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[ユタ+月輪寺+興喜天満神社+揖夜神社] 山々に囲まれ、隠(こも)っている土地にある光

多くの光を浴びることで、私たち人間はおどろくほどに、心も身体もその光に融合してしまう経験をします。光の中へ入っていくのか、光が身体を包み込むのか、どちらの状態も起こっています。
日光浴という言葉がありますが、まさに太陽の光の下には多くのエネルギーがあり、またそのエネルギーを植物が吸い込むことで、今度は植物の中にいる精霊が更なるエネルギーを産出していきます。
地球という惑星の中にいる私たち人間はそういったエネルギーを吸収する機会を常に与えられており、その機会をうまく活用しながら寿命を延ばしてきました。
今の私たちは寿命を延ばすことが生き甲斐ではなく、そういった私たちの祖先が行ってきたエネルギーの活用方法を、更に進化させることが私たちの使命です。
山々に囲まれた谷間に住み着いた先住民である私たちの大先祖様がみた神々をご紹介しながら、中今、私たちの個々に渡された使命を見つけていければと思います。



ローガン ー Logan, Utah, USA

ユタ州はアメリカの中でも先住民がこよなく愛した自然の精霊が宿る土地であり、アーチーズ(Arches)をはじめ、 ブライスキャニオン(Bryce Canyon)やザイオン(Zion)といった国立公園に指定された大地である。

パークシティ

特に、ユタ州北部からアイダホ州につながるキャッシュ谷(Cache Valley)はその名の通り山と山にある谷間を開拓した土地であり、今もなお、ワイルドウエストが残されている。

アメリカン・ウェスト・ヘリテイジ・センターの裏にある大地

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ソルトレイクより北へ上る途中でキャッシュカウンティと言われる谷間の町へ続く道が現れます。雪深い土地であるため、長い冬を過ごす、静かな落ち着いた土地かなと思いきや、山肌を見てもわかりますが、まさに地面よりモコモコとエネルギーが湧き出る、まるでハワイのカネアキ・ヘイアウを思い出させる勢いのある土地です。

アメリカン・ウェスト・ヘリテイジ・センター(American West Heritage Center)という看板に引き寄せられて入ってみると、「今はお休み期間中だけど私が居るので見ていっていいよ」と、これから始まる秋のイベントの準備で館にいた女性がとても親切な応対をしてくださり、感謝しつつ館内を歩きはじめました。

アメリカン・ウェスト・ヘリテイジ・センター

壁にあるオブジェを見ながら、ふと正面に拡がるガラス窓からの外に。「あお、いつも私が心の中に見ている景色だ」と思い、「来るべくして、ここに来たかも・・・」と、「ここから外に出てもいい?」と尋ねると、「もちろん」との声を後に、館の裏側に広がる広大な大地へ飛び出しました。

心の中に蘇る景色

「この景色が私の心の中に常にあって、そしてこの色彩が出てくる」とデジャブ―のような関心を持ちながら、「だからかな、この色彩が一番好きだし、心が穏やかになる」と、初めてみる景色ではない、昔から宿っていたものがよみがえってきたかのような気持ちでした。

蘇る景色の色彩

ご縁につながるには、そのご縁を思い出すことから始まる気がします。最初は、なぜか気になるから始まり、よく見かける・よく耳にするに変わり、たまたま時間ができて行ってみた、がご縁への流れのようです。

ご縁や引き寄せに気が付かない場合は、こういった一連の流れが何度も何度も訪れます。自分でご縁の場所までいけない場合は誰かが「今度行ってみようと思うけど一緒に行く?」と、他愛のない会話からそのご縁がもたらされるケースもあります。ご縁への結びは様々ですのでそのチャンスが到来した際には常に身体がAvailableであるように、日々、身体のケアをしていただければ幸いです。

月輪寺(つきのわでら) ー 京都市右京区嵯峨清滝月ノ輪町

愛宕山の東側山中に位置する月輪寺は天台宗の寺院として、法然上人や空也上人にゆかりが深く、また修験道の山として役小角(えんのおづぬ)と雲遍上人が修験した山としても知られている。

愛宕山 月輪寺への山道
愛宕山 月輪寺への山道

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ここ数か月間、愛宕山の話題がよく出てくるため、思い切って月輪寺へ行ってみようとその日の朝に思い立ち、出かけました。山道を徒歩で約2時間ほど登ったところにある月輪寺ですが、その道のりは思ったように険しく、07/36まで登ったところで断念しました。

