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静岡県掛川市の出身です。6年間公立病院の看護師として勤務、その後幼い頃から好きだった絵…

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静岡県掛川市の出身です。6年間公立病院の看護師として勤務、その後幼い頃から好きだった絵とデザインの勉強をするため上京しました。都内で看護師勤務を続けながらデザイン学校に通い卒業しました。結婚を機に看護職を退職し、現在は二児の母で子育て奮闘中です。

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  • 日記

最近の記事

SNSから離れてみた。

私がスマホに変えたのは2011年。iPhone 4Sを初めて手にした。持ち運べるパソコンの感覚はすごく、すぐにスマホにのめり込む。当時はApple製品で埋め尽くされ、スマホを片手に駆使していた。 SNSの時代になって、誰が誰だかわからない時代になって、そんな中で世界が広がって…良くも悪くも進化が加速していったもんだから、常識も変わってきた。そして今現在ウイルスによって、生き方までも変わってきた。 私はイベント開催に向けてこの1年間走り続けてきた。やり方もわからず、訳もわか

    • 私の壮絶なStay Home週間の始まり

      『大切な人の命を守るため、Stay Home週間を25日から開始します。』小池都知事の記者会見を見ながら少し背筋に寒さを感じた日。 前兆私は数週間前に残尿感、頻尿かな?と思いつつ、お茶や水分をたくさん摂れば治るでしょう…。と安易な考えを選択してしまった。そんな過去の私の安易な考えが後々とんでもないことになることも知らずに…。 看護師時代の粗療法と免疫力私は元看護師。看護師を退いて4年になる。現役時代は鬼のような激務で、トイレに行く暇もない。そのため尿意があってもトイレを我

      • 又聞きを信じない。自分の目で確かめる。

        こんなときだからこそ、深呼吸してほしい。 ようやく暖かい風が吹いてきて、春だなぁ〜と季節の変わり目を身体で感じながらも、世の中のニュースを見て下を向いている人が多い気がする。 私の周りでも、本当なの?と思うようなデマが飛び交っている。いつもなら心に余裕があるから、笑って「はいはい。」なんて返せるかもしれないけど、疑心暗鬼になってしまう。 都内在住の人をウイルス呼ばわりしたり、少し咳をしただけで白い目を向けたり…。 きちんとした情報を自分自身で判断してほしい。又聞きを信

        • 部活の思い出

          noteのお題を見たせいか、部活の思い出が蘇ってきました。少しだけ…思い出話を。 世間では『部活』と呼ばれる活動は中高校生の6年間だと思います。その中でも私の特に印象に残っていた出来事を振り返ります。 私の経歴。私はバレーボールを小学3年生から始め、高校まで続けました。本当に学生時代はバレーボールに注いだと言っても過言ではないくらい、バレーボールに明け暮れた日々を過ごしていました。小中高と主将を務め、小中学では大きな成績は残せませんでしたが、高校では東海大会出場し県内ベス

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          5本

        記事

          私が一番難しいと思うこと

          私が一番難しいと思うことそれは『自分に素直でいること』。これって簡単のようですごく難しいです。素直という言葉を調べたら… 『ひがんだ所がなく、人に逆らわないこと。心が純真さを失っていないこと。』 と出てきました。これを自分勝手に解釈すると、直感のままに動きたい。本能に従いたい。と思うのです。もちろん、人間関係、環境、時間などから殆ど叶わないのかもしれないけれど、なるべく自分にひがまず、自分に逆らわず、自分を信じてあげたい。そうすることで、自分に嘘をつかず生きていけるのでは

          私が一番難しいと思うこと

          プペルバスに出会って

          ​ プペルバスとの出会い2019年5月でした。西野亮廣さんのオンラインサロンに入ってまだ間もない頃です。 未だにどうやってプペルバスを知ったか覚えていませんが、Facebookで知った気がします。とにかく衝撃的な出会いでした。クラウドファンディングと言う言葉は知っていましたが、支援したことは一度もありませんでしたから。 この画面を見て直ぐ様、旦那さんに懇願しました。 『30万円貸してください。必ず返す!』 今でも覚えています。子供たちをお風呂に入れてくれていた旦那さん

          プペルバスに出会って

          秘密の宝箱から出てきた3年手帳

          私が上京する時にいただいた『3年手帳』。 正直言うと、1年足らずで辞めてしまいました。ごめんなさい。 と、言うのも私の姉が日記をつけていて、ある時日記の話をしたら「私が何かあったとき、まず最初に日記を捨てて。」と言われました。 一体、何が書いてあるんだ!笑笑そこから膨らむ妄想は止まることはなく、私もつけていた日記を読み返すと言う作業にまで発展しました。 うん…今すぐ捨てよう。すぐに捨てようと決心しましたが、急に人に見られるのが怖くなりなかなか捨てれません。数百ページを

          秘密の宝箱から出てきた3年手帳

          なんでも屋

          看護師になり整形外科、内科、小児科を経験させていただき、一番長かった外科には7年勤めました。かれこれ現場から数年離れていますが、私の知る限り医療におけるなんでも屋さんは『看護師』なのではないかと思います。 私の働いていた病院は公立病院、診療所など大小様々でしたが、病棟で入院している患者さんが対象でした。 医療行為の処置はもちろん… 介護 連絡、伝達 リハビリ 相談 死後の処置 書類作成 研究    …などなど。 細かく言ったら、キリがないのですが… ほぼほぼ全部。 もち

