「グエムル 漢江の怪物」ポン・ジュノ監督フィルモグラフィー③
ポン・ジュノ監督を評してよく言われるのが、ジャンルレスであることです。
韓国では2006年に公開された「グエムル 漢江の怪物」は、これまでのミステリー路線とは一変、街が怪物に襲撃されるパニック映画です。
<あらすじ>
父と一緒に漢江の河川敷で売店を営むパク・カンドゥ。娘のヒョンソは中学生、弟は大卒フリーター、妹はアーチェリーの選手という一家です。ある日突然、漢江から飛び出してきた謎の怪物がヒョンソを連れ去ってしまいます。死んだと思っていたヒョンソから「助けて」という電話が来たことで、カンドゥ一家はヒョンソを救出しようとしますが……。
観客動員数1300万人を突破する2006年最高のヒットとなり、タランティーノ監督も「すき♡」してくれたとのこと。
ポン監督、一安心したのではないでしょうか。
デビュー作の「ほえる犬は噛まない」が興行的に失敗し、落ち込んだポン監督を励ましたのが、ソン・ガンホです。
2003年に公開された「殺人の追憶」で初めてタッグを組み、成功。続いて監督することになったオリジナルストーリーの「グエムル 漢江の怪物」でも主演はソン・ガンホ。強い絆がみえますね。
画像の中、左がポン監督、中央がソン・ガンホ、右は祖父役のピョン・ヒボン、後ろの赤いジャージの女性が妹役のペ・ドゥナです。
ペ・ドゥナは「ほえる犬は噛まない」でも主演。画像にはいませんが弟役のパク・ヘイルは「殺人の追憶」の容疑者役でした。ここまですべてのポン監督作品に出演しているピョン・ヒボンには、今回めっちゃかっこいいシーンが用意されています。
ポン・ジュノ組ともいえる役者陣との信頼関係がなければ、この映画の成功はなかったかもしれません。というのも、韓国では怪獣映画の前例がほとんどなかったからです。
有名なのは1967年に制作され、アメリカで公開された「大怪獣ヨンガリ」くらいかも。大映のガメラ・シリーズを担当していた日本のエキスプロが製作に協力しています。
これをリメイクした「怪獣大決戦ヤンガリー」は、コメディアンのシム・ヒョンレが15億円を投じて製作したSFパニック映画です。
どちらもゴジラに角を生やしたようなビジュアル。
意識しすぎやん!
という気がしますが、「グエムル」後は、「第7鉱区」という大人も楽しめるモンスター・アクション超大作も作られるようになりました。
「グエムル 漢江の怪物」は、韓国映画史に着ぐるみ怪獣からの脱皮という爪痕を残したと作品といえます。
映画「グエムル 漢江の怪物」
映画は米軍部隊内の薄暗い実験室から始まります。アメリカ人兵士が韓国人兵士に化学廃棄物を下水に流せと命令。韓国人兵士は命令をそのまま実行します。
このシーンがマクファーランド事件と呼ばれる実際に起きた事件をモチーフにしていることから、「反米映画」と呼ばれた時もありました。
今回あらためて「グエムル」を観て、そんなに単純な怪獣映画でも反米映画でもないかもと感じたんです。
たとえば「インデペンデンス・デイ」や「パシフィック・リム」といったハリウッド映画は、「得体の知れない、言葉も通じない生物に攻撃されたから、やり返して殲滅する」物語です。日本の「ゴジラ」シリーズもそうですよね。
気になったのが、怪物が決して都心へと向かわないことです。漢江という、ソウルの中心部を流れる大きな川と河川敷をはね回るだけ。怪獣やロボットが道路にぶつかり、電車をひっくり返し、ビルを次々に破壊するのが特撮映画の見どころではないの? 「キングコング」だってエンパイア・ステート・ビルに登ったのに。
(※画像はIMDbより)
「グエムル」はちょっと違います。基本的にモノがあまりない河川敷をとにかく逃げる! 逃げる! 逃げるまくる!
