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身体の中でこだまし続ける声

天満橋から谷町四丁目へ徒歩の途中、かんぽう広告受付看板が目に飛び込んできた。かんぽうと言えば、私が社労士受験した年の合格発表当日、母親がわざわざ官報を買ってきて、合格者欄に自分の名前を見つけたことは忘れられない思い出の一つだ。


当時の自分へワープをすると、沢山のことを思い出した。
今は無き大栄国家試験学院に1年半通い勉強三昧の時間を過ごした。
授業に模試試験にと、朝から晩まで勉強漬けの毎日だった。当時息子は幼稚園に通っていて、彼を園へ送ってお迎えの時間まで、休憩は昼の1時間のみで限られた時間の中、必死に机に向かった。

息子をお迎えに行ってから寝るまでは彼と過ごす時間、彼が寝た後夜の12時までまた勉強をした。そんな生活を1年半続けた。遊びは高い棚の上に置き、私の毎日は子育てと勉強の二つで、私のすべての時間をそれらに費やした。そのお陰もあって、一回の受験で合格を手に入れることができた。


試験当日は大阪経済大学で母親が運転する車で現地まで送って貰った。
車から降り大学の校門へ向かうと、背後から大きな声が聞こえた。
後ろを振り返ると、園児だった息子が車の窓から小さな身体を乗り出し、小さな身体に似合わない応援団長みたいな図太い力強い声で「ママ〜、頑張って〜!」と叫ぶ姿があった。
他の受験生たちが一斉に後ろを振り返り、息子は大注目を浴びた。
そこはさすが子供、彼らの目なぞ全く気にすることなく、息子は応援の言葉を叫び続けてくれた。

私は笑顔で手を振り返し、会場へ向かった。母の姿が部屋に吸い込まれていくまで息子は叫び続けていた。その後もずっと彼の声は私の内にこだまし続け、魂へ届き、炎が点火されたのだった。


そんなことをふと思い出し、涙が流れた。
あの時、何もなかった私は息子を一人で育てる!そう決心し、社労士試験勉強へ向かい続けた私の原動力は間違いなく息子だった。

その息子も今は大学生、小さな身体は180センチを超え、当時の可愛らしい姿は影を潜めた。この夏、息子は物理を追求するため院試験へ向かう。

当時の息子と同じような行動は取れないが、私の内側には毎日、「息子よ〜、頑張って〜!」その声がこだまし続けている。
息子は真理を追求するのが自分の生の使命だと言う。
母親である私が香りを追求し続けることが、生まれてきた意味だと考えるのと同じように、彼は21歳でもうそんなことを言っているのだ。

年齢なんて本当にただの数字だとつくづく思う。
私は息子に育てて貰った。彼が私を母親に選んだ理由もなんとなくわかる気がする。


そして、今のこの世界に生きる人類全てへも、こだまする私の声は向かっていった。

がんばろう!!

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