毎年同じ場があることについて
うちの家族はなぜか毎年必ず、全員集合しようとする。しようとする、というのは、受験をする人がいるとできるわけではないから。でも、集まらないのはそのときくらい。
ちなみに全員集合する場は静岡の祖父母の家。私の父の兄家族とうちの家族がそこに集まる。孫は私含めて5人。大学生ふたりと社会人ふたりと高校生。集まるようになってからもう早15年くらい。それぞれここに来なくても楽しい過ごし方があると思うし、そこにすごい楽しい何かがあるわけではない。逆に苦痛だと思うこともたくさんあると思う。少なくとも私は。大学生の頃、さすがにもういいなって思ったこともあったけれど、なんだか気づいたらそこで年を越している。
過ごし方もおなじ。31日の夜は手巻き寿司で、1日の朝は初詣に行って初日の出を見てた、朝食におせち。親戚まわりをして、夜はしゃぶしゃぶ。2日の朝おせちの残りを食べて、帰る。
今となっては、それが年末年始を私に与えてくれているし、毎年同じタイミングで同じ場で同じ人と過ごすと、一年間の時の流れと今の変化をより感じることができるなあと思った。
みんなの歳の積み重ねも、変化も、一年にあった色々なことも。「あのときこんなになるなんて思わなかったねー」というのを15年という時の長さで共有できるのはすごくしあわせなことだと思う。
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安定がほしい人生だった。
今朝こうつぶやいた。
年明けから出産、婚約、同棲のニュースが多い。多いのではなく私が敏感になっているからというのはわかっているよ。
どうしてなのか考えたんだけど、家族や恋愛絡みのそれらは安定をつくってくれるもの。やっぱり私は安定がほしい。安定ってなにかというと、なにかがあったときに受け止めてくれるセーフティネットみたいな。なのに、私が選ぶ道は不安定ばかり。
今仕事がなくなったら、シェアハウスに住めなくなったら、無一文になったら。私は生きていけるのだろうか。そんな不安がたまに頭をよぎる。
実家はとても居心地が悪いし東京から遠いけど、それらを諦めて住むことでなにかがあるかもしれない。申し訳なさ半分でいとこの家に住ませてもらってもいいし、ご縁のある地方に行ってがむしゃらに働くのもいいかもしれない。
生きていれば、元気であれば、どうでも生きていけるし、それくらいの出来事があった方が人生はドラマになる。
ちょっとでも、あなたの心にひっかかったら。