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男女格差後進国はリテラシーにも格差あり 『足をどかしてくれませんか。』 #588

先週、一番笑ったニュースがこれでした。笑い事じゃないんだけど、笑ってしまう。

自民党の竹下亘元総務会長が、東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子新会長について、「スケート界では男みたいな性格でハグなんて当たり前の世界だ」と発言したというニュース。あんまりおもしろかったので、魚拓までとってしまった。

朝日新聞デジタル

えーと、もう、黙ってればいいのにと思わざるを得ません。特に笑ったのはこの部分です。

この発言後、竹下氏の事務所は報道各社に「正確には『男勝り』と言いたかった」と発言の「訂正」を申し入れた。

「男勝り」を広辞苑で引くと、こう説明されています。

女でありながら、気性が男にもまさるほどに勝ち気であること。また、そのような女。

「女でありながら」とか、「男にもまさるほど」とかの意味を含んで使われてきた言葉なんですよね。記事の中の「訂正」という表記のされ方に、とても正しいカッコの使い方を見たような気がしました。この記事を書いた記者の呆れ顔が目に浮かびます。

「男勝り」はもちろん、最近の小説では「男らしく」や「女々しい」と言った言葉も目にすることが減りました(わたしが読んでいる分野だけなのかもしれないが)。

表現の世界ではそれほど注意深く、言葉の使い方を選んでいるというのに。政治の世界の遅れっぷりを、露わにしたニュースだったのではないでしょうか。

とはいえ、わたしだって分かっていないことも多いし、まだまだ知りたいこともたくさんあります。昨年読んだ『足をどかしてくれませんか。——メディアは女たちの声を届けているか』は、どうやって男を中心とした社会が作られてきたのかがよく分かる本でした。

タイトルの「足をどかしてくれませんか」は、奴隷解放・女性解放運動家のサラ・グリムケの言葉で、ルース・ベイダー・ギンズバーグが最高裁での初の口頭弁論で引用したものです。

著者のひとりである東京大学大学院情報学環教授の林香里さんは、女装パフォーマーのブルボンヌさんとの対談の中で、自身の職場での役割についてこう語っています。

男性からデフォルメした女性になるのに2時間も3時間もかかるなんてすごいなと思う反面、私は2004年に東京大学の教員に着任してから15年もかけて、中身を男に取り換えた(笑)。

ゴリゴリの男性研究者ばかりの中で研究者としてやっていくには、女性性を封じて男性のように振る舞うしかなかったとのこと。一方で、「女子アナ」と呼ばれる職業に求められるのは、「男性を上回らない程度の賢さ」なんです。

女として生きていくって、大変やな……と思うのに。日本でクィアとして生きるのは、さらに大きな壁がありそう。

現在のフェミニズムについて、企業にとってのダイバーシティってどういうことなのかなどなど、メディアのあるべき姿を考える一冊。現在進行形で深化しているテーマが詰まっています。

上のようなニュースを見ると、リテラシーの格差を感じます。興味・関心の方向性もあると思いますが、教養・知識の範囲でしか情報は入ってこないから。代議士の周辺にもアドバイザーがいないのかもしれない。

まず「82年生まれ、キム・ジヨン」の映画と本を読んで、そしてこういう当事者と学者とジャーナリストが語り合う本を読んで、出直してきて!と言いたくなったニュースでした。

いまわたしにできることは、学ぶことと黙らないことだと思った。





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