ノートルダムの鐘、初見人間の感想
11月24日、地上波で「ノートルダムの鐘」が放送された。ファン投票で選ばれた作品のひとつらしく、劇団四季が上演していたものを7月に観劇していた私は久しぶりにテレビで映画を観ることにしたのだった。なのでどちらも1回ずつしか見ていない人間としてシンプルな感想を残していく。
以下、ディズニー版と四季版と書きわけるが、この2つは全く同じ話ではなく設定や展開が少しずつ違う。ちなみに四季版も原作とは異なる部分があるようだが、ディズニー映画の客層を考えるとより納得できる改変がされていると感じた。
1.フロローの職業
ディズニー版:判事
四季版:聖職者
2.カジモドの生まれ
ディズニー版:亡くなったジプシーが遺した子供
四季版:フロローの弟とジプシーの女の間に生まれた子供
3.最後の結末
ディズニー版:カジモドは火炙りからエスメラルダを助ける
四季版:エスメラルダは処刑され、フロローをカジモドが投げ落として殺す
ディズニー版としては、あくまで醜いと蔑まれた男が、恋した女性を助け、英雄となるという話として纏めている印象を受ける。実際カジモドの恋は報われてはいないし、見た目が醜いというだけで序盤にかなりひどい扱いを受けるところは変わらないため、明るい話として捉えられない人が居るのも納得ではあるが、原作や四季版の暗さを考えたら限界まで親しみやすくされている気もする。ただ煽り文句で「感動作」というのはちょっとないかな…とは思った。
四季版はより観客に問うことを強調している印象がある。愛する弟と憎きジプシーの間の子であるカジモドを育てるフロローはさながら父のようであるし、閉じ込めているのも間違ってはいるが愛情の形と捉えられなくもない。神に仕える立場も、己の信仰や信念、愛の狭間で揺れている様を際立てている。エスメラルダに出会わなければ、自分を揺らがせることがなかったことを思うと、多少同情の余地がある。
そして、曲がりなりにも愛情をかけて育ててくれた相手を、カジモドは最後に手にかけることになる。強い怒りと反抗をその姿に感じつつ、どうしてこんなことになってしまったのか、という悲しさや虚しさも覚えるラストだ。
個人的には四季版の方が好きだな、と思った。大団円の物語も好きだし、ラストにすっきりして見終える心地良さがあるが、この物語をハッピーエンドだとか感動だとかで収まり良く終わらせてしまう必要はないような気がした。差別は簡単には拭えないし、簡単に拭えず解決できないからこそ差別として蔓延る。カジモドやジプシーへの偏見の目はどんな終わり方をしてもなかったことにはならない。それなら観客へ問うような四季版のラストの方がしっくりするように思えた。
せっかくアニメ版も履修できたことなのでもう一度四季版が観たくなった。他の作品も折角なら見比べながら楽しんでみたくなったため、機をうかがうつもりだ。
私がノートルダムの鐘ないしミュージカルに興味を持ったきっかけであるVtuberの東堂コハクさんと周央サンゴさんのミュージカル歌枠は不定期で行われている。来年1/3には再び宇佐美リトさんと佐伯イッテツさんを加えて行われる予定だ。
ミュージカルが大好きな人たちが楽しそうに歌う姿は必見なので見て欲しい。なお、アーカイブは残らないためリアタイ視聴をお願いします!!!!前回のミュージカル歌枠のことを綴った記事は以下。
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