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リメイク版『ウエスト・サイド・ストーリー』の凄みは、トニー配役に「謎」を残したことにある|スピルバーグ版『ウエスト・サイド・ストーリー』評

 週末にスピルバーグ版『ウエスト・サイド・ストーリー』をIMAXシアターで観てきました。これ、作曲者は言わずと知れた、レナード・バーンスタイン。このサントラスコアをパーヴォ・ヤルヴィ×NHK交響楽団で演奏した折に、爆クラでパーヴォをお招きして、さんざんこの曲の魅力と、黒人音楽由来のビートに関してのクラシックオケの限界について語ったのが、コロナ前2018年のことでしたねぇ(とついつい遠い目に……)

 すでに原本の『ウエスト・サイド物語』が、世界遺産のような存在の名作なので、それをどうスピルバーグが越えていくか、いや、古典に新たな光を当てくるのかに全集中で挑んだのですが、これがなかなか面白かった。オリジナル映画に関しては、私は子どもの時に再演ロードショーで見ています。もちろん、超感動したのですが、今回のような名作カヴァーの困難さは、そういった多くの人々のファーストインプレッションの衝撃と比較されてしまうという点。私もキモに銘じているのですが、青少年期の感動は歳と共に固定化され、美化されがちなのですよ。つまり、これだけの名作をリメイクするとなると、絶対に「全世界的にヘタこけない」わけですが、スピルバーグが凄いのは、監督自身も内包している、その厳しい目線に対し、戦略的かつ細心な目配せとクリエイティヴで立ち向かったことです。さすが映画の語法、エンタメのツボを完全に知り尽くし、そこに哲学まで投入できる、手塚治虫級の才人であるスピルバーグは、オリジナルのテーマであり、まさに「今でしょ!」の貧困問題と人種&移民問題、暴力に加え、ジェンダーへの目配せもきっちり押さえ、カメラワークから、衣装から、本当にプエルトリカンを多く採用したキャスティングに至るまで、お見事というほどの完成度。(ふ~。文章長いネ)

 「完成度」というと、全てがコントロールが効いてスキが無い、と思われがちなのですが、そうではなく、あえて「ここからは、君たちに任せる!!」という蓋然性が発揮されているんですよね。今回、発掘に近い形で見出された役者たちの、歌やダンス。はっきり言って、揃っていないし、ラフ。でも、それが本当に、ストリートのつぶやきが表現化するというこのミュージカルの本質を表していて素晴らしいんですよ。パンフによると、役者達が自主的に家を借りて、共同生活してチーム感を出していったらしいのです。こういう熱を、もう、振付なんか間違っていいからそのまま作品に呼び活けるという監督判断ね。

 アンチ・コントロール感は、もうひとつ役者のキャスティングにも観られるのです。マリア役のレイチェル・ゼグラーはど真ん中の当たり役、アニタも同様。オリジナルではジョージ・チャキリスが演じたベルナルドは、役柄にボクサーというキャラが付加されてグッとギラギラしたアウトレイジぶりを発揮したデビッド・アルバレス。トニーの弟分のリフ役のマイク・フェイストは『傷だらけの天使』における水谷豊の風情。と、ここまでは見事に観客のイメージと結託する、つまり「最初から勝負がついている」王道キャスティングなのですが、主役のトニーを演じる、アンセル・エルゴートだけが、ちょっと違う空気をまとっているというか、別の存在感なのですよ。私は、今回そこにヤられた。こういう「謎」というものは、なかなかクリエイターは作ることができな(アートや一部の演劇の世界では行われていますが)。そこに「賭ける」ことが出来る直感ね。

 エルゴートのトニー、歌も踊りも他のキャストのキレっぷりに比べると上手くない。顔ももさっとして、やたらデカイし、のぺーっとどんくさいのですが、その「鈍さ」にスター性があるというか(ブラピとか、マーロン・ブランドの系譜)、この作品の根底に流れる真心、正義といった朴訥な「善」を体現しているかのごとくの存在なのです。いや、ホント私を含め多くの関係者は、繊細で演技派のマイク・フェイスト(超タイプ!!!)をトニーに抜擢しそうなのですが(本人もトニーのオーディションに応募していた)、そうなったときの「隙の無さ」を監督は、嫌ったのかも。

 その一方で、演出面での「隙の無さ」は要所要所に発揮されています。最初にダンスパーティーにデビューするときのマリアの口紅の使い方、だったり、オリジナルでは道化的な役割だった、男の中に混じった男装女子、エニー・バディスにLGBTの苦悩を一瞬まとわせたり、脳天気な女子の恋バナである『I feel pretty』を、ウェデング店から、女たちの清掃労働現場であるデパートのファッションフロアにしたり(もう一発で、移民の社会的な背景が了解される)等などの、繊細で緻密な脚本、演出の詰め方は、本当に凄い。

 しかしながらこのリメイク作、私個人の感動ポイントは、バーンスタインの楽曲ですよ。劇中曲『マンボ』でもってメジャーになった、ドゥダメル指揮のニューヨークフィル&ロスアンジェルスフィルのサウンドは凄く良い。やっばり、ラテンとジャズのビートがたたき込まれているをセンスは、まずは付点のトッティーとベースに現れますね。特に冒頭のプロローグ、ゲットーの荒れ地に響く、口笛とタムタムのみのサウンドに、金管が絡んで、あのブルースコードのメロに突入する素晴らしいサウンドメイクに、もう、初っぱなから涙の連絡船ですよ。

 そして、映像と合わさって今回、大感動だったのが、楽曲名「トゥナイト(クインテット)」のシークエンス。トニーとの逢瀬を夢見るマリア、ベルナルドとの情事を期待するアニータ、そして、トニー、ジェット団、シャーク団の同時刻同時並行の5者それぞれの想いをポリフォニーにかき分けまとめた、バーンスタインのクラシックのイディオムを駆使した最高クリエイション。この凄すぎる楽曲に、「こう来るか」のソリッドな映像感覚を当て込んだ、天才×天才のスパークが見物でした。さすが、ETのあの空飛ぶ名シーンを、ジョン・ウィリアムズと創り上げた男だけのことはある。
 
 その一方でちょっと残念だったのが、最初のハイライト、例の窓際での逢瀬「トゥナイト」のシーン。ここは官能とエモーションのタメが欲しかったのに、トニーがアクロバットに動きすぎだよ。体操選手じゃないんだからさ! 監督、ここで構図とカメラオタクが出ちまった感じかな。というか、役者の力量不足もある。マリア役のゼグラーの濡れた瞳に、のっぺり男のエルゴートの表情がついていっていないんですよ。そう、彼、マジアップの決め所には色気が出ず、他のちょっとした眼差しと動きにソレが出るタイブと見た。というか、スピルバーグ、残念ながら官能性のセンスはあんまりないみたいじゃな。

20220217note_ウエスト・サイド・ストーリー

 とにかくこの文化的世界遺産を、多くの人に体験してもらいたいと思っているのです。

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