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【わたしのこと】死んだ父に会いたいのは、会いたいからじゃない

先日久しぶりに父に会いたくなって、部屋で声を出して泣いた。
土曜日の昼間。特になんてことはない日だった。雨が降っていて、録画しておいた中国の歴史ドラマを見終わった。

そこから手持無沙汰になって、久しぶりに絵を描いた。何を書こうと決めていたわけでもない。描くことに満足したら、急に父親に会いたくなった。

携帯で父の電話番号を見つめるけれど電話はしない。数年前試しにどうなるかかけてみたら、すでに他人の番号になっていたからだ。

一気に父とのいい思い出だけが駆け巡る。お休みの日に遅く起きて作ってくれた朝ご飯が懐かしい。Aセットがいいか、Bセットがいいか聞いて作ってくれた(卵が目玉焼きかスクランブルエッグか、の違いだけだが)。

休みの日は一緒にテレビを見たっけ。私が絵を描いている横で、父は何をしていたかな。

父は何で自殺なんてしたんだろう。父はどうして、何も言わずに逝ってしまったんだろう。いや、何かサインは出ていたんだ。急なセンチメンタルに襲われたので、おふろに入るがそこでも涙は止まらない。こんなに大泣きしたのはかなり久しぶりだ。

この1週間、わたしは無意識化でストレスにさらされていたことに気付いたのは、しゃくりあげるくらい泣いて、ちょっと落ち着いてからだった。

父に会いたい気持ちの高まりは、私のストレスがピークに近いことを示すサインなのだ。

昇級試験がうまくいかなかった。テレビをつければコロナウイルスの話題ばかり。職場ではスタッフへの不信感や、うまくいかない自分を責める気持ち。結婚した知り合いの嬉しそうな顔。友人との予定がなかなか合わないこと。体が痛くてうまく動けないこと。ドラマのシリアスな展開や登場人物に自分を重ねたこと。とりとめもないこと。ほんの小さなこと。

積み重なっていたものが、一気に流れ出たのだ。 人間は何か理由がないと泣けないものだ。だから父が登場してきた。

涙にはストレスを軽減させる効果があるという。
父に会いたくなったときは、思い切り泣いて、楽になりたいとき。泣き終わったらすっきりして、父のことはあんまり考えない。

父がこんな形で私を慰めてくれていたなんて。
生きていたころは父が煩わしくて泣いていたことのほうが多いのに。こんな形で私のところからいなくなったくせに、つらい時だけ正体を現して、私を散々泣かせるために戻ってくる。ずるいと思う。

どんな死に方をしても、父は私の中で生きていて、いまさら父親らしい役割をしている。どうせなら生身の身体でやってくれたらもっとよかったのに。

お父さん、いまどこに居ますか。

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