見出し画像

職場でのいじめ体験から得たこと

私は学校を卒業して少しだけOLをしたことがある。
半年ともたなかったけれど。
辞めた理由はいじめではないが。


子供の頃から仲間はずれや
無視といったことには慣れていたので
私の前提は「人から嫌われる」だったし
そこにいちいち嘆いたりもしなかった。


なんで嫌われるんだろう?
なんでイジワルされるんだろう?


そんなことは思わない。
だって「嫌われる」のが当たり前で
そこに執着もしなかったので
悩みになることもなかった。


なんで嫌われるのか?
なんでイジワルされるのか?と
悩む人は、前提に「自分は人から好かれる人間」という
ものがあるのだろう。それは苦しくて仕方がないと思う。


OLを辞めた理由はいじめではないのだけど
振り返ってみると
結構凹んでもいいような案件だったなぁと
随分前のことだけど思い返したりした。


後から聞いた話だったけど
可愛がってくれてる、と思ってたパートさんが
主犯となって陰湿なことをしていたらしく
それを知ってから「人ってわからんもんだな〜」と
人間の複雑さを目の当たりにした。


さわりだけではあるがご紹介すると
靴を捨てられるのはしょっちゅうで
見つからない時は
お客様用のスリッパで家に帰ったこともあった。


朝会社に行って
タイムカードがないなんてこともざらだったり
ロッカールームがぼこぼこにされて
扉が開かないってこともあった。


またか、と思っていただけだけど
そのたびに総務部にいって
事情をつたえて、新しくタイムカードを作ってもらったり
ロッカーを直してもらうのは
申し訳なく思ってた。


きっと何をされても
またか。と何事もなかったように
普通にしていたのもきっと周りには
癪に触ったのだろうと今では思う。


当時の私はそんなことよりも
大事なことがたくさんあったのだ。
内容は割愛するとして
まぁ、社内では居心地は極めて悪いけれど
仕事する上では問題ないし
特に気にもしなかった。


多分これがさらに
彼女たちの「嫌悪感」を増殖させていたのだろうと
今になってはわかる。


確かに当時の私の言っているのは正論だし
言動も不一致はあまりなかったかもしれない。
けれど人間ってものは
そんなにマス目にきっちり収まるほど
単純でもない。


新人なら新人らしく


という抽象的で曖昧な
この価値観を共有できなかったことが
きっと「いじめ」につながったのだろうし
普通に考えておかしいことが
まかり通っている環境で
一人で「おかしいおかしい」と
正論を言っているのもきっと目障りだったのだろう。


つまり古巣にいた人たちからすれば
自分がこれまで生きてきたことが
ポット現れた小娘に
全否定されたような
そんな感覚にもなったのかもしれない。


時に正しさとは
状況によっては間違いになることだってある。


ものすごく正しいけれど
言わなくていいこともある。


自分の価値観にないことや
自分の信じていることと
違うところに正解があることだってある。


全て理解できると思ってること自体が
愚かだったなとさえ今は思う。


それはきっと
自分が幼かったし
生きている人にそれぞれ価値観が備わってることを
知らなかったからだけだと思う。


なんでそんな効率の悪いことするんですか?


私はこうやって
いろんな人を斬りまくってきたんだな
と振り返って申し訳なく思っている。


斬鉄剣はもっと磨いて
相手に痛みを感じさせないくらい
美しく斬らねばならない。


攻撃や叱責は何も生まない。


そりゃいじめられるわ。わたし。
タイムマシンがあったら、丁寧に
いろんな価値観をもってそれぞれが生きているんだと言うことを
私に教えてあげたいなとおもう。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?