉石の上を裸足で歩いた時は、玉石からの痛みは尋常ではなく、前に進むことさえ困難でしたが、今回は二周目以外は比較的スムーズに歩けたため、神様からのメッセージは二周目にあったようです。つまり、私はシアワセ者であり、常に自分を信じることで前に進む、が神様からのメッセージでした。


須佐神社(すさじんじゃ)ー 島根県出雲市

八岐大蛇退治の伝説で知られる須佐之男命(すさのおのみこと)を主祭神として祀り、稲田比売命(いなたひめのみこと/別称:櫛名田比売 くしなだひめ)とその父母である足摩槌命(あしなづちのみこと)と手摩槌命(てなづちのみこと)を合祀する。

須佐神社 鳥居と随神門

天照大神の弟神と知られる須佐之男命は荒ぶる神として、その狼藉により天照大神が天の岩戸に隠れてしまう事件を起こしたり、その乱暴な性格から八岐大蛇の条では、高天原を追放され、出雲の国に降りた頭と尾が8つある八岐大蛇を退治して、その際に大蛇の生贄にされかけた櫛名田比売命を助けたことより、妻に迎えたりと破天荒な伝説が多く残る神である。

天照社
須佐神社を正面に道を挟んだ向かい側には天照社がたち、影ながら弟である須佐之男命を常に見守るように天照大神が祀られている。
落ち葉の槇
七不思議のひとつ:
須佐之男命の妃神である稲田姫が、誕生山でお産をされた際、産具を槇葉に包み、松葉で綴って流瀬川(現在の原田川)に流されたとされ、それが流れ着いた所に槇と松が生えたとされる。今でも槇葉の縁に松葉で刺したような穴があり、須佐神社の御神紋「蔓柏(つるかしわ)」はこの云われに由来して定められたものである。
神馬の墓
七不思議のひとつ:
神馬を奉納すると、どの色の馬も後に白馬に変り、異常をよく予知したという。常立(とこたち)の馬と呼ばれていたが今は無く、神社裏の川畔に墓が作られている。
三穂社
美保神社と同様に、三穂津姫命(みほつひめのみこと)と事代主命(ことしろぬし)の二柱が祀られており、三穂津姫命は大国主の皇后であり、事代主命の義母にあたる。また三穂津姫命は天津神である高皇産霊尊(たかひむすひのみこと)の娘として、国津神の大国主へ嫁入りをしたこと、またその第一の御子神となる事代主神の義母であることより美穂社は天津と国津の神々が統合した証でもあり、天津神 須佐と国津の子である櫛名田姫の末社としての意味をなす。
大杉
本殿の裏側に佇む樹齢1300年を超えるご神木

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須佐神社も神様から呼ばれて訪れる一柱です。須佐之男命といえば、荒々しいやんちゃな神様ですが、自分に意思に素直に生きている神様かなと思います。自分がやってみたいことをやる・やってみるといった自分を信じて行動を起こす神様として、多少リスクを伴うような新しい物事へ果敢にチャンレンジする際に現れてくる神様です。また天津と国津を統合された神様の一人として、固定概念を崩しながら調和を築き上げていく、破壊と創造のエネルギーを常に流れている須佐神社へ、呼ばれてるなと感じられた方は是非、足を運んでください。


大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ) ー 茨城県大洗町

大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が主祭神として祀られ、大己貴命は大国主命や大黒様の別呼称を持ち、因幡の兎を助けた慈悲深く、福徳を授ける神様として知られており、また少彦名命は大国主命と協力して国づくりに活躍された神様として医薬や農耕、ひいては温泉開発の神様などとしても広く知られている。

大洗磯前神社
大洗磯前神社 拝殿
大洗磯前神社
大洗磯前神社 神池
神磯の鳥居

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少彦名命は一寸法師としても知られており、とても小さな神様だったようですがその神力は多岐に渡り、今の私たちの日常生活へ最も貢献された神様かなと思います。医薬や湯治場等、病気を治癒させる力であったり、酒造といったお酒は古来より薬の一つとされてきたため、少彦名命が酒造りの技術を広めたことも、国づくりへの大きな貢献といえます。大国主命と国を作った少彦名命は、国作りが終わると常世国(とこよのくに)へ渡っていったとされ、常世国とは不老不死や若返りが叶う理想郷であるとされています。
大洗磯前神社へ呼ばれた時は、「今、やるべきことに、しっかりと地に足をつけて頑張りなさい!」と応援が来ています。やるべきことを成し遂げるまで、少彦名命は相棒としてサポートしてくれています。


