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森での幸せの段階レベルが解明できて腹落ちした話(オキシトシン・セロトニン的幸せ)

最近Voicyをよく聞くようになりました。
その中で偶然すごいエピソードを見つけまして。

Voicyで「荒木博行のbook cafe」で書籍を紹介してくださっている荒木博行さんが、
アーティストであり、起業家でもある、柏谷泰行さんをゲストに迎えて
3日間の対談を収録した最後の回です。

これがもう、めちゃくちゃ共感して「確かに!そう!わかるーー!!」とうなづきまくり!
ビジネスの世界で大成功した方が森に居を構えるようになった経緯もめちゃくちゃ面白いし、
そして何よりその背後にある思考回路が「ほほ〜!そんな観点で考えたことなかった!でも超なるほど!超納得!」と猛烈に腹落ちし、
結果的に聴きながら大興奮でTweetしてしまいました笑

https://twitter.com/nannoii1111107/status/1388805522955010049
(荒木さんご本人にリツートいただき、光栄です涙)

たった22分の対談エピソードなんですが、
もう気づきと学びが多すぎて
「これはちゃんと消化吸収したい!」と思い、
勝手ながら文字起こしをさせていただきました。
自分の振り返りのために書き起こしたんですが、
あまりに貴重で有用なコンテンツなので公開させていただくことにしました。

※Voicyの利用規約をチェックしましたが、投稿データに関して、ユーザー(リスナー含む)に使用、複製、配布、派生著作物を作成、表示及び実行することについての非独占的なライセンスを付与されているとのことで、問題にはならないはず。
ですが、もちのロンで肝心のコンテンツは本家のVoicyを聞いていただくのが一番です!

Voicyのエピソードはこちら
文字起こしはこちら

柏谷泰行さんによる幸せの定義:ドーパミンの幸せ/オキシトシン・セロトニンの幸せ

柏谷泰行さんの整理では、人間が幸せを感じる種類には、
大きく分けて2つがあるそうです。
・ドーパミンの幸せ(鋭い快感・何かを達成した時や仕事での成功など)
・オキシトシン・セロトニンの幸せ(じわーっとした幸せ・人との繋がりや感謝などを感じた時)

(補足)ドーパミン、オキシトシン、セロトニンとは、脳内で分泌される物質の名前のことで、「幸福ホルモン」と呼ばれることもあります。

ドーパミンの幸せはネガティブループがかかるので、同じ量の刺激だとだんだん幸福を感じられなくなる性質があるそうです。
例)会社が2倍成長を続けているとだんだん幸福を感じなくなっていく

一方で、オキシトシン・セロトニン系の幸せは、ポジティブループがかかって、どんどん強く感じやすくなるんだそうです。
例)人と人との繋がりは時間とともに濃く感謝も感じやすくなる

柏谷泰行さんが森の生態系の一部を実感して孤独がゼロになった話

森の中で過ごした何気ない瞬間のなかに、自分が壮大な生態系の一部であることを理解して孤独がゼロになった瞬間があったそうです。

なんか川に惹かれるなと思って川を歩いていた
川を上っていったバシャバシャ。夏だったので
で、それで上っていって疲れたので川の上のでかい石の上で休んでて
そこで持ってきていた煮干しを食べたんですよ

そうやって食べているときに煮干しがひとかけら川に落ちたんですよ
こぼしちゃって
そしたら自分が座っている石の下から小エビが出てきて、
その煮干しをとって行ったんですね

そこから川を見てみると魚もいて
もうひとかけら落とすと魚も取っていた
多分ヤマメだったと思うんですけど

それを見た瞬間、もうね、
「自分はこの生態系の一部だったんだ!」っていう気づきがあって

その時に孤独がゼロになったの
オーケストラが鳴ったみたいな衝撃を受けたんだ

細かい説明はなかったのですが、
おそらく
煮干しという海の小魚を人間も食べるし、川の生き物も食べる
食べたもので生き物の体は作られていて、
その生物も自然の摂理で食べ、食べられながら生態系が保たれている。

