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ショックの理由を探っていったら、noteを止めようと決意することになったお話 #630

一昨日からずっと考えていたことがあって、今後は「1000日チャレンジ」にnoteを使わないことを決めました。まだ悩んでるし、迷っているし、いつか再開するかもしれないけれど。

5日後から「noteでは書かない」方針です。

きっかけは、note編集部に『おばちゃまは飛び入りスパイ』の投稿を取り上げていただいたことでした。

たしか4日ほど前に通知が来ていて、その後、たくさんの方に読んでいただきました。これ自体はとてもありがたいことで、大好きな小説を紹介して、その本のことを知らなかった人に、読んでもらうきっかけを作れたのであればよかったなーと思っています。本当に本当に勇気の出る小説なので。

そして、4月1日。朝からミーティング続きでいたところ、スマホから通知音が何度も聞こえていました。どうやらnoteの公式アカウントでツイートしていただき、それに対する反応のようでした。

その後、実際のツイートを見て思わず「エイプリルフールっすか!?」と思ったのです。「読書感想文」って……。

わたしは2019年7月14日から「#1000日チャレンジ」を実施しています。チャレンジの内容は、
・キツイこと:書評か映画評を1000本書く
・できそうなこと:毎日一万歩歩く
このふたつでした。

通勤がなくなったため、「できそうなこと」だったはずの「毎日一万歩」がまったく達成できていないのは、笑うしかない。そのため、「書評か映画評」は、ていねいに、大切に書こうと思って続けてきました。

おこがましいけれど、普段の投稿には「#1000日チャレンジ」と「#書評」か「#映画評」のタグを付けています。それは「そうありたい」と思う気持ちの表れでしかなく、編集部の方にとっては「読書感想文」だったのだと思います。

それでも。

「書評」のタグが付いているものに対して、「読書感想文」と呼ぶだろうか?

あまりにも混乱したので、このツイートにどう反応すればいいのか、よく分かりませんでした。あまたあるnoteの中から、わざわざ読んでいただいたことはありがたいし、取り上げていただいたこともうれしい。

でも、モヤる。

とはいえ、自分が書くものが「評論」と呼べるレベルのものではないことは自覚しています。それでもわたしは、「感想文」ではないものを目指してきたのです。

書評と感想文の違いについて、書評家の豊崎由美さんは『ニッポンの書評』の中で、「背景があること」と「返り血を浴びる覚悟があること」としています。

本を読むたびに蓄積してきた知識や語彙や物語のパターン認識、この本が持っているさまざまな要素を他の本の要素と関連づけ、いわば本の星座のようなものを作り上げる力。それがあるかないかが、書評と感想文の差を決定づける。

こんな一文に触れると、おののくほどの教養がないと書けん……と思ってしまうわけですが、一方で豊崎さんは、「読み物としておもしろければOK」とも考えているそう。Amazonの悪意ある匿名レビューは、営業妨害でしかないと厳しい指摘もされています。

わたし自身は豊崎さんのお書きになる書評が好きで、『文学賞メッタ斬り!』シリーズで興奮気味に繰り広げられるトークも大好きです。机をバンバンと叩いている姿が目に浮かんでしまう(妄想です)。

書評は、まず本の魅力を伝える文章であり、「これ読みたい」という気持ちにさせるもの。それが豊崎さんの目指す書評だそう。

① 自分の知識や頭の良さをひけらかすために、対象書籍を利用するような「オレ様」書評は品性下劣。
② 贈与としての書評は読者の信頼を失うので自殺行為。
③ 書評は読者に向かって書かれなければならない。

チャレンジを始めるにあたって、こうした豊崎さんの書評観を参考に、自分で決めていたことが5つありました。

・好き嫌いで書かない
・けなすくらいなら書かない
・作者への尊敬の念を持って書く
・その作品を知らない方への入り口になるように書く

そして、「読書感想文にはしない」ことです。「しょぼくない」なんて、ほめてるのかけなしてるのか分からない書き方もしない。できるだけコンパクトに書く(これは達成できてない……)。だから、ツイートのこの一文に、ショックを受けたのでした。

mameさん@yymame33による『おばちゃまは飛び入りスパイ』の読書感想文です。

もちろん、自分の決めごとができていたかどうかは、話は別。浅はかな知識で、浅い読みをして、拙い文章で書き綴るので、たしかに「読書感想文」の域を出ていないなと思います。

豊崎さんが仰るような、「読み物としておもしろければOK」や、「“これ読みたい”という気持ちにさせるもの」になっていたとも、自信を持ってはいえません。

広辞苑によると、「書評」とは、「書物の内容を批評・紹介すること。また、その文章」とあります。

わたしが630日にわたって書いてきたものは、「批評」ではないけど、「紹介」ではあったと思う。それを「読書感想文」と呼ばれることにショックを受けるのは、「書評が上で、読書感想文が下」だと思っていたからなのだと気がつきました。たぶんに豊崎さんから影響を受けているので、そのせいもあるでしょう。

「読書感想文」という言葉自体に、「小学生の夏休みの宿題」というムムムム感もあるし。できるだけおもしろいものにしたいと思っていたけれど、いかんせんそれは技術不足でどうにもならない。

おもしろくもなければ、毒にも薬にもならない「感想文」を、書き続ける意味はあるのか?

