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三島由紀夫氏はなぜ自決したのか? 文化防衛論 ≪その1≫

★『豊饒の海』なぞの結末を解明する⇒ YouTube 動画 です。またnoteは、《1》.アラヤ識
★『金閣寺』むつかしい柏木の話、いったい何を言ってるのか?
ドイツ実存哲学によって読解する⇒YouTube動画
★『文化防衛論』YouTube動画⇒【1】 【2】【3.全体のまとめと結論
★この記事と動画は、編集がやや異なります。この記事の最後から、ご意見ご感想をぜひお寄せ下さい。力の限り、お答えさせて頂きます。

★記事は《1》~《4》の全四本ですが、《4》の前半で全体の概要を述べました。《4》の前半をまずご検討いただき、全四本まとめたマガジン、
もしくはこの《1》をバラで プラス  あと三本まとめたマガジン、がお勧めです。
こちらに、自己紹介も⇒https://note.com/34_13_1_25_11_0
記事それぞれ、新たな視点を述べており、まったくフリーとも出来ず、がっかりされない内容と存じます。ご意見を頂いて、さらに深めて参る所存です。ここまで、記事とマガジン、動画のご案内

自らの生命より、もっと重大な使命が三島氏にはあった。
その使命とは、日本文化の再生である。自決への論理が「文化防衛論」に書かれていて、現代のモノとカネだけの日本人の生き方を、死をもっていさめたと、明らかにします。

また自決への心情は、「豊饒の海」を世界の芸術として永遠に樹立すべく、たった一度限りの決死の行動と、永遠の芸術、それら二つの美を一体に実現する文武両道であったと、稿を改めて「豊饒の海」を論じます。

まず「文化防衛論」を読み解きます。テキストの参照ページを、ちくま文庫版『文化防衛論』 2006 によって示します。

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★1 読みはじめる前に・・・

左の、ちくま文庫はアマゾンで新品を購入できます。右の新潮文庫にも「文化防衛論」が収録されますが、令和2年4月現在、中古品しかなくてアマゾンのサイトに目次が表示されないので、
ここに新潮文庫『裸体と衣装』の収録作品をあげて、購入される際のご参考に供します。

表題の作品「裸体と衣装」・・・昭和33年2月から翌年6月まで「鏡子の家」を執筆していた頃の日記です。観劇やバレエ、親しい友との交遊を楽しむ、三島氏の日常がつづられます。
ファンには自明ですが、氏の満年齢は、昭和の年と96%一致していて、
婚約から結婚、白亜の邸宅を新築し、そして長女が誕生され、そんな日々を生きる若々しい感性がページにあふれています。この新潮文庫の6割は、そんな日記で占められます。 

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⇧右は、そのころ企画され、三島氏が初めて主演した映画のポスター。できれば 《》で言及するチャンバラ映画を、YouTube の予告編でも一見されてから、「からっ風野郎」(大映 1960) をご覧いただくと、めざましい演技力の向上を実感されるかと存じます。
で、余談ですが、Wikipedia の「からっ・・・」の項(令和2年5月現在) に思わず笑ってしまい、・・・愛すべき稚気あふれる氏の姿を世にのこす、同志の文章に感謝し敬意を表します。私も頑張ります!

新潮文庫は、そのあと「ドルヂェル伯の舞踏会」「戯曲を書きたがる小説書きのノート」「空白の役割」「芸術にエロスは必要か」「現代小説は古典たり得るか」「谷崎潤一郎論」「変質した優雅」と、評論・私記の小品が七つ続きます。
重くて深い、しっかり味わうべき名作がつらなって、渾身の気迫が胸にせまります。「現代小説は・・・」と「谷崎・・・」以外の五作品は、リクエスト頂いたら、ざっと解説できると思います。

新潮文庫のラスト40ページに「文化防衛論」が収録されます。解説は、西尾幹二氏。三島文学の論客として超一流の学者なのに、「文化防衛論」についてこう書かれます。<次の段落は、引用>

論文が後半に入って、「国民文化の再帰性と全体性と主体性」が論じられる件り(くだり←原典ルビ)から以後、にわかに読みにくくなり、生硬で、通りの悪い、一人よがりの文章になっている。はっきり言って悪文である。何度読んでも頭に入らない学生の観念的論文と大差はない。<引用終り>

