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それでも、わたしは本屋が好きです 『私は本屋が好きでした』 #537

「本屋という仕事は、ただそこにあるだけで、まわりの社会に影響を与えることができるものなのだ」

ヴィレッジヴァンガード創業者の菊地敬一さんの言葉だそうです。

「影響」にはもちろん、好ましいものと、好ましくないものがあります。本屋さんが発信するものといえば、「棚」かな。そこにどんな本が並べられているのかによって、やっぱり影響を受けるように思います。

わたしが住む街の最寄り駅の、こっち側とあっち側に、同じチェーンの本屋さんがあります。なぜこんな近くに2店も?と思うのですが、お店の雰囲気がぜんぜん違うんですよね。

こっち側は、ファミリー向けなのか、マンガコーナーや文房具売り場が広い。書籍はというとベーシックな品揃え。売れ筋の本と、新聞などの書評コーナーで紹介された本が特設コーナーに並んでいます。

一方のあっち側のお店は、テーマ別のセレクト本コーナーもあり。「へー、こんな本があるんだ」という発見は、断然こちらのお店の方が確率が高いんです。

チェーンの本屋なんて、どこも似たようなもんでしょ。

そんな思い込みを覆してくれる本屋さんではあります。わたしが通っているのもあっち側のお店なんですが、こっち側のお店に行かなくなったのには、はっきりとした理由があります。

店舗入り口に、ドドンとヘイト本が並べられていたから。

大型のPOPと共にたくさんの本が並んでいるのを目にしたあの日から、よほどのことがなければ行かなくなりました。わたしにとって、好ましくない「影響」を受けたくないからです。なによりお店に品位がないと感じたから。

ヘイト本の始まりは、2005年に刊行された『マンガ嫌韓流』といわれています。この本以降、「ヘイト本はホントによく売れた」と書店員さんが語るほど、たくさんの本が世に出て、それが当たり前になり、叩いてもいい国と人間(というか、人間以下の扱い)になっていったなと感じます。

そんな空気はなぜできていったのか。なぜ本屋さんにはヘイト本が多く並ぶのか。現場の声を集めた本が、永江朗さんの『私は本屋が好きでした』です。

誰かが誰かを「嫌う」のは、仕方のないことだと思います。批判だってすべきものはある。ただし、「ヘイト」と呼ばれるものは、それとは別。

その人の意思では変えられない属性――性別・民族・国籍・身体的特徴・疾病・障害・性的指向など――を攻撃する言葉は、批判ではなく差別です。

永江さんはそう定義し、書店経営者、チェーン書店の店員、取次会社、出版社や編集者にもインタビューをされています。

早見和真さんの小説『店長がバカすぎて』に、棚に本を並べる作業と返本作業という肉体労働でヘトヘトになる……というシーンが出てきます。取次から送られてくる本を並べるだけ、という本屋さんも多いのだとか。

本を読んでいない書店員、本を読まない取次の社員が多い、とNさんは言う。
「本が好きでこの業界に入ってきた人が、仕事をするうちにだんだん本が嫌いになっていく。本当は、主体性のない本屋がなくなって、主体性のある本屋が残っていけばいい、それを支援する仕事をしたいんですが」

Nさんとは、取次会社の社員の方です。みんな忙しすぎるし、「谷原京子」みたいに薄給で働くアルバイトも多い。こんなカケラも誇りを持てない仕事なんて、つらすぎる。なんかもっとゴソッと改革できないものなのかしら。

とある本屋さんで「岩波文庫のコレを探しているんですが」と質問した時。クルッと後ろを振り返り、先輩っぽい男性に「いわなみってなんですか?」と質問していたことが忘れられない。

それでも。わたしは本屋が好きです。


2020年最後のnoteになりました。強制的に新しい環境に放り込まれて、アップアップしていた一年。毎年、自分にとっての大きなチャレンジをするけれど、今年は「やらないこと」を決めた年だったように思います。「#1000日チャレンジ」が500日を越え、折り返しに入りました。とにかく一歩一歩進むしかない毎日。ご覧いただき、ありがとうございました!

2021年は、きっともっとよい一年になる。どうぞお身体に気を付けて、よいお年をお迎えください。



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