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やせつ in WANDERLAND

私は儚いものが愛おしい。

花火や桜の花などパッと華やかな世界が広がったと思ったらあっという間に消え去ってしまうようなもの。

『儚い』という形容とはまた違うかもしれないけど、夏休みとか期間限定商品とか、そういった【終わり】が明確に想起されるものに関しても愛おしさを感じる。

終わってしまったらもう二度と手に入らないもの。本当は案外そこかしこに溢れているのに、【終わり】と明記されたものでしかあまり意識されないのかもしれない。


自己紹介でも話したが、私の地元は下町でかの有名な『スカイツリー』がすぐ近所にある。初め、こんな下町に大規模なシンボルタワーが作られることを知って、それはそれは歓喜した。まだ3分の1くらいしか建設されてない時から完成するまでの、ジオラマが完成されていくようなドキドキワクワク感を感じながら私はよく写真を撮りに行っていた。

2012年5月、ついに完成。

だがそうなった途端、不思議なことに今まで散々通いつめたスカイツリーに全く興味がなくなってしまった。無事完成したことで、もういつでも行けるから大丈夫、と安心してしまったのだろう。

『いつでも行ける』『いつでも会える』

終わりの想起できないものはなぜだか永遠に終わりがないような不思議な安心感に囚われてしまう。それで先延ばし、先延ばしにしてしまったりするのだ。

                         *


母はあっさり死んでしまった。

完成したらあれほど行こう行こうと2人ではしゃいでいたのに。

いつまでも居ると思ってたり、あると思ってたりしてもそれが突然なくなることもあるんだった。私は取り返しのつかない大きな後悔で胸がいっぱいになった。いつまでもあるものなんて本当は何にもないのだ。

  

                         *

この間、久しぶりに白昼夢を見た。白昼夢は夜見る夢と違って、夢と現実の境界線が曖昧で変な夢が多い。

私はWONDERLANDの世界に入り、死んでしまって会えなくなった人とたくさん出会った。そこでは皆普通に生活していて、生前と同じ所で変わらず元気に生きていた。

母が現れた時に『死んでなかったんだ!良かった元気で。』とすごく安堵して笑いあった。『スカイツリーすぐにでも行こうね』と約束した。

                         *

白昼夢から目を覚まして、少しずつ現実の世界の記憶を取り戻した時に、もう母が存在しないことを思い出して泣いた。

当たり前だと思っていた日常は、本当は桜の花や花火と同じ、脆くも儚いものなのだ。

掴んでも掴んでも、もう二度と手に入らないものがある。私が儚いものを愛しいと思うのは、手に入らなくなるまでの当たり前で何気ない期間の大切さを深く知っているからなのかもしれない。


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