(※画像はKMDbより)
予算のせいかも……。涙
パク一家がない知恵を絞って怪獣を追うのは、ただヒョンソを取り戻したいから。怪獣を倒して平和を取り戻すことが目的ではない。そのため「シン・ゴジラ」で描かれたような無能な役人による無駄な会議もありません。
その代わり、警察に話しても、病院で叫んでも、アメリカ軍に訴えても、だれもカンドゥの言葉に耳を貸してくれないんです。娘を亡くした衝撃、ウイルスの影響で妄想を見ていると言われる始末。
(※画像はKMDbより)
カンドゥ=無力な一市民が味わった悲劇こそ、社会に対する風刺なのだと思います。
パニックによって露わになる人間の本質は、フェイクニュースに翻弄されるいまのSNS社会を先取りしているようにも感じます。怪獣映画の伝統を引継ぎつつ、家族の絆を中心に据え、「正しく怖がろうぜ」と言っているような気がしてしまうのです。
「パラサイト」との関連
「パラサイト 半地下の家族」は半地下に住む家族が主人公の映画です。常に湿気ていてカビ臭い部屋には便所コオロギなる虫も多い。
町全体を消毒する薬の散布がされるシーンで、「窓を開けたままにしておけ。部屋を消毒してもらおう」と父がつぶやきます。自分では動かず、他者のおこぼれをもらおうという発想が現れたセリフですが、消毒薬の散布は「ほえる犬は噛まない」にも「殺人の追憶」にもあったシーンです。もちろん「グエムル」にも。
「グエムル」は家族がそれぞれの特技を生かして大きな構造と闘いますが、「パラサイト」には社会構造を転覆させようとか、お金持ちを攻撃しようという意図はみられません。ただ、家長に生活能力がないことは共通していますね。
(※画像はKMDbより)
おもしろいのがどちらの家族にも争いがないことです。父親がこんなぐうたらしていたり、半地下の家から引っ越せる見通しがなければ、
「クソおやじぃぃぃ!!!!!」
と家出してもいいんじゃないかと思うんですけど、助け合うんですよね。家族の誰も決して見捨てない。これはポン監督の家族観なのかもしれません。
わたしがポン監督の映画で注目しているのは、ドロップ・キックと、“ボイラー・キム氏”です。「ほえる犬は噛まない」で怪談話に登場した“ボイラー・キム氏”の描き方をみれば、監督が映画に込めた想いが感じられるからです。
伝説では、欠陥工事のマンションを安定させるために人柱として壁に塗りこめられたのですが、今回はボイラーの前にはいません。
「下水溝に流してしまえばいい、ミスター・キム」
アメリカ人兵士に命じられるまま化学廃棄物を下水に流した韓国人兵士こそ、“ボイラー・キム氏”だった!!! 薬品から立ち上る煙によって、ボイラーの前にいるかのような景色になっていました。
これまでの映画では「罪を押しつけられる」役回りだったのですが、今回の映画で彼の行動は、命令されたらことの善悪は考えずに実行する=ナチスドイツでユダヤ人虐殺を先導したアイヒマンのように見えます。
1960年、エルサレムで行われた裁判の模様をまとめたハンナ・アーレントの本『エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』には、「彼は小柄で気の弱そうな、ごく普通の人物だった」と記されています。
アイヒマンは裁判でユダヤ人の虐殺について「命令されたから」と答えています。ナチスと聞いてイメージする“悪人”のかけらも彼には見えない。「悪とは、システムを無批判に受け入れることである」とアーレントは綴っています。
“ボイラー・キム氏”はアイヒマンなのか。
「パラサイト 半地下の家族」は、「悪人のいない悲劇、コメディアンのいない喜劇」とポン監督が語っています。“悪人”らしい“悪人”は登場しない「ほえる犬は噛まない」と、“悪人”がみつけられない「殺人の追憶」に続いて製作された「グエムル」に“悪人”はいるのかというと、やはりみんな被害者なんですよね。
ただひとり、“ボイラー・キム氏”を除いては。
でも、もしこの事件の終息後、裁判が開かれたとしたら、きっと彼は言うのでしょう。
「命令されたから」
「グエムル」は反米的なパニックムービーというよりも、善悪の判断を放棄した“ボイラー・キム氏”に突きつけられた映画なのです。
監督からのメッセージはこれです。
「おまえは、“ボイラー・キム氏”になってないか?」
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