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エッセイ『6年振りの日本。父の絵を勝手に海外に持ち出す作戦』

両親はまだ元気だけど、認知症はある。父は以前、家にある絵で価値のあるものはこれだけだ、と言っていた。ピアノの上に掛けてあって、私にとって思い入れのある絵。

もしこの絵が金目のものだったら、売って姉にお金を渡そうと思ったけど、大したものではなかった。

Yahoo知恵袋に質問したら、即座に回答があった。画家の名前も分かったし、大体の価格も分かった。流石、Yahoo知恵袋!

認知症のある母に、あれがないこれがないと、捜し物をさせられるけど、もうヤダ、疲れた、止めた、と強く言ったら大丈夫になった。よかった。

私はボケ始めた祖母と10年一緒にいたから、まあ大体のノリは分かっていて大丈夫なんだけど。介護をしているみなさま、大変だけど頑張ろう。

今日は母の誕生日。捜し物に付き合うのはもう止めたけど、後一週間、親孝行をするつもり。


私は家族、という観念をとっくに失っているから、誰かと住むのは新鮮。ま、私は一人暮らししかできないね。寂しいけど、勝手な時間に好きな変な小説を書いていれば幸わせ。

東京から送った25冊の文庫本。開封動画を創りました。観てね。

なんかあれだよね。母が1日中捜し物をしているのを見ていると、人生って、いつでも捜し物をしているんだな、と感慨深い。

シュールだけどね。姉は介護のストレスがピークにきていて、焼き鳥屋のカウンター席で、私に向かってわめき出し、割と大きなチェーン店のスタッフ全員シーンと固まって大変。

姉が言うには、自分は親の愛情は一切受けないで育ち、それどころか、親に虐待されて育った。人生にとって大事なことは、みんな他人から教わった。らしい。

それで私が、なに言ってんのよ、お姉さんは両親から大騒ぎされて、可愛い可愛いと育てられ、欲しい物はなんでも買ってもらって、と、言おうものなら、それはあんたの歪んだ見方の生んだ空想だ、私が虐待されたのは事実だ、私はそれを知っている、と更に大きな声でわめき出し、私は恥ずかしくて真っ赤。

姉に、分かった、分かった、大変だったね、もうこれからはお姉さんのやりたいように生きて行けばいいし、私はそれで全然オーケーだ。できれば年金の面倒だけはお姉さんにやってもらいたい。じゃないと弟が年金を全部使っちゃうでしょ。っと、私は言う。

そしたら次の日、私は母にワカメ買ってきて、と頼まれたけれども、広いスーパーのどこを探してもそのような物件は発見できず、後に合流した姉に、また今度にしよう、と言うと、姉は、駄目じゃない、お母さんが欲しいんなら買わないと、とパタパタとスーパーに駆け戻った。

矛盾している。。。。。


これまで私が6年振りの日本で感じたことを書いてみたい。

エスカレーター。あれはいつまでも変わらないね。世界で日本にしかない「暗黙の了解」。怖いわ。なんで左側に寄るの?

しかし、自分だけ右側に立つのも意外と勇気のいるもので、私は左に立ちながら、右手だけ出して、右の手すりに捕まるという折衷案を編み出した。東京にこれからまた3日行くから、勇気を出して右側に立ってみようと思う。罵倒されたら、日本語が分からない振りをする。

日本の不気味な「暗黙の了解」を勇気ある行動で崩す。まあ、あんまり下らないことは止そう。日本のエスカレーターは左側に立つべき、とするテロリストに後ろから撃たれるかも知れない。

色々日本で気が付いたことを書こうと思ったけど、疲れたから止めておく。

あ、それから思い出したけど、日本のテレビはどのテレビ局も食べることばかりやっている。結構良質なドラマをやっていたから観ていたら、カボチャを買いに行って、これからカボチャのプリンを一緒に作りましょう、ということになって、カボチャのプリンの作り方の思い切った深さを醸し出しいた。

あれってなぜ?

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