見出し画像

人が目の前から急にいなくなることについての考察

本日のネタは、「人とのご縁」について。


偏った意見かもしれないし
もし偏っているのであれば
それを是正してニュートラルにしたいので
ご意見やご感想があれば
ぜひいただきとうございます。

ご縁ができれば
当然その先には、
ご縁がなくなることもある。


それが、
生き別れであろうと
死別であろうと。


思い返してみると
人が死ぬ、と言うことについて
私は幼い頃からもしかしたら、
人より許容できていたのかもしれない。
これまで大切な人が何人も
亡くなって、お別れをしてきたが
引きずって悲しみを背負ったことはまだない。

もちろん亡くなって
会えなくなることはとても悲しいし
辛いことではあるけれど。

それは、本当に大切な人じゃないんだよ!
と言われるかもしれないが
いえ、間違いなく私にとって
大切な人達だった。
なんなら今でもそう。  

ここで、唐突ではあるけれど
幼少期の私のことを
お伝えしたいと思う。

私は幼き頃から
よく仲間外れにあった。

自分で何か心当たりがあるのならまだしも
全くない。

大人になった今は、きっと何か
知らない間にやらかしてたのだろう。
とは思うけれど、幼き頃のわたしには
考えも及ばないことだったし
誰も教えてくれることはなかった。

ゆえに
知らない間に女子たちから
仲間外れに必ず会う
というのが
私のスタンダードな学生生活となる。

昨日まで仲良くしていた人が
次の日から突然豹変して
関係性がガラッと変わるなんてことは
日常茶飯事であった。

ここで
私は仲間外れの被害者加害者を
追求したいわけではなく
人は突然自分の前からいなくなる
ということを別のカテゴリーで
いつも経験していた。
ということを伝えたい。


人は突然目の前からいなくなる
と言うことを「死んでなくなる」以外に
何度も経験している。


学校で会う分には
まだ生存確認ができるのだが
大人になってからは
二度と連絡が取れなくなって
話すこともできない。


こうして
私の世界からは消えていった人たちは
何人もいる。

大好きで、ずっと友達でいたかったけれど
それが叶わなくて消えていった人たち。

不条理で、全く理解はできなかったけれど
でも、目の前からいなくなってしまって
私との関係性がなくなり
二度と会えなくなることには間違えない。


私にとっては
亡くなったのと同然だ。


生きてるからいつかは会えるんじゃない?

そういう声もあるけれど
今の所それが覆った事例は皆無。


だから、そう言うことを何度もなんども
繰り返しているうちに、
その瞬間、
人と接することを大切にしようと思うようになった。


もちろんできてないこともあるだろう。
行き届いてなくて
知らない間に失礼をすることもあるだろう。


できる限り真剣に
目の前の人と向き合いたいし
意見交換や情報交換だってしたい。

本音で話したり
それを伝えるために
語彙も必要になるだろう。

真剣をそのまま渡すと凶器にさえなる。
だから、美しい鞘が必要なのだと
いつの頃からか思うようになった。


そんなこんなで
関わった人や、時間を共有する人には
気持ちはしっかり伝えたいし、
自分の言葉も大事に使いたい。

しかし残念ながら
そう言う関係性を望まない人もいる。

こちらが興味を示したことについて
詰問されていると感じる人もいるようだ。


それ故めんどくさい子、ちょっとやばい人と、
私から離れていった人もたくさんいる。


今の私の課題としては
相手に負担のかけない
真剣なコミュニケーションだ。


そうするときっと悔いもなく
心残りもなくご縁が終わってしまっても
きっと納得できるのかもしれない。


それが死んでなくなると言う形であっても
突然嫌われていなくなると言う形であっても。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?