07/36 道しるべ

というのも、06/36のところ辺りでどこからともなく黒いアブがやってきて、右耳の辺りをブンブンと飛ぶため、「これは何かあるな」と思い、時計を見ると1時間15分ほど歩いていました。後から歩いてくる母親の姿も見えなくなってしまっており、そろそろ降りようかと思い、母親へ電話をしようとすると、どうも同じタイミングで電話に着信があり、取り損ねたため、折り返ししようとすると、「あかん」というメッセージが出てきました。

折り返し電話をしてみると、
「まだまだ上に昇る?私はもう降りようと思うけど・・・」とのことで、
「私も降りるつもり」と話すと、
「少し上の方で2-3人の女性陣がキャッキャキャッキャと話しているから、もうそろそろ頂上かなと思ってるけど・・・」、
「いやいや、まだまだあるみたい、さっき通り過ぎていった男性曰く、1/5ぐらいしか登ってきてないらしい」と話をしてから降りることを告げ、電話を切りました。

その後、最後の一絞りの力でで07/36まで歩いてからUターンをしようと思い、再度、母には先に下山してもらおうと電話をすると、「ごめん、さっき話した女性陣がキャッキャキャッキャと話しているので電話の音が聞こえなかった」と話した後、先に下山をしてほしい旨を伝えました。

この母との会話に多少なりとも違和感を感じながら、私の方が先に歩いてきたけど、そういった女性陣たちに出会わなかったし、またこの静かな山中でそれほど大きな声で複数の女性が笑っているのであれば私にも聞こえてもいいはずだけれども、全くそういった声を聞き取れてないな・・・と腑に落ちない現象を脳裏に、取り敢えず無事下山することに注力を注ぎました。

その後、母とは空也の滝への分かれ道で落ち合い、先ほどの女性陣のことが気になり、再度聞いてみると、2-3名の女性が楽しそうに笑う声が頭上にしていたそうで、もしかするともう少しで頂上かなと思いながら体力的に難しいため、思い切って降りようと思ったそうです。
その同じ道を辿って帰ってきた私はそういった声も女性たちにも逢わなかったため、不思議な話だけれど、無事下山できたため、「ま、いいか」と思い、帰宅の途につきました。

その次の日、どうしてもその女性たちのことが気になり、また山にはキツネやタヌキが人を騙すという逸話を思い出し、母に「狐に騙されかけたんじゃないの?もっと登れ、登れとけしかけられたとか・・・」と話すと、とても陽気な笑い声だったのでそういう心象を受けることはなかったけれど、確かに疲れているにもかかわらず、もう少ししたら頂上かなといった浮ついた気持ちにもさせられたため、もしかすると狐に騙されかけたかも・・・ということで会話は一旦落ち着きました。その次の次の日になると、狐に化かされるって怖いという気持ちが大きくなってきたため、どうしても事の真相が知りたくなり、知り合いの霊媒師の方へ問い合わせをしてみると、全く違った精霊の声を頂戴することになりました。

その昔、京都の大名のもとにて、女官として働いていた母方の3名の大先祖様が大名の心願をもち、愛宕山へ願掛け契約へ出向いたそうです。結果、その心願が叶うことは無かったそうで、その責任を取ることとなった女官たちは生贄として非業の最期を遂げたそうです。

その後、数百年間、成仏していない3名の女官たちの魂は愛宕山を彷徨いつづけることとなり、そんな中今、子孫となる母と私が愛宕山を訪れたことで、成仏できなかった魂がようやく成仏できるとキャッキャキャッキャ、うれしさのあまりに、はしゃいだため、その笑い声を母は聞いたようです。

てっきりお狐様に騙されたのかと思いましたが、実は大先祖様を供養することができ、その喜びが大きな笑いとなって現れたようです。その日は9月17日の彼岸前でした。

ご縁とは不思議なもので、そのご縁が結ばれるまでやってきます。ご縁への結びは様々です。そのチャンスが到来した際には身体が動けるように日々、身体のケアをしていただければ幸いです。


與喜天満神社(よきてんまんじんじゃ) ー 奈良県桜井市初瀬

天照大神がはじめて天上界から葦原ノ中国(あしはらのなかつくに)へ降臨された磐座がある與喜山は、古代より太陽の昇る神聖な山として崇められており、その山麓には日本最古の天神を祀る與喜天満神社が鎮座する。

