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平野啓一郎「本心」~読書感想文~

2021年8月この本を手に入れ、年は変わり2022年1月正月休み、まとまった時間が取れる!どっぷり自分の精神に浸れる!ということで、3日に読み始め4日に読み終えた。

私を宛先とした言葉が、目の前にいる平野啓一郎氏本人からこぼれてくる錯覚をし続けた。私にとって読書は、作家との対話の時間。読後、一番に考えることは、作家はこの本を通じ、何を伝えたかったのだろう?この本のタイトルは、なぜ「これ」なのだろう?ということ。

本のタイトルをつけることは難しいと思う。なんせ、その本の「名前」として、この世界に生み出されてくるのだから。私が、この世界に産まれ落ち、この名前で生がスタートしたように。

前置きは切り上げ、この本の感想を書き始める。

☆☆☆

「母を作って欲しい・・・」?!
「子供を作る」これは、よく聞くフレーズ、「母を作る」聞いたことがないフレーズで物語が始まった。

主人公は、「自由死」を願う母親を亡くし、母親のVFを作製する。大切な人が消えたこの世界で、母との記憶を背負いながら、VFの母との対話や生きている人との対話の時間を過ごしていく中で、主人公の心は揺さぶられ続け、あらゆる方向へ動いていく。

この本のタイトル「本心」と、作品の中によく出てきた「死の一瞬前」という言葉、この2つに関し揺さぶられたことについて書きたい。

・・・

「本心」。人の本心なんてわかるわけがない!

そう考える理由はいくつかある。
まず一つ目、作品にも書かれてあったが、人間は元素のあつまりであって、心の場所が脳であっても胸であっても、その部分も全て元素の集まりである。そこに本当の心があるというのは、どうも実感がわかない。

また、本心という言葉の解像度を上げ小さく分解してみる。

○本心→本当の心→心→脳?→胸?→記憶→観念→印象→知覚
○本当→真実なのか?→事実なのか?→現実なのか?

人間の知覚まで解像されたとき、個々の知覚が降り積もり心となるのか?新たな疑問でスタート地点に戻ってしまった。

人間には心がある。それがVFとの違いにはなる。でも、心ってなんだ?と考えていくと、納得できる言葉が見つからない。だから、分からない。
親でも子でも存在という一つの視点で見たとき、全ては他者だ。他者にとって、今このように思いめぐらす自分も他者だ。

本心は自分だけの大切な領域だと考える私は、人の本心もただそのまんま存在することだけを受け止めるだけ。そう、わからない、私にとって人の本心はブラックホールみたいなものなのだ。しかし、わからないからこそ、わかりたいわかろうというチャレンジ精神を刺激され魅了されるものだと思うと、簡単にわかってしまっても分かられてしまっても困る。そんな繊細で複雑なものなのだ。

・・・

「死の一瞬前」って、いつのこと?

死ぬとはどういうことか?生きるとはどういうことか?私が産まれるとは?死ぬとは?そういった根源的な問いかけは、手放さず生きているつもりだったが、「死の一瞬前」という点0から1の連続した0.99999999…の流れについては考えたことがなかった。

そこで考えてみた。
死はいつ訪れるか分からない。というか、生の隣に死はいつもセットで存在する。そうすると、死の一瞬前とはいつだ?と想像したとき、全ての時間、全ての今ここが、それに該当するのではないか?

玄関で靴を履いているとき、食卓でご飯を食べているとき、トイレでくつろいでいるとき、友達と遊んでいるとき、本を読んでいるとき、寝ているとき、そう、今これを書いているこの瞬間さえも死の一瞬前だとしたら?

私に湧いてきたのは希望だった。2022年自分が自分を創る。自分のVFを作ってみよう!この世界を仮想空間と見立て、ここで自分はどんなことをしていくのか?何をしたいのか?どんな時間を過ごしていきたいのか?この想像は、私を刺激しワクワク感を覚えさせる。これこそが、私の知覚であって、それが私の心でもある。ということは、本心とは、人の言葉によって引き起こされる反応が、相手の胸に満ちる、この相互作用ともいえるのでは?

今回彼の作品から感じたことは、コロナ時代の先の世界、自分をどんな空間で蘇らせていくのか?こんな今の時代だからこそ読んだこの本を、希望へ転換することができた自分の心の成長を覗くことができた。

平野氏が言うように、巨大な宇宙の中の元素の集まりである自分は、ほとんど無だ。自分は一体誰なのだろう?隣にいるよく知っているはずのあの人は、一体誰なのだろう?そんな問いかけを生涯手放さず生きていくことも、面白いと私は思う。

最後に、作品の中で私自身の心を軽くしてくれた言葉を記録して締めたい。

1。

僕は生きる。しかし、生が、決して後戻りのできない死への過程であるならば、それは、僕は死ぬ、という言明と、一体どう違うのだろうか?生きることが、ただ、時間をかけて、死ぬことの意味であるならば、僕たちには、どうして、「生きる」という言葉が必要なのだろうか?

★この言葉たちが、なぜ私の心を軽くしてくれたのか?その理由が、「私の本心」の中にある。

2。

人間は、1人では生きていけない。だけど、死は、自分1人で引き受けるしかないと思われている。死こそ、他者と共有されるべきじゃないか。生きている人は、死にゆく人を一人で死なせてはいけない。一緒に死を分かち合うべきです。

★祖母の死を共有することができたこと。死にゆく祖母を1人で死なせず、一緒に分かち合うことができたこと。祖母の生を死へと受け渡す時間を共に持てたこと。その相手として孫の私を選んでくれたこと。祖母の「死の一瞬前」のあの時の全ての時間が、これからの私の生の光となり輝きを放ちだしてくれた。

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