空から雨が降った後に山を通って川に水が流れ、ヤマメやエビを育んだ水が、
いずれ海に到達して海でまた新たなカタクチイワシが生まれ育つ糧となる。
みたいな循環の中に自分という人間が位置している様子が
「生態系の一部」と感じられたのかな、と推測しました。

そして「自分は生態系の一部である」と実感した時に
「孤独がゼロになった」


つまり、地球上の生きとし生けるものと自分との間の繋がり(生命の連鎖のようなもの)を感じて孤独が癒された幸せを強く実感できた(=オキシトシンが分泌される類の幸せを感じた)ということなんですね。

非常に興味深い洞察です。


私が感じた森での気づきは悠久の時間軸からのオキシトシン的な幸せ

私個人の今まので考え方では、
人間が辛い時に大自然に触れると気持ちが楽になれるのは、視座が上がるから
だと思っていました。

以前、屋久島で数千年〜数万年かけて大木になったにも関わらず、

江戸時代に人間が伐採して朽ちてしまったけれども

次の若い世代の植物が育つ土壌の役割を果たしている屋久杉に対峙した時の
言いようのない感動と、

当時離婚問題で悩んでいた心の救われた強烈な経験は忘れられません。




あの経験から、なぜ私は森であんなに心を動かされたのか?を考えていました。



私が出した答えは、

人間の寿命より遥かに長い時間を生きて
環境や気候の変化、歴史や人間の移ろいもずっと見ながら常に動かずそこにいた存在を前にした時に、圧倒された

↓

乗り越えてきたものの多さやレベルが桁違いすぎる人を前にすると
「自分が」「あの人が」と狭い世界に向かっていた意識がちっぽけに思えてくる



それで「なんだか悩みすぎていた」とか「大したことない」と
気持ちが楽になれた

↓

=視座が上がった結果
と理解していました。


でも、今回、柏谷泰行さんのお話を聞いて、

悠久の自然を育んできた時間軸の中で
相対的に自分の短い人生の時間軸を捉えられるようになる


その中で今抱えている課題やこれまで過ごした経験、
これから生きていく残りの人生を捉えられるようになる
↓
結果的に地球規模での歴史という時間軸の中で
自分を捉えられるようになる


=生態系との繋がりを感じられて孤独が減って、気持ちが落ち着く
=オキシトシン的な幸せ状態

だったのかな?
なんて新しい理解、新鮮な視点を得ることができました。

以前の理解も、
それ自体は一つの側面で間違っていないと思います。

が、角度は違えど、本質は同じ気がします。


今回それをクリアに言語化されている柏谷さんのお話を偶然聞けたことはとてもラッキーだなと思いました。




森で感じられる軽めのリラックスはセロトニン的な幸せ

また、フィトンチッドはセロトニン系の幸福物質なのかな、なんて視点も生まれました。

ドーパミン・オキシトシン・セロトニンの幸せについて調べると、
こんな定義も見つけたんです。

セロトニン的幸福とは、一言で言うと、健康の幸福。心と体の健康です。
オキシトシン的幸福とは、つながりと愛の幸福。友情、人間関係、コミュニティへの所属などの幸福です。
ドーパミン的幸福とは、お金、成功、達成、富、名誉、地位などの幸福です。
ーーー
幸せな一生を送れる人は「健康→つながり→お金」の順番を守っている
脳科学で考える「幸せの三段重理論」
https://president.jp/articles/-/44823


