母なる証明

「母なる証明」ポン・ジュノ監督フィルモグラフィー④

「母親とは高貴な存在にも、残酷な獣にもなりうる」

2009年に公開された、ポン・ジュノ監督3年ぶりとなる長編「母なる証明」は、評論家からも絶賛されました。映画を評して監督は上のように語っているのですが、ポン監督作品の中でわたしが一番好きな映画であり、一番恐ろしい映画でもあります。

日本での公開は2009年10月。兵役後、初の映画となるウォンビンに注目が集まっていました。韓国ではお母さんを演じたキム・ヘジャの方が知名度が高いんですが、日本公開当時の映画館はウォンビンファンでいっぱい。この頃の韓国映画は韓流ドラマブームに支えられていたせいか、年齢層も高めでした。

<あらすじ>
母とふたり暮らしのトジュンはある日、殺人事件の容疑者として警察に拘束されてしまいます。さっさと捜査を終わらせようとする警察。頼りにならない弁護士。母は息子の無実を信じ、たったひとりで真犯人を探すことにします。息子の疑惑は晴れるのか……。

“韓流四天王”の一角だったウォンビンの新境地を開いた映画ではありますが。

スルメを鼻に刺して寝てる!

ファンには衝撃的な映画だったと思います。


ポン監督の映画には、盟友であるソン・ガンホをはじめ、「殺人の追憶」で超絶疑わしい容疑者を演じたパク・ヘイルら、舞台出身の俳優が多く起用されているんですよね。恐らくポン監督は演技の基礎がある人を信頼して起用したのだと思います。

そんな中にやって来たウォンビンは。

ケーブルテレビの専属俳優オーディションに合格してデビュー。ビューティホーなルックスがファッションデザイナーの目に留まり、モデルとして活動した後、出演したドラマのヒットによりスターの仲間入りを果たしたという経歴。

ウォンビン

(※画像はKMDbより)

これ、キャスティング、やばくね?

「母なる証明」で演じるのは純粋な青年というだけでなく、心の奥底に抱えるなにかを感じさせる役どころです。

これ、キャスティング、やばくね?

映画を観る前はそう感じて不安しかなかったんですよね。ところが母から溺愛される息子というキャラクターは、ウォンビンの危うさにぴったりはまっていました。

きれいに澄んだ水の底からヘドロがわき上がって来そうな感じ。

子を想う“母”の情念を引き出す好演でした。


映画「母なる証明」

フリーアナウンサーで韓国エンタメに詳しい田代親世さんは、取材レポートの中で、

韓国男性はほぼ例外なくマザコンだという。

と書いています。ドラマなどでも、ママは長男にべったり、息子の方もママには逆らわないという関係をよく目にします。

だってね、おかずはママがご飯の上にのっけてあげるんです!

どんだけ甘やかしてるねん!!

証明6

(※画像はKMDbより)

一方で息子のトジュンは、反抗したい&女の子が気になるお年頃。はっきりとは説明されませんが、障がいのせいでコミュニケーションがとりづらい様子は見てとれます。

ポン監督のこれまでの映画「殺人の追憶」や「グエムル−漢江の怪物−」には、“お母さん”が登場しないんですよね。意図的に排除した面もあったそうですが、そろそろ女性を描かなくては、と思ったことが、この映画の制作動機だそうです。

とはいえ、「母なる証明」はマザコンボーイと母性愛あふれるママとの、あたたかいお涙ちょうだい映画ではないんです。殺人事件をめぐるミステリーであり、母と子の絆を試すヒューマンドラマでもあります。

証明8

(※画像はKMDbより)

息子の無実を証明するために自分で証拠集めをしようと悪友の家に潜入。失敗してカツアゲされる結果になったり、違法な鍼治療でお金を稼いだり。母の苦労をみていると……。

♪おふくろさんよ おふくろさん
空を見上げりゃ 空にある~

(当たり前やん)

♪あなたの あなたの真実
忘れはしない~

森進一のしかめっ面が浮かんじゃう。

そんなお母さんを描いた映画なのに、“お母さん”役には名前がないんです。

息子や息子の悪友、刑事には名前があるにも関わらず、“お母さん”にはない。

2011年にフジテレビ系で放送されたドラマ「名前をなくした女神」はまさに、「〇〇ちゃんのママ」「●●さんの奥さん」としか呼ばれなくなった女性たちが、自身を取り戻す戦いを描いたドラマでした。