世継稲荷神社 & 築土神社(よつぎいなりじんじゃ & つくどじんじゃ) ー 東京都千代田区

「お稲荷さん」として親しまれる宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)をご祭神に、飯田町に創建された稲荷神社であったが、その昔この一帯を田安村といったことから田安稲荷とも称されていた。
徳川秀忠が社を参拝した折、「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛したことより、「世継稲荷」と称されるようになったとされる。

また、築土神社には神武天皇の祖父にあたる天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)を主祭神に平将門と菅原道真を配祀されており、もともと築土神社には平将門の首が安置されていたとされており、将門ゆかりの社寺の中でも将門信仰の象徴的神社となっていたが、明治以降、時代の流れにより天津彦火邇々杵尊が築土神社の主祭神となった。
菅原道真が太宰府にて没したその年に将門が生まれていることや、道真の霊験が将門に宿っていたといった説もあり、将門は道真の生まれ変わりと言われるようになり、古くは末社に道真を祀っていたが、後に将門と配祀されるようになった。

築土神社
神世継稲荷神社
神世継稲荷神社 横
力石

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ご祭神に様々な神様が祀られていることより、とてもユニークな神社であると思います。瓊瓊杵尊という天照大神の孫にあたり国土建設の礎となった神様が祀られているほか、宇迦之御魂神といった須佐之男命の子孫であり、五穀豊穣の神様が祀られていたり、ひいては将門公や菅原道真といった武芸や学問の神様も祀られていたりと、この神社は霊魂のルツボ的なエネルギーが流れています。
まずは遠巻きに眺めながら、一旦結界内に入り込んでしまうと、自分も神様たちと同じような、もともとの私たちは神様を模写して創造されていることより、エネルギーを感じます。このエネルギーは紆余曲折してきた人生の方を特に引き込んでいくようでもあり、一旦、寺社内に入ると、今度は境内をグルグルと数周も廻ってしまい、納得がいくまで境内に居たい気持ちになります。

神社へ行くと必ず、その神社やご祭神の絵馬を購入しますが、なかなか気を引くようなものがなく、うろうろしていると、ふと目の前に一つだけ小ぶりの絵馬が置いてありました。
この絵馬には神社の名前が入っていませんが、どうしても気になるため、将門公の大麻と絵馬を購入しようと差し出すと、この絵馬は神社が授与する絵馬ではありませんでした。そういうわけで、その絵馬をそのまま頂戴することになりました。

世継稲荷神社 & 築土神社で頂戴した絵馬

ご縁とは不思議なもので、上述では神様のルツボのエネルギーを感じる神社と表現しましたが、まさに様々な物事が行きかう場所でもありそうです。未だに上記の絵馬がどこからやってきたのかわかりませんが、一つ言えることは、私とご縁があり、未だに私の傍で一緒にいることです。


観音崎権現洞窟 & 寂光土 ー 神奈川県横須賀市

観音崎公園から多々良浜へ向かう途中に権現洞窟という、その昔、諸国行脚をしていた行基上人が村人を苦しめる白い大蛇と山一帯に住みつく鵜を退治した後、平穏を願い観音像を祀った洞窟がある。この観音様がこの土地を守っているという謂れより、観音崎と呼ぶようになった。

観音崎公園入口
権現洞窟

また、国を守るためには戦死した武士たちや、飢饉で亡くなった人々の無縁仏の墓とされており、往時には観音寺に葬られていたとされる。
寂光土とは、煩悩による心身の乱れがなく(寂)、また智慧が輝く(光)とところ(土)という仏の世界と言われている。

寂光土

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ハワイのカネアナ洞窟の前で、まさにこの権現洞窟と同じエネルギーの強さを感じました。ゾクゾクを感じると同時に、洞窟の中に引き込まれていきそうな力強いエネルギーです。
更にはカネアナ洞窟の中に滞在している間、ずっと権現洞窟からくるエネルギーが止まらないため、数年訪れていない権現洞窟へ呼ばれるがままに行ってみました。

権現洞窟正面
カネアナ洞窟正面

昔は権現洞窟の中に入れましたがここ数年の間に門が設けられ、観音様も配置され、洞内には入れなくなりましたが、遠くからだけでも中に滞在しているエネルギーを感じます。
カネアナ洞窟は現世から来世へ旅立つポータルの役割をもつように、権現洞窟も寂光土への道の役割を持ってます。たまたまドライブ中にカネアナ洞窟に出くわしたと思っていましたが、実は観音崎へ「おいでなさい」というメッセージがあったことを今、再度権現洞窟を訪れてみて、そして寂光土の無縁仏を拝顔することで、すっきりと理解できました。

私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。

今を大切にお過ごしください。



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