フィトンチッドというのは、
樹木が空気中に発する物質の名前です。

元々は樹木が自身の生命を守るため、嫌いな虫などを寄せ付けないように使うバリアみたいなものですが、

それを人間が吸うと健康になると言われています。


血圧を下げたり、ストレスレベルが低下したりと、
森林浴の科学的な効果効能として証明されているのです。

屋久杉の衝撃から
「森(や自然)が人間に与える影響」を調べていくと、
大体がフィトンチッドの話になるんですが、

「なんか私が体験したのと階層が違うな〜」という感覚があったのです。



その説明が今回のオキシトシンとセロトニンの違いによって、
私の中で納得ができました。



フィトンチッドは公園の樹木でも触れることはできます。



でも人の往来がたくさんあって雑念が多い中でその木と対話したり
生態系に想いを馳せるのはなかなか難しいと思います。

なので、自然と自分の繋がりを感じるオキシトシン的な幸せを得られる経験は
多くの人に簡単に頻繁に訪れるものではないのです。

柏谷泰行さん流・幸せな森の暮らしづくり

話は戻りますが、柏谷さんは気づきました。

「生態系の一部であることを感じられる環境とは?」どういうとこかを考えた時に、「森だ」と



そして、現在は山梨県にお住まいだそうです。

その様子はちょっと聞いただけでもめちゃくちゃ素敵ライフすぎて超絶羨ましい限りです…!



森を見つけて森を買って
家も自分で設計したんですけど

それもこう、朝日・夕日・星空っていうのをいかに感じられるかっていうのに基づいて設計して

そこも地球と自分が地球の一部であると感じられる瞬間なんですよね

っていうなんかね、そういうオキシトシンセロトニンの最大化を目指してリアルな環境設計をしてみた

さらに今後取り組んでいく予定の構想がまた素敵です!

オフィスの会議室から始まる人間関係で大したものなんてできない
だけど
初めましてが焚き火の場とか、
初めましてがサウナとか、
始めましたが星を見るとか
登山の山頂で出会うとか
だとそういう場での出会い方だと、
よりマウンティングなんてカケラもないし、
より論理と感情のある人間そのものの心の対話が生まれやすくて
それが入り口だとオキシトシンが出やすい、心の繋がりがある仲間ができる

例えばそれを集落の設計に組み込んで行ったりとか
住宅と集落を設計して開発してそれを売って運営していくという
暮らし…まあ”ディベロッパーみたいなもん”ですよね
土地を買って集落として仕立てていくみたいな
そういうのをやろうと思ってます 


これ、すごくよくわかります。



自然の中では肩書きとか序列とか年収とか誰の方が偉いとか全然関係なくて
同じ時間に山頂に居合わせたご縁ってだけで穏やかにコミュニケーションが取れたりするんですよね。



私も経験があります。


普段の東京都心部だとなんか変な空気の読み合いとか、「知らない人には話しかけちゃいけません」という教えとか、「変な人だったらどうしよう」みたいな不安もあって全然できないですが ^^;


気になりすぎてネットで調べてみたんですが、まだ本格的に事業として展開していない段階なので特にめぼしい情報は得られず…でしたが、
もし柏谷さんがプロデュースする集落が住人を募集したらめちゃくちゃ前のめりで応募したいです!笑


まとめ

今日は、長くなりましたが、こんな内容の記事でした。
・柏谷泰行さんによる幸せの定義:ドーパミンの幸せ/オキシトシン・セロトニンの幸せ
・柏谷泰行さんが森の生態系の一部を実感して孤独がゼロになった話
・私が感じた森での気づきは悠久の時間軸からのオキシトシン的な幸せ
・森で感じられる軽めのリラックスはセロトニン的な幸せ
・柏谷泰行さん流・幸せな森の暮らしづくり


今回感じたのは、フレームワークってすごいですね。
ドーパミン・オキシトシン・セロトニンという三段階のフレームワークによって、思考が整理され、理解が深まり新しい発見もありました。

いろんなところで情報収集していると何がどう繋がるかわからないことも多いですが、こういうaha体験もたまにはあるので引き続き勉強を続けて発信していきたいなと思います。

ちなみにドーパミン、オキシトシン、セロトニンについてはこんな書籍も最近出たようです。まさにドンピシャですね。読んでみたいと思います!


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