自分の個性が人に合わないときはどうするか?

万人に合う人などはいない。
好かれることもあれば、嫌われることもある。


ただ、傍若無人に
自分の思いつくまま
尊敬も敬意も思いやりも配慮もない行為は
個性とはいえず、他人と共存するのなら
少なからず「ルール」は必要になると思う。


個性とは考え方だったり
ありかただったり
唯一無二のその人が持つものだけれど


もしそれが万が一他人を傷つけたり
嫌悪感を抱かせるものだとしたら
その個性はなくななければならないのだろうか?


私は幼き頃から
自分の個性が時たま人を傷つけたり
嫌悪感を与えるものであることを認識してきた。


それゆえ自分を押し殺し
自分をなくしていったこともあるが

それがきわめめて愚の骨頂だったことに気づいてからは
自分の個性を消すのはやめた。


だからと言って
何を言っていいわけでもないし
何をしていいわけでもない。


今これを言うべきかどうか?とか
これは伝えなくてもいいことか?とか
これは今しなくてもよいかも?とか
これをすると相手はどう感じる可能性が高いか?など


経験則を踏まえて
周りへの自分なりの配慮を覚えるようになった。


どうせ斬るなら
切れ味が抜群で
傷も塞がりやすくなるような切り方や
美しい斬り方を学ぼうと思ったし


ただ斬るんじゃなくて
飾り切りや、パフォーマンスを兼ねた
楽しい斬り方も学んでみようとも思った。


個性は荒削りだと
生かされるどころか
消去されることだってある。


誰も手伝ってはくれない
多くの人は、自分の価値観にそぐわない人から
離れていくし
自分にメリットがあると感じれば寄ってくる。


そういう世の中の特色も掴みつつ
自分の個性が消えないように
順応して磨いていくしかない。


周りから嫌われて仕方がないときは
なぜ嫌われるのか?
嫌うとはどう言う時に起きるのか?
そして今何が当てはまっているのか?
どう改善できるのか?改善できないのか?


自分を殺すことなく
個性をなくすことなく
社会を生きるには
どうやったって分析は必要になる。


自分をうまく、どう活かしていくか
どうやって上手に波に乗るか。


それを考えればよいと
今の所私はこの考えに落ち着いている。
今後変わるかもしれないけど
個性は消さなくてい。
磨いて美しくすればよい。


毒舌を磨き続けた
毒蝮さんや、きみまろさんのように
人気者になればよい。







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