一昨日からずっと考えていたことは、それでした。

ちょっと話は変わりますが、インターネットはよく「海」にたとえられます。「ネットサーフィン」という言葉があるように、「空」ではなく、「海」なんですよね。不思議。

その海を汚しているもののひとつに、プラスチックゴミがあります。現在、SDGsの達成に向けて、「使い捨てプラスチックの使用を減らす」ことも進められています。

そんなこともあって、毎日「公開する」ボタンを押す直前、とても迷っていました。インターネットという「海」に、これ以上「0」と「1」のゴミを増やしてもいいのだろうか、と。

あ、「ゴミ」というのはですね。以前、面と向かってそう言われたのです。わたしの書いたものを読んだ方が「分かってないなー。こんなのゴミじゃん」と言い放って、その時もたいそう傷ついたのですけど、そういう言葉をペロリと言えてしまう人と付き合わなければいいので、あっさり距離を置きました。

わたしはいま、ネット記事の校正をする仕事をしています。印刷業界に比べて、無邪気に言葉を使うなーという印象が強く、おそらく以前よりも積極的に指摘を入れるようになりました。

「こういう書き方だと失礼になるよ。○○って言いたかったのでは?」

「不快と不愉快はちょっと意味が違います。生理的な拒否反応ではなく、嫌な気持ちになったということなら、“不愉快”の方がいいかもしれません」

といった感じで、言葉のニュアンスや、ネガティブチェックの比重が増えています(校正者のネガティブチェックは、もっと知られてもいいのかもしれない。しょーもない炎上の種をつむことができるのになーと、先日の炎上案件を見ながら思いました)。

そんな校正者の目で先のツイートを見ていたら。

mameさん@yymame33による『おばちゃまは飛び入りスパイ』の読書感想文です。

「著者は“書評”と呼んでいますが、“読書感想文”とした理由はありますか?」と指摘するかもしれません。それくらい、「書評」と「感想文」は違うものという認識で、このツイートからは、わたしの意見は尊重してもらえないように感じたのです。

つらいながらも「#1000日チャレンジ」を続けてきた理由は、自分の言葉を獲得したかったからでした。

これまでさまざまな「性格テスト」的なものを試すたび、「ひとりが好きすぎる」「孤独を愛する」と出るくらい、わたしはひとりでいる時間が好きです。そのせいか、熱狂して書くというスタイルがとても苦手なんです。気持ちが外に開いていかない。だから言葉を出すのにとても時間がかかります。

もう少し、自分の言葉で、自分の感動を形にしたい。

そう考えて書いてきたのですが、それだけの場所としてなら、noteじゃなくてもいいのではないか。レイアウトの自由度はないし、短くはなってしまうけど、Twitterに投稿するのでもいいのではないか。そう考えるようになったのです。

noteの中で「読みました!」という感想をもらったり、「あの映画かっこよかった!」と盛り上がったり。コメントをいただくことも増えて、「ひとりが好き」なわたしが、交流する楽しさをちょっと実感できたところだったので、残念だけど。

毎年、3月と4月は仕事が激務となるため、いくつかのストックを用意していました。それが、あと5本あります。そこで4月8日を、note卒業の日と決めました。「#1000日チャレンジ」達成の日が2022年4月8日なので、ちょうど残り365日でのお引っ越しということになります。

noteにはチャレンジ仲間のみなさんもいて、お互いに励まし合うことができるので、とてもありがたく使わせてもらっていました。無料で、広告も入らず、ここまでできるなんて、すごいサービスだと思います。

それでも、いまはnoteと距離を置きたい。

「はじめてのnoteガイド」には、「だれもが創作を楽しんで続けられるよう、安心できる雰囲気や、多様性を大切にしています」という一文があります。

どうかその理念を大切にしてほしいと願っています。これまで使わせていただいたことには、感謝しかありません。大好きなクリエイターの方はnoteを使っていますし、読者としてはこれからも利用させてもらうと思います。

でも。いまの気持ちは、「No」なのです。

あと5日、「感想文」を置かせてもらいます。

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