見出し画像

面影の街|140字連作小説

夏のある時期にだけ、この街には透き通った《面影》たちがやってくる――。
作家の「私」がたどる、ひと夏の邂逅。

2024年の#文披31題まとめ。
一話140字の連作小説です。

1.夕涼み
「俺たちは昔から《面影》って呼んでる。化け物呼ばわりするのもたまにいるけど」そう言って彼が指差した木陰には、夕涼みでもするように人が集まってきていた。どの人も薄黄色の日差しに体が透けて、物静かにゆれている。「《面影》の小説を書こうなんて変わってんね、先生?」冗談めかして彼が笑う。

2.喫茶店
《面影》にも集まりやすい場所があるのだという。先ほどの木陰や、公園のベンチ、または今いる喫茶店のような。何故なのかと彼に問えば「落ち着くから?」とのこと。隅の席に座る《面影》に寄ろうとして彼に咎められる。「突然話しかけるの普通に失礼だから」手付かずの珈琲の向こうに、彼の冷めた目。

3.飛ぶ
この時期のこの街には立入規制がかかるため、どこへ行っても驚くほど静かだ。《面影》たちは基本的には無口だし、住民もどこか息を潜めていて、空を飛ぶ鳥の声ばかりがやたらと響く。「鳥の《面影》はどうしていないんだろう」「忙しいんじゃないの」彼の気のない返事が気に入って、手帳に書き留める。

4.アクアリウム
夏の一定期間にだけ《面影》が現れるこの街は、特別環境保護区に指定されている。訪れるのは学者や、私のように滞在許可を得た人間だけだ。ゆらめく《面影》たちに囲まれていると、丁寧に整えられたアクアリウムに放たれて誰かに観察されているような気分になる。美しくて不可思議な、研究対象として。

5.琥珀糖
よく見ると《面影》にも種類がある。大体は陽炎のように半透明だが、中にはもっと実体を感じさせるものもいるのだ。透き通っているけれど、色がつき、儚いけれど確かな……琥珀糖のようだ、という表現を思いつき、これも手帳に記す。立ち止まっては書き物をする私を見つめる彼の瞳も、透き通っている。

6.呼吸
《面影》は寡黙な存在だが、実は波長の合う人間相手にはよく喋る。《面影》の親類縁者や友人とは波長の会うケースが多いらしい。思考し、会話し、呼吸さえもする。彼らと私たちを隔てるものは一体何なのだろう。度々思案しては足を止める私を、彼が面倒そうに促す。雨が降りだす前に宿に辿り着きたい。

7.ラブレター
郵便ポストの前に、手紙をたずさえた《面影》が立ち尽くしていた。投函しようとしては、ためらって手を引っ込める。「ラブレターかな?」好奇心を露わにする私を彼が軽蔑した目で見たので、渋々通り過ぎる。投函されたら手紙はどうなるのだろう。手紙の《面影》は、伝えたい誰かの元へ届くのだろうか。

8.雷雨
宿に着く前に、突然の雷雨に見舞われた。慌てふためく私を他所に、彼は平然としている。もたもたしてるからだ、と雨なんて気にせずに笑って、もう少しだから頑張れよ先生、と走り出す。なんだか昔もこんