キムジヨン

自分の言葉を失った女性の半生 『82年生まれ、キム・ジヨン』 #23

これは、わたしの物語だ。

読み始めてすぐにそう感じ、一度は本を閉じてしまった。ジヨンの叫びに、息がつまり、自分の子ども時代が浮き上がってくるような気がした。

今日ご紹介するのは、韓国で100万部を突破し、日本でも話題になった小説『82年生まれ、キム・ジヨン』です。

<あらすじ>
夫と娘と暮らすキム・ジヨンは、ある日突然、母そっくりの話し方でしゃべり始めます。最初は幽体離脱かよと笑っていた夫も様子が変なことに気が付きました。ジヨンの口を通して次々と語られる母や友人たちの恨みつらみ。まるで別の人格が憑依したかのようなジヨンに何があったのか……。

ジヨンの治療にあたる医師のカルテという形で小説は展開されていきます。

主人公の名前である「ジヨン」は、韓国の1982年生まれに最も多い名前なのだそうです。ちなみに日本では「裕子」でした。どこにでもいるすべての女性に起こりうる物語を象徴させる名前なんですね。

誕生から学生時代、受験、就職、結婚、育児に至るまで、数々の女性が味わった理不尽。その中には本人が自覚していたものも、無意識に浴びていた傷もあります。

なぜ、お腹の子が女の子かもしれないと言うのは”縁起でもないこと”なのか。

なぜ、母は娘にだけ教育大を勧めるのか。弟には絶対言わないことなのに。

なぜ、同好会の「部長」は代々、男性なのか。


心にたくさんの傷を負ったまま会社員となったジヨンは、男性社員がやらない雑用をやりつつ、難しいクライアント案件もこなせるほどに成長します。そこに、大きなプロジェクトチームの結成が告知されますが、ジヨンの名前はありませんでした。

メンバーに漏れた理由を聞かされたジヨン。

迷路の真ん中に立たされたような気持ちになった。誠実に、落ち着いて出口を探しているのに、出口は最初からなかったというのだから。それで呆然と座り込んでしまえば、もっと努力せよ、だめなら壁を突き破れと言われる。

思えば、わたしも新卒で入社した会社での最初の“仕事”は、チーム全員のカップと飲み物の好みを覚えることでした。Aさんは日本茶、Bさんはミルクと砂糖入りコーヒーで午後一は日本茶、Cさんはブラックコーヒー……。それをやってよかったことはと聞かれたら、人の顔を覚える前に甘党かどうかを覚えられたことくらいでしょうか。評価には何も紐づかない“仕事”に疑問ばかりがつのりました。

「公正」なんて言葉にはなんの意味もありません。ジヨンはチーム選抜の理由を聞かされて、すべての情熱を失ってしまいます。

小さな出来事を積み上げつつ、統計数値を用いた説明が差し込まれるので、韓国での状況も理解しやすい作りになっています。といっても、日本とは変わらない部分も多いのですが。たとえば、上の引用の後に続く説明では、『エコノミスト』雑誌は、韓国を女性が最も働きづらい国に選んだことが紹介されています。


事実に裏打ちされた、フィクションの世界。多くの女性が直面する問題をひとりの女性が語るという形式によって、ジヨンが巫女の役割を果たしているかのように感じました。

女性を取り巻く差別や社会の不合理は、あまりにも日常的に、あまりにも自然に存在しています。その事実に震え、自分の感覚が麻痺していたことを恐ろしく感じました。

文芸作品というよりも、ノンフィクションを読んでいるような気分にもなります。秀逸なのはラストシーンです。女性だけでなく、男性にもぜひ読んでほしい。ガラスの天井を可視化するために。

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