でも、映画「母なる証明」の“お母さん”に名前がない理由は、ある特殊な状況に置かれた母の物語ではなく、“お母さん”という存在が持つ普遍性を表しているからだと思います。


映画は、荒野の中をひとりの女性が歩いてくるシーンから始まります。カサカサと枯れ草がこすれる音。チェロの旋律。オレンジ色に染まる野原。立ち止まり、ゆっくりと腕を上げ、踊りはじめる女性。うつろな表情が崩れ、顔を覆って涙をこらえる。

タイトルロールが出る前の短いカットですが、この映画に漂う不穏な空気を感じさせてくれます。映画の終盤、もう一度このシーンが登場するのですが、彼女の表情が意味するものが分かった時。

それをどう受け止めたらいいのか。

証明7

(※画像はKMDbより)

この映画で第62回カンヌ国際映画祭に参加したポン監督の言葉が意味深です。

「母親とは高貴な存在にも、残酷な獣にもなりうる」

子を想う“母”の愛は、どこまで許されるのか。善と悪の境目を、問いかけてくるようです。


「パラサイト」との関連

ポン監督は「パラサイト 半地下の家族」について、「悪人のいない悲劇、コメディアンのいない喜劇」と語っています。

「ほえる犬は噛まない」には“悪人”らしい“悪人”が登場しないし、「殺人の追憶」は“悪人”がみつけられない映画でした。

ですが、「母なる証明」には、“悪人”が登場します。この“悪人”を「あなたは罪を犯した」と断罪できるかどうかで、評価の分かれる映画なのかもしれません。

証明10

(※画像はKMDbより)

わたしが気になったのは、

被害者と加害者の逆転

です。

ずっと母の庇護を受けてきたトジュンには、5歳の頃の恐ろしい記憶がありました。自分の疑惑を晴らすために奔走する母の、大事な道具箱を返すシーンは、ふたりにとって生涯にわたる“時限爆弾”を抱えることを意味します。

誰が誰を守っているのか。

立場の逆転は「パラサイト」でも起こります。お金持ちの家庭に寄生するだけじゃなく、“家長”の交代劇でもあるんですよね。そこで起きる善と悪の境目が映画の見どころでした。

善と悪の境目。そして母の愛。

最初に「母なる証明」を観た時は、あまりにも衝撃を受けてどう受け止めればいいのかとまどってしまいました。今もやはり同じ。

そこで、“ボイラー・キム氏”の描かれ方を見てみることにしたんです。

ポン監督の長編デビュー作「ほえる犬は噛まない」の中で怪談のように語られ、これまでの映画に必ず登場していた“ボイラー・キム氏”。人柱として壁に塗り込められたボイラー修理の達人です。

“ボイラー・キム氏”を探せば、ポン監督の意図が分かるのでは。

「母なる証明」にもいました。町外れに住んでいる廃品回収の男です。

証明11

(※画像はKMDbより)

ただし、これまでの映画とはちょっと役回りが違うようです。

大雨の中、廃品回収の大八車の中から壊れた傘を抜き出す母。そのまま持って行っちゃうのかと思いきや、ちゃんとお金を払うんです。

1000ウォン札を2枚。

男は1枚だけを受け取り、去って行きます。貧しい者同士、だますことなく、正直に取引することで、お互いの尊厳を守っていることが感じられます。弱者同士なら助け合えるけれど、ひとつの変数が加わったとたん、関係が変わります。

これは「パラサイト」で起きた悲劇と同じです。

“ボイラー・キム氏”は、これまで「罪を押しつけられる」役でしたが、「母なる証明」と「パラサイト」では高貴な“善人”の仮面をはぎとる役なのです。そして獣の背中を押す。

「お母さんはいないの?」

息子を守ろうとする母の問いかけは、母親という立場の人間が最大限できることを“証明”する行為です。

“ボイラー・キム氏”が暴いた仮面の下にある、人間の本性。

ひるまずにそれを映画にしたポン監督の才能。

月影先生


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