伊勢神宮信仰の原点 天照大神が降臨されたとされる磐座
與喜天満神社 鳥居
與喜天満神社 本殿

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牡丹の咲く時節になると長谷寺を思い出しますが、そのお隣に與喜天満神社があることは知人に紹介されるまで知りませんでした。

入り口から望む階段と山に圧倒されますが、とても朗らかな気が流れているため、一歩一歩をかみしめながら登っていくと、山の谷間にひっそりと佇む神社が現れます。

與喜天満神社 本殿

まず境内にあるその光の多さに圧倒されます。その日は風が吹いていないにも関わらず、空気が澄みきっていて、時間が全く動いていない空間或いは、時空に入ったかのような錯覚を起こしました。古代の人々がこの土地に天照大神を迎え、與喜山の斜面に拝殿を作った気持ちが蘇ります。
山の谷間に隠れるように住み始めた古代人はこの山にだけ存在する次元を異次元として認識して、体験していたようです。

自然の中に存在するエネルギーを通して八百万の神を感じ、その神々と共に1年という時間を過ごし、そして天照というあますことなく光をもたらす神を敬うことで、山々に隠れるように佇む谷間へ、光からもたらされる生きる喜びである大地の恵みをいただいていたいう声が聞こえてきます。

知人に教わり、尋ねた與喜天満神社は、初瀬の谷間で想像もしないような多くの光をもち、そして人の心がはじけるような解放感と、その神様からのご縁に感謝しつつ、暮らしてきたようです。ご縁を感じる方は是非、足を運んでいただければ幸いです。


揖夜神社(いやじんじゃ) ー 島根県松江市東出雲町揖屋

主祭神を伊弉冉命(いざなみのみこと)として、黄泉の国へと続く黄泉比良坂(よもつひらさか)の近くにある古社である。出雲大社に鎮座する大己貴命/大国主命をはじめ、大国主命と共に国づくりをした少彦名命や大国主命の子供である事代主命(三保神社 主祭神)と武御名方命(諏訪大社 主祭神)、そして経津主命(香取神宮 主祭神)といった国づくりに寄与した神々が配神として祀られている。

揖夜神社 拝殿
隋神門(ずいしんもん)
悪霊の侵入を防ぐために左右に祀られている門番の神々
荒神社 大蛇
大蛇神をチイナマイトと呼び、藁で作った大蛇が奉納されている
藁で作った大蛇
荒神を祀った樹木に藁であんだ大蛇を巻きつける
藁で作った大蛇
大蛇神を農耕や牛馬の神として信仰する
藁で作った大蛇
荒神を祀った大蛇の周囲には御幣を刺す

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使ったことが無いような揖夜神社の揖には、中国古代の敬礼の一つである両手を胸の前に組み合わせて行う礼法を意味するらしく、その他にも、あつまるや譲るという意味を持つようです。
揖夜神社は伊弉冉命を筆頭に大国主やその息子たち、そして国譲りへ貢献した神々が全員集合していることもあり、私たちの皇祖神となる天照大神や祖神となる瓊瓊杵尊に敬意を表して祀られたのかなと思いましたが、その配神を見ていると、譲るという言葉が、自分のものを他の人に与えるということではないような気がします。むしろ物事が変化していく中で、その変化を受け入れ、融合していくことが、その他の配神である少彦名命と経津主命が祀られている所以であり、また経津主命はいらっしゃっても武甕槌命にはご遠慮いただいたのかなと思いました。

揖夜神社 拝殿

風の時代、多くの物事が変化を起こし、変化をしていく最中、その変化を受け入れ、その変化を自分自身に融合していくことが、生きる道です。土の時代に培ったものを手放すことが求められているのではなく、その培ったものを次の形へ、次の時空へ変化させていく勇気を持つこと、そして果敢に新しいことへチャレンジしていくことが求められる時代です。
変化は私たち自身が気が付かない処で、時間で常に起こっています。その変化を神からの授け物として受け入れ、日々の生活に融合させてきた私たち祖先の生き方を体感してみるには、ご近所にある寺社仏閣、神籬や祠、神奈備を訪れてみるだけです。


私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。

今を大切にお過ごしください。



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