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私の壮絶なStay Home週間の始まり

『大切な人の命を守るため、Stay Home週間を25日から開始します。』小池都知事の記者会見を見ながら少し背筋に寒さを感じた日。

前兆

私は数週間前に残尿感、頻尿かな?と思いつつ、お茶や水分をたくさん摂れば治るでしょう…。と安易な考えを選択してしまった。そんな過去の私の安易な考えが後々とんでもないことになることも知らずに…。

看護師時代の粗療法と免疫力

私は元看護師。看護師を退いて4年になる。現役時代は鬼のような激務で、トイレに行く暇もない。そのため尿意があってもトイレを我慢してしまうことはザラにある。そのせいで膀胱炎になる看護師の数は多い。軽い膀胱炎なら、利尿作用のあるお茶を多めに飲んで、きちんとトイレに行けばすぐ治る。粋のいい先輩なんかはビールで治すとも言っていたほど。

病院にはいろんな菌が漂っている。一言で風邪と言うけれど、風邪のウイルスも様々で病院にはたくさんのウイルスが混在している。医療者はウイルスと共存していると言っても過言ではないと思う。私はおかげと免疫力がつき、滅多に風邪をひかない体質になった。

自己流の早期治療

しかしながら、私も数年に1回ほど風邪をひく。私は病院や薬が嫌いなので、出来るだけ自己治癒したい派である。風邪をひいたら激辛を食べたり、長風呂に浸かったりして、汗をかきウイルスを外に出す。あとはよく寝れば次の日には治っていることがほとんどだった。これを自己流の早期治療対策と考えている。実際、知り合いの医師も同じようなことをしている。

早期治療が大事。現役時代の私が患者さんによく言っていた言葉。私は風邪をひく前兆がなんとなく臭いで分かった。それを私は風邪の臭いと言っている。無症状だけど、ほんのり鼻から臭うウイルスの臭い。鼻水の臭いでもなく、何とも説明ができない臭い。その臭いがした時に自己流の早期治療対策をする。

悪寒

話を戻すと、今回は風邪の臭いがしなかった…。テレビを見ていて背筋に寒気が走った。なんだか嫌な気がした。就寝前だったので寝れば治ると思い、そのまま眠る。朝方、異常な寒気に襲われて目覚めた。すぐに悪寒であることに気付いた。

悪寒とは、発熱の初期に起きる、体がゾクゾクしたり、ガタガタ震えるような病的な寒け(さむけ)のことです。

悪寒にもレベルがあると思う。これは今まで私が悪寒を経験して感じた独自の悪寒レベル。

レベル1 : 背筋に寒気を感じる。
レベル2 : 肩がすくみ全身がプルプル震える。
レベル3 : 全身硬直し無意識に身体がガタガタと 震える。

今回、朝方に起きた悪寒はまさにレベル3だった。今までに経験したこともない悪寒だった。寒気を感じ布団の中で身体を丸くした時には全身がガタガタ震え、羽布団をかけていても震えが分かるほどだった。私は38℃くらいの熱では熱とも感じないくらいよく動けるが、今回は動けなかった。こんな時期でも休めない職業だった旦那に泣く泣く仕事を休んでもらった。

旦那への負担

旦那が職場に連絡を入れる。
会社 :   コロナ?
(多分職場の人の第一声だったのではないか?)
旦那 : まだわかりませんが、嫁は2週間以上外出していないのでコロナではないと思いますが…様子を見ます。落ち着くまではお休みさせてください。
とお願いしていた。私のせいで旦那がコロナウイルス疑いにされてしまう。と思い、旦那に申し訳ないと感じた。しかし旦那の会社にも、社内でコロナウイルスが感染していたかもと不安にさせてしまい申し訳なかった。双方の善を思いながら布団の中でうずくまった。

悪寒の繰り返し

悪寒は1時間にも及んだ。まるで本陣痛のようだった。全身硬直する震えがきては少し力が抜け、ホッとしたのも束の間、またすぐに全身硬直する震えがくる。陣痛であれば、めでたく子供が産まれるが、悪寒のあとは高熱だ。頭がボーッとし全身の疲労を感じながら体温を測る。体温計に出た数値。『40.6°C』おぉ…現役時代でも患者さんがこの数字を叩き出したことを見たことがなかった。こんな時期だし、原因がなんだか自分でもわからなかった。今思えばわからなかったのではなく、プチパニックに陥っていたのだと思う。コロナウイルスと言う言葉が頭に入っていたからだ。もし私が本当にコロナウイルスに感染していたら…。医療崩壊を起こす原因になりかねない。そんな思いが病院へ行く足を止めロキソニンの内服で様子を見てしまった。

私の病気は何?

ロキソニンを飲んで15分後、大量の汗が出た。大量の大量の汗が。汗で布団に人型ができた。体温も36.6°Cまで下がり、いつも通りの生活に…でも違和感を感じていた。症状が何もない。風邪症状特有の鼻水、咳、喉の痛み…何もない。仰向けになり、腹部を抑えても痛いところもなく、聴診器で呼吸音を聞いても悪いところがない。あえて言うなら、先日長男(体重18kg)を長い間抱っこして左腰を痛めたところがなんとなく痛いくらい。必死で旦那のためにも旦那の会社のためにもコロナウイルスに感染していないことを証明してあげたいと思い、何が原因か考えていた。そんな時また悪魔がやってきた。

悪魔の悪寒

一度経験したからすぐにわかった。…くる。すぐに掛け布団をかき集めた。解熱してわずか4時間足らずでまた2度目の悪寒。またしてもレベル3。初めての経験で本当にパニックに陥った。こんな症状を臨床で見たことがなかった。だから本当にコロナウイルスに感染したかもしれないと思い、余計に病院へ行けなくなった。

風邪の症状や37.5度以上の発熱が4日以上続く場合(解熱剤を飲み続けなければならないときを含みます)

この言葉が頭にあった。呼吸苦が出ない限り病院の選択肢は消していた。そのため最低4日間は家で様子を見ようとその時は思った。しかし、悪寒をなめてはいけなかった。1日に1時間の悪寒は3〜4回きた。ずっとレベル3だった。悪寒後の熱は必ず40℃を超えていた。ロキソニンを飲んで36.0℃代の平熱に。そんな上がったり下がったりする体温にどんどん体力を奪われた。しかもロキソニンの服用も何度もできない。なぜならロキソニンの薬はあまり使い過ぎると胃腸への負担が大きいからだ。
よく『空腹時に内服しないように』とか『いつもより少し多めのお水で内服してください』などと声をかけていた。
ましてやほとんどポカリスエットしか飲んでいない私。そう思い3日経った。

悪寒がくることの恐怖心

回を重ねるごとに悪寒がくるのが怖くなって、1人でいることも怖くなってきた。嫌でも悪寒がくれば全身に力が入る。あまりに悪寒が辛くて涙まで出てきた。全身疲労がひどく、携帯もほとんど見れなかった。唯一の気晴らしに音楽を耳障りにならない程度にかけていた。なんとなく聞こえてくる音楽の心地良さでいつも眠りについていたが、だんだん変わってきてしまう。微かに聞こえてくる音楽でさえ耳障りになり、眠りも浅くなって気づけば悪寒の前に起きてしまう。時計を見て、悪寒の来る時間を指折り数えてしまう。背筋を這う寒気が怖くて、背中に意識がいく。そしてまた始まる。

コロナウイルスではない

コロナウイルスと言う未知のウイルスを知らないから確信は持てなかったが、コロナウイルスの症状で悪寒を繰り返す症例を聞いたことがない。コロナウイルスではないかも。ようやく頭の中からコロナウイルスが消えてくれた。そこでもう一度自分自身を観察した。繰り返す悪寒。高熱。…それ以外…。

もし…長男を抱っこして痛めた左腰が、抱っこが原因でないとしたら…

腎盂腎炎かもしれない。悔しくて、なぜか嬉しくて泣けてきた。なぜならすぐに答えが出たから。でも答えよりも病院へ行ける。治療ができる、悪寒が終わる、その喜びのほうが大きかった。

ついに病院へ

家から7分ほどの病院への道のりがこんなに辛かったっけ?って思うくらい体力を奪われていた。
この時期の病院は空いていて、すぐに診察してもらえた。先生にも「コロナウイルスの可能性は症状からは低いね。」と言われた。私は繰り返す悪寒、左腰の痛みを訴えた。発熱時にはロキソニンをかなり内服してしまったことも合わせて伝えた。診察後、処方箋を持ちすぐに薬局へ向かい薬をもらう。
きちんと処方箋を見ればよかった。
処方箋の内容
・鼻水を止める薬
・解熱剤(カロナール)
・整腸剤
・アレルギー剤
風邪じゃないって…
看護師が「肺炎じゃないですか?」と投げかけたところで医師が「風邪」と言えば、結果肺炎だとしても診断を下すのは医師。処方箋をかけるのも医師。これは医師の善悪を言いたいのではなく、きちんと診断を下してもらうために、必ず自分の症状をメモ書きしておいたほうがいいということ。その場に行って自分の症状を正確に言うことは私も難しい。その場の雰囲気や先生のペースにつられて伝えたいことが伝わらない。なぜなら私が数週間前に残尿感、頻尿があったことを伝え忘れたからだ。自分の失態に涙が出てきた。
おまけに薬剤師さんには「PCR検査受けました?」と怪訝そうな顔つきで言われる。この処方箋の内容じゃコロナウイルスと疑われたって仕方ないけど…全く期待できない処方箋の内容を見て肩を落として帰る。

腎盂腎炎

先生には申し訳なかったが、解熱剤以外は内服せずに(自己判断は絶対ダメです)胃腸への負担を避け、解熱剤をロキソニンからカロナールへ変更した。カロナールは解熱効果が出ず、38.0℃代にしか下がらなかった。だから熱が下がった感覚もなく全身が常に熱いままだった。次の日、朝一でもう一度受診した。昨日の先生と違ったので同様のことを伝えた。そして前日伝え忘れた数週間前に残尿感、頻尿があったことを伝えた。すぐに「腎盂腎炎かもしれないね」と言って検査に取りかかってくれた。救われた気がした。

腎盂腎炎とは
膀胱から細菌が逆流することによって引き起こされる、腎盂および腎臓の感染症のことをいいます。 適切なタイミングで、適切な治療(抗生剤の投与、補液)を行わなければ、細菌が血液中に侵入し、いわゆる敗血症と呼ばれる生命をも脅かす状態になります。

検査結果
私のデータ WBC : 13000   CRP : 18.3

基準値 
WBC : 3,500~9,000/μL 
CRP : 陰性 定量 : 0.1mg/dL 以下

エコー上も問題ないとのことだが、十二指腸がロキソニンで傷ついたのか、エコーを十二指腸に当てながら「ロキソニンはもう飲まないでね」と忠告された。検査後すぐに抗生剤と栄養剤の点滴を開始した。

最悪のタイミング

点滴を刺す時に悪寒がきたのだ。全身がガタガタ震えはじめて、さらっとかけられたタオルケットだけでは到底悪寒に打ち勝てない。看護師さんに声をかけられるが、奥歯に力が入ってうまく話せない。大の大人が小さくうなずくことも上手にできない。情けなくて涙が溢れてきた。最悪のタイミングはこれだけではない。悪寒は抹消血管を細くしてしまう。さらに私は数日間の高熱で脱水症状もある。その場合、点滴の針が入りづらくなる。さらにさらにガタガタ震えた手。私が看護師でも極力避けたい患者だと思う。4度目にようやく入った。看護師さんに感謝の気持ちでいっぱいだけど、悪寒がひどすぎて『ありがとう』が伝えられなかった。

美味しいお粥

点滴も終わり、抗菌薬も処方され内服した。これで良くなると思うとホッとした。家に帰り、久しぶりに少し子供たちと話をした。寂しい思いをさせたと、できるだけ子供たちといた。不眠と疲労が重なり少し休みに布団に戻る。その瞬間、また悪寒がきた。まだ直ぐには効かないのか…と思いながら悪寒に耐えそのまま眠りについた。気がつくと夕方になっていた。いつもなら3〜4時間おきに悪寒がきていたのに6時間も眠っていた。久しぶりに小腹が空いた。旦那にお粥を作ってもらった。白いお粥に佃煮海苔が添えてあった。この5日で私の舌は地図状舌になっていたため、何を食べても雑味を感じていた。だけどすごく美味しかった。きっと「病気に負けるなよ」と旦那が言って渡したお粥だったからかもしれない。大袈裟かもしれないけど、今回の病気で初めて『死』をよぎった。4日間、腎盂腎炎を放置したことで敗血症になる可能性もあったから。旦那には万が一の為に救急車の電話での対応。子供の預け先の話。もし夜間起きたら私が呼吸しているかの確認をお願いした。この話は旦那にしか話せなかった。実家にこんな話をしたら大パニックを起こすから。この話をしていたから、余計に旦那の言葉が響いてきた。

手遅れじゃないはず!絶対治す!

その晩も悪寒は続いた。

通院

点滴と内服を併用し治療が継続された。医療はすごい。悪寒はあるもののレベル2、レベル1と弱くなっていくのがわかった。間隔も徐々に開いていった。6日間40℃超えの熱が続き、そのうちの5日間はほぼ40℃超えの身体だった。自分でも驚くほどタフな身体だと思う。7日目には熱もおさまったと同時に全身の筋肉痛に気づく。原因は間違いなく悪寒だろう。明日、最後の点滴となる。まだまだ内服治療は続くけど完治するまで気を抜かないようにしたい。

おわりに

だらだらと経過を書きました。私にとって今回の経験は初めて『死』がよぎり、心身ボロボロになりました。40℃超えが続いた5日目あたりから、本当に治るかな?手遅れじゃないか?と不安で下ばかりむいてしまいました。旦那に励まされ、また上を向くことができました。私ではうまくまとめれないので、yoshikiさんのお言葉を引用させていただきます。

暗闇は暗ければ暗いほど小さな光だって輝いて見える。今まで気づかなかった小さなことが、当たり前のようにあった日常が実はすごく大切だったんだな、自分にとってどれだけすばらしい人が周りにいたんだ、素晴らしいことが周りにあったんだろうと、とても考えさせられます

長々と私のことを読んでいただきありがとうございました。


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