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この時代に旧ソ連・東欧に行った事自体が驚愕です

皆さまこんにちは。

こちらの本を読みました。

ただただ驚きしかありません

1975年のソ連・東欧に行こうとしたことだけでも大変なことです。

まず、筆者の「勇気」

もうひとつが、子どもを送り出した両親の勇気。

「なんだか怖い」という空気がソ連にはありましたので。

私も今は中学生の子を持つ親ですが、当時のソ連・東欧へ「行ってこい」と言う勇気はないかもしれません。

ただ、私の子が授業の一環として、「ひとつの国を調べるように」というテーマを与えられ、「アンゴラ」という国を調べることになりました。

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今ではネットで簡単に調べることができますので、私も協力して調べてみましたが、「アフリカ」のイメージとはほど遠い、かなり裕福な国であることが分かりました。「イメージ」を勝手に自分の中に根づかせてしまっていたことに気づかされました。

ですが、1975年は今よりはるかに情報が少ない時代。なおかつ旅費も高い、手続きもとてつもなく面倒、という3拍子をクリアして渡航を実現させています。それも15歳、という年齢で。

私も出張が多いのですが、準備をすること、現地に到着するまでがすごく労力がかかると思っています。3年ほど前に韓国で仕事をしたのですが、同行者の航空券等の手配などもあったので、現地に着くまでは「ちゃんとホテルの部屋に入れるのだろうか」と不安で仕方なかったです。

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今でもそうなのにこの時代のソ連・東欧は、今より数段大変です。

なおかつ筆者は東欧諸国内を移動している。しかも15歳で。これこそ大変です。

ルーマニアでのひと幕は、今の私でも同じ事態にあったら泣きたくなります。15歳でのひとり旅であればなおさら心細かったであろうと思います。

でも、どんな国でも心ある方はいる、ということをこの本は教えてくれます。

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東欧諸国も、国によってずいぶん違いがあると感じました。東欧よりもソ連のほうが、現地でガイドが親切に案内してくれるので、むしろ安心かもと思いました。

社会主義国家であるこれらの国へ行った、しかも15歳で。それだけでもとんでもない希少価値を生みます。しかもこれらの国で得られたさまざまな体験も、ほかでは体験できないことばかりではないでしょうか。

偏見と向き合う

筆者は、ソ連や東欧へ旅行をしている、というだけで同じ日本人から偏見の目を向けられた事を書いています。そして、

偏見を持ちながら世界各地を旅行しても、
それで現地事情を知ることにはならない。もっとも僕だってソ連についてどのくらい
知ることができたかはわからない。(中略)いずれの場合でも、外国については多面的に
情報を集めて、偏見を排する努力を
できるだけしなくてはならない。それから、僕が初老になっても、
若い人に上から目線で威圧的になってはいけないと思った。

と述べています。

私ごとですが、韓国へ行ったときには現地語を多少話すことはできます。が、それだけで「なかなか変な人」と思われることは分かっています。

「失敗」と「好きなこと」

誘惑に抗しきれずに失敗をすることが人生では何度かある。そういう経験を早いうちにしておくと、
少なくとも同じ失敗は繰り返さなくなる。

私には、失敗をおそれて手を出さずじまい、と言う経験が何度か合ったような気がします。子どもたちにはそういうことはないように、背中を押してあげたいものです。

ほんとうに好きなことをしていて、
食べていけない人を僕は一人も見たことはない。ただし、中途半端に好きなことではなく、
ほんとうに好きなことでないとダメだよ。

これは筆者が日本国内で日本人の方から言われた言葉です。

私も幸い、「好きなこと」が仕事にほぼ直結していました。でも今は、売り上げの減少に伴い、「好きなこと」以外にも着手せざるを得ない状況にあり、「ほんとうに好き」が「中途半端に好き」になっていないかと自問している状態です。

最後までお読みくださいましてありがとうございました。

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