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あなたの考える「私の時代」はどんな姿ですか。 ~西武そごう 新聞・動画広告~

「女の時代、なんていらない?」

 こんな広告が紙面に現れたのは元旦だった。西武そごうの新聞広告である。私はこの新聞広告を新聞では見ていないが、友人がnoteに記事を書いていたりネット上で話題にあがっていたのでその中で画像を見た。また、この広告には公式サイトでの動画広告もあったのでそちらも閲覧した。
 まず、新聞広告の方を見たときには第一印象として不快感を持った。女性にパイが投げつけられている。オレンジのレースの服には白いクリームが飛び散り、髪はクリームでひどく濡れている。一般的な「キレイさ」はそこには見られない。添えられたコピーは以下の画像の通りである。

(西武そごう「わたしは、私。」公式サイトより引用)

 このコピーを読むと、女性に投げられたパイは冒頭の部分、つまり"女性であるが故に社会から受けるさまざまな理不尽なこと"を表しているのだと考えられる。コピーがパイに明確な意味を持たせているとも言える。強烈なビジュアルと核心を突くかのようなコピーは、女性に向けられる不平等や差別が今も残っていることを指しているのだろう。

 ビジュアル的な不快感を持ちながらも、私が新聞広告に対して抱いた感情はこのくらいだった。強く違和感は持たなかった。

黙って笑顔で受け入れろ、は前時代的

 しかしながら、動画広告には「おかしいだろう」という気持ちになった。以下の動画を見てほしい。

 演じているのは女優の安藤サクラさん。NHKの連続テレビ小説『まんぷく』のヒロインだ。ここでは女性としての立場を強調したいので、安藤さんではなく「女性」と表記する。歩いている女性に向かっていくつものパイが飛んでくる。当然、パイは自然に飛んでくるものではないので誰かが女性に向かって投げているのだと理解できる。女性の顔にべったりと付くクリーム。だが、それを女性は笑顔で受けている。倒れるときすら笑顔である。

 私はここに疑問を抱いた。なぜ笑顔なのだ?時折挿入されるもう一つの映像(女性が暗い顔や意志の強そうな顔をしているやや暗い映像)を見ると、必ずしも嬉しいとか楽しいとかプラスの感情だけではないとも受け取れるが、少なくとも表向きではパイ投げを受けてなお笑顔なのである。

 理不尽な差別や言動を笑顔で受け入れましょう、ということなのだろうか。例えば拭ったパイを投げ返したり、投げる相手に向かっていったりする描写があってもいいのではないだろうか。

投げる行為を「止める手」はあるか

 
 もう一つ、足りない視点がある。これは投げられる女性に対してではない。

 パイを投げる行為そのものを止める第三者の存在が描かれていないということである。

 同性からにしろ異性からにしろ、向けられる不平等や差別が存在するならば同時に、それを抑止するものもあってしかるべきなのではないか。動画の中で、女性に思い切りパイを投げる手と、その手をぐっと掴み力強く止める手が描かれていたら?女性差別を無くすという意味でも、一人ひとりの人権をきちんと尊重していくという意味でも、もっと「私の時代」をつくっていきたいという立場表明として説得力のあるものになったのではと考えた。

「私の時代」のために

 この広告が元旦に世に出され、これだけの話題になっていることはとても意義深いと思う。強くインパクトの残る広告だからこそ、もっといろいろな視点を持って作って欲しかった。批判する声が大きいということは「私の時代」を作るには足りないのだろう。
 一方で、こうも感じられないだろうか。「この西武そごうの広告に対していろんな議論を重ねる道程が、『私の時代』を形成するのではないか」と。
 もしかすると、完全体にしなかったのには、各々でもっと考えて欲しいという制作者の意図が隠されているのかもしれない。

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