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記録に残すために…

ミステリー作家として知られる方が2015年に出した小説です。

謎解き、刑事や新聞記者が犯人を割り出していくストーリーはもちろんここにもあるのですが、この本に関してはそれは「付」の要素で、「主」となるのは、事件の背景にある東日本大震災です。むしろこれを訴えたくてこの小説を出したと感じます。

えぐられた心の傷を垣間見る

ひとつ、うなずかされた箇所がありました。

震災取材は、被害者の心に突き刺さったナイフを抜き取る作業です。どの程度の傷かは分かりません。話を訊くという作業は、抉られた心の傷を垣間見る作業です。聞き手も相手から抜き取ったナイフで傷つくことになります。覚悟が必要です。

私は、震災から1年後と3年後の2度、仕事で津波被害を受けた町を訪れたことがあります。

地元に人に話をうかがうにしても、どう切り出せばいいのか迷います。

言葉かけひとつにも、ちょっとした配慮は必要です。詳しいことは本編を読んでいただきたいですが、ひとつだけ事例をあげるならば、「頑張って」という声かけを気軽にしていいのか、というくだり。すでに被害を受けているから「がんばって」いるんです。

それでも、ジャーナリズムとして

でも、あえて逆を言います。それを広く世に知ってもらうためには何よりも当人の談話が不可欠であって、当人の証言を引き出すためにジャーナリズムは存在するわけです。ジャーナリストが存在しなければ、彼らが自ら進んで被害を語ることはありません。語ることがなければそのまま風化します。下手をすれば、なかば放置されたまま消えてしまう可能性もあるのです。

だから、太平洋戦争の当事者、ホロコーストの当事者等がその体験を語ることはとても重要なことなのです(語るのはつらいことですが)

無理やり掘り出す必要はないでしょう。なので、そのあたりは「さじ加減」というか「適度な距離」というか「謙虚な姿勢」といったものが求められるように思います(それがないと「横暴」ととらえられてしまいます)。

この距離感、長年の経験で身につけるしかないのかもしれません。プラス、自分自身がどういう人生経験を積んできたかどうか。

まだまだこれからも工夫研究が必要です。



#読書感想文   #相場英雄 #東日本大震災 #共震 #ジャーナリズム

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東の京の田舎市民
至ってごく普通のサラリーマンのつもりですが少し変わった体験もしています。

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