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西尾氏の上記の文章に、この私が挑戦するとは、おこがましい限りですが
「読みにくく」「一人よがりの」「悪文」、そう読めるのは、三島氏が『文化防衛論』を書いた2年6ヵ月の後、実現させた自決への意志のカモフラージュだった、と述べて行きます。

ここから、ちくま文庫『文化防衛論』のページを【数字】で示しながら読解します。それ以外の文献は【〇】で表し、敬称は略させて頂きます。

★2 文化とは? 日本文化とは何か?・・・

文化、は「文化防衛論」を読解するキーワードで、こう書かれます。文化というのは生活のしかたのことである。【70頁】この一文は津田左右吉による文化の定義を、三島が引用したものです。

文化とは「生活のしかた」。日本文化は、日本人の生き方。どう生きるか?が文化。津田左右吉の、岩波文庫で全八巻にわたる日本文学の通史は、日本人に精神史を一望させました。

その壮挙は、ドナルド・キーンそして小西甚一に受けつがれます。【津田『文学に現れたる我が国民思想の研究』1917~21。岩波文庫版は全8巻】【キーン 徳岡孝夫訳『日本文学史』1976~77。中公文庫版は全18巻】【小西『日本文藝史』1985-1992 講談社、全5巻】
小西甚一津田左右吉 (Wikipedia)

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小西甚一の名は『古文研究法』によって、受験生に広く知られ、この名著は文庫とされて今も読まれます。
小西は、キーンとも三島とも親交が深くて『日本文藝史』をキーンに触発されて書き上げました。第Ⅴ巻のフィナーレは三島文学への論評で、1370年にわたる日本文学を語った大著は、そこで締めくくられます。

三島自らも、古事記から馬琴まで12章の「日本文学小史」を書き起しました。
文学が、一時代の文化を形成する端緒となった、と12の作品群で日本の精神史をパノラマにする偉業ですが、第6章、源氏物語に鋭いスポットを当てた所で、自決によって中断されます。
三島は言います。文化とは、考え方、感じ方、生き方、審美眼、その無意識までもを支配する、共同体の必需品であり、それなしには死なねばならぬという危機にのぞむとき、行動を規制し様式化するものだ。【『小説家の休暇』新潮文庫 昭和57に収録、232頁】
その言葉のとおり、文化をなくした日本の危機に、武士の死の様式をもって挑んだ、とこの記事で述べます。

また三島は言います。文化を守るということは、最終的にアイデンティティーを守ることなんだ。全集40巻545頁】文化への不遜な態度こそ、戦争の緒でありませう。【三谷信『級友三島由紀夫』中公文庫1999、27頁】

「軍国主義者だ」と三島をなじる人は、上の言葉をかみしめられたい。文化を軽んじたから戦争へつき進んだ。文化を守らない日本は、アイデンティティを喪失したのだ。

アメリカは日本と戦争するとき、徹底して日本文化を研究し、その文化人類学の成果は名著『菊と刀』とされて戦後ひろく読まれた。三島は言う。
現代では、「菊と刀」の「刀」が絶たれた結果、日本文化の特質の一つでもある際限もないエモーショナルなだらしなさが現われており、戦時中は「菊」が絶たれた結果、別の方向に欺瞞(ぎまん←原典ルビ)  と偽善が生じたのであった。【48頁】
⇩菊はPhoto-pot

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エモーショナル、とは情欲に流された、との意でしょう。現代の日本はモノとカネへの欲に、ただ流されている。日本は経済的繁栄にうつつを抜かして、精神的には空っぽになってしまっているんだぞ。それがわかるかっ。日本を守るとは何だ。日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることだ。全集36巻683頁】
この言葉は自決する寸前、市ヶ谷の自衛隊、正面玄関上のバルコニーから叫ばれました。

日本文化とは、菊と刀。「美を愛好し、俳優や芸術家を尊敬し、菊作りに秘術を尽す」そんな日本人が「刀を崇拝し武士に最高の栄誉を帰する」。【ベネディクト 長谷川松治訳『菊と刀』教養文庫1967、6頁】

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菊を咲かせる優雅、そして刀、強さの美。日本文化とは「菊と刀」の永遠の連環である。【35頁】
軍国主義の日本は、菊の優雅な伝統を絶った。そして敗戦して刀、強さの美、武士の魂を絶って、情欲に流されただらしない国になった。

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令和の日本に平和と幸福を築く、三島先生のメッセージを解明したく存じます。続きをご覧頂き、コメント頂いたご意見、ご指摘の点から、三島文学を深めてゆく所存です。