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気付いたら、他人が主語になっていた。

ここしばらく、どうなりたいかという問いの答えが私の中にありませんでした。今まであった時があったかというと、多分そうでもない。ただ、今までは在りたい私を探して居続けることで、精一杯だった。最近は、在りたい私で居られる方法がわかってきたから、その私でいるために足りないものや阻んでいるものを取り除くようなことをしている気がする。だから、またひとつ螺旋階段を一周したんだと思う。

なりたい像は全然思いつかないんだけど、これはそうかも、と思った一節。

好奇心。なぜ?なに?なんだろう?=本質。知らなくても生きていけるが、何かを成し遂げた人、少しギアの歯の数が違うような人、他人にたくさんの感想を与えられる人は、好奇心の深さが違う。

社会人5年目にして、幸運にも自分の意思から行動をし続けなければならない環境に置かれ、7ヶ月間もがいてきた。動く度に自分に幻滅して、だけど、そのおかげで得るべき何かが見えてきたから、それを補うために本を読めるようになったり、「わーそれめっちゃわかるー」って思えることも増えたり、それを純粋に楽しめるようになりたい。承認欲求でしか自分の価値を認識できない癖もはずれてきたと思う。

失敗を成功に変える。若い頃は失敗がつきものです。雨降って地固まる。失敗となるか、成功となるかは、自分自身が決めることではないか。
創意工夫をしながら仕事を継続することが、小さな成功の積み重ね。繰り返しているだけではブレイクポイントはやってこない。愛とブレイクポイントは仲良し。最初はなだらかな曲線だけれど、あるポイントまで来ると、そこから一気に上昇する。人間関係と同じ。

今必死にもがいて先は見えてないんだけど、いつか晴れるというのはどこかで信じている。根拠はない。たまに、このままだったらどうしようと思うとつらたん。上のパートでは曲線で表現しているけど、人間関係と同じってすごいわかりやすくて感動した。

4ステップを踏む。
第1ステップ「まず観察して、いろいろな情報を得る」
第2ステップ「観察の結果、得たものを学ぶ」
第3ステップ「学んだことを、練習する」
第4ステップ「練習して身につけてから、初めて実践する」
力まないで楽しむ準備。力を抜くことは、リラックスしていること。よけいなこだわりもなく、とても自然な状態。のめりこまないこと。=一歩身を引いておいたほうがいい。
「自分に厳しくしても意志力は上がらない」らしい。つまり、「自分に優しくすること、励ますことがやる気の向上や自制心の強化につながる」ースタンフォードの自分を変える教室

どんな本を読んでも、失敗って大切だよ、とか、あなたの心に従って生きることが幸せだと書いてあって、ひねくれ者の私は「なんでなのか」考えて答えがなかった。波風立てず平穏に生きていてもいいじゃん。そんな人生、いいな・・・?うーん、やっぱり人生の幸福度は、感情の振れ幅の絶対値の合計だと思うから、日向ぼっこをしている猫になったら私はこっちに戻ってくるんだろう。どこかで見かけた「余計なことをしないで何が人生だ」という言葉ももう、本当にその通りです。

さて、私は心に従って生きていないのか、自分に正直に生きていないのか、自分の気持ちや人生を尊重できていないのか。

最近心に残っている言葉や指針にしている言葉をボロボロと話したら、全部人からもらった言葉や人からどう見られているかだね、と言われた。それがすごいショックで、その後、人を主語にせずに話そうとしたけどやっぱり人だった。じゃあそれらが私の人生を蝕んでいるかっていうと、全然そんなことない。私が信じたいものを信じている。

例えば、とある人に言われた「好きなものに流されちゃだめだよ」という言葉を直したいかと聞かれたら、全然受け取りたくなかった。今まで好きなものに注げるエネルギーで人を幸せにした記憶があるから?

どこにいるんだろうな、私。

「そこにいながら、そこにいないようなことばかりしていると、ずっとそういう虚な幽霊みたいな人生になっちゃうよ」ー「みんなの楽しい修行: より納得できる人生と社会のために」

私のよろしくない状態を具体的にいうと、書きたいのに書けないとか、言いたいことを言えないとか、目の前の人に興味を持てないとか、つまりこうしたいのにできない、自分でいっぱいいっぱいになってしまっている状態。心や頭が失敗や不安に取り憑かれて、目の前の人と自分と対話できなくなってしまう。そんなとき、私はそこにいないんだろうなあ。

それらの不安、頭ではどうやったら解決できるか分かっているのに、ということが多い。漠然って言葉がぴったり当てはまる。でも、事実として同じような状況であったとしても、心が元気なときもある。好きな人といるとか、未来に楽しみがあるとか、あとは暮らしが整っていて安定しているとか。安定を構成する要素は、睡眠時間、瞑想、運動、自然とかとか。

なんで心が不安に取り憑かれてしまうのか。過去のことを思い出したり、未来のことに不安になったりするから。未来のことが不安になるのは、きっと過去に引きずられているから。誰かに迷惑をかけたか、また同じことを繰り返さないように思い出すから。ということは、それがちゃんと学習や教訓になっていればいいんじゃないかと思って、失敗は学びを言語化して、不安は「なぜか」を紐解いていけば不安じゃなくなるんではないかと。

そうやって、人と話して、本を読んで、これを試してみよう、そしたらもっと良くなるんじゃないかっていうワクワクは楽しいよね。いつまでも未来が良くなるというワクワクは持ち続けられるのだろうか。なんて思っちゃうけど。

これもやってみたいと思っている。

新しい人と会う、新しいことをする。常識に対して、疑問をもつ訓練。
やりたくないことは何か。人が喜んでくれることは、自分がしてもらってうれしいこと。

今回は、松浦弥太郎さんの「もし僕がいま25歳なら、こんな50のやりたいことがある。」からほぼ引用させていただきました。

ちょっとでも、あなたの心にひっかかったら。