          なんでも屋

          雛祭り

          私が生まれてから今まで、3月3日に家に雛壇が飾られていることは今まで一度もありませんでした。知っているのは、祖父母の家の押し入れにぐちゃぐちゃになって供養されていない雛人形たち。 昭和57年におきた洪水は記録的な雨量を観測しており、掛川市内の逆川の堤防の決壊や溢水により大災害となりました。 その時に長女が買ってもらった雛人形たちは流されてしまったとだけ聞いていました。確かに祖父母の家は床上浸水の被害に遭われた形跡が痛々しく残っていました。 家の中の柱には洪水被害でできた水

          雛祭り

          姫子さんからの電話

          姫子さん(仮名)から数ヶ月の電話がありました。 姫子さんとの出会いはかれこれ5年前。 私は友人との待ち合わせまでに時間があったので、立ち飲み居酒屋に寄りました。一人で黒はんぺんを食べていた時に、相席で呑んでいた女性がいました。背は155cmくらいかな?スラッとしていて、肩にかかるくらいの栗色の髪の毛で肌が白く清潔感のある女性が姫子さん。 どちらが先にいたかは覚えてないけど、姫子さんが声をかけてくれました。 『あなた嫌いじゃない。笑笑』…『は?笑笑』 姫子さんは酔っ払って

          姫子さんからの電話

          いくつかの決断

          私が半ば衝動的に買ってしまった主催権利。 プペルバスに乗ってやってくる『えんとつまちのプペル〜光る絵本展〜』 私がやる!と今回のプロジェクトでの初めて決断。 西野亮廣さんのオンラインサロンに入っているとなぜか白い目で見る人もいる。鼻で笑う人もいる。信者と言う人もいる。 人って面白い。笑笑 大抵は西野亮廣さんに会ったことがない人、ネットで情報だけを得た人などなど架空の西野亮廣さんを判断していると思いました。 そもそも私は西野亮廣さんを知りません。しかも又聞きなどを信用したこ

          いくつかの決断

          私と友人と友人たち

          学生時代、アイデンティティに苦しみました。自分は何者で何がしたくてこんな毎日を過ごしているのか。バレーボールに必死になっている傍ら、毎日考えていました。 アイデンティティの確立は成長する過程でとても大切なことだと理解するまで、自分探しは続きました。 毎日、寝る前に一日を振り返り自分の行動を改めました。それはいいこと悪いことではなく、自分に正直であるかどうかです。 私の父は大切なことを言葉にしていくつも私に教えてくれました。『なによりも友達を大切にしろ。助けてくれるのは家族

          私と友人と友人たち

          私の好きな美術館

          美術に触れてる時間は自分と向き合う時間でもあり、私が生きていく上で必要な時間です。 何故だか私は昔から男性誌を読み漁っていました。今考えると、女性誌の内容よりも男性誌の嗜好性のあるところが好きだったのかもしれません。ファッションも女性の流行りについていけず、着る服は自分の好きな服だったので、女性誌には興味が湧かなかったのかもしれません。 男性嗜好系のライフスタイル雑誌は特に好きで購入していました。建築、絵画、時計やカメラ…詳しく書いてあり、読んでいて楽しかったです。 特

          私の好きな美術館

          待ってたよ。

          上京シリーズになってしまいますが…笑 上京して初めての友人は男性でした。 私は間違いなく 異性間であっても友情はあると、思っています! 賛否両論ありますが、否の意見は全く耳に入りませんので…。笑笑 話を戻すと…。 その彼とは常にアニメ、音楽、アート、妄想…の話でした。そんな話をずっとしていました。時には一緒にアニメを見通し、音楽フェスに行き、朝方まで語り合いました。 私は人の恋愛話に興味があまりなく、いわゆる女子トークは苦手でした。 だから楽しくて仕方ありませんでし

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          上京して就活

          働きながら勉強する。 そのために上京しました。 よく言う右も左もわからない。どこがどこだかわからない。電車の乗り方も切符の買い方もわからない。 今思えば、よく上京したなと思います。笑 就活。 学生時代にきちんと履歴書の書き方を勉強しておけば良かったと後悔しました。先生に言われるがままに書いた履歴書の書き方も忘れ、写真を私服で撮影するという大恥をかきました。 看護師をしていた私は都内の病院を紹介してくれる仲介会社に連絡をとり、勧められたクリニックに面接に行きました。 そ

          上京して就活

          人間はわがままな生き物

          人が大好きで大嫌いな私は、極力動物のように本能的に生きたいと思っています。笑 が、人間の世界ではなかなかそうはいかないなぁと感じています。 子供のように好き勝手に生きたいと思ってしまうのは大人になってしまった証拠でしょうか? 私は幼少期の頃の思い出が深く残っています。 小学1年生が終わるとき《あとこんな毎日が5年も続くのか…》とため息混じりに下校した日のことを今でも覚えています。 中学、高校は3年間の我慢で終わるのに小学生は6年か…。と、小学1年のときから早く大人になりた

          人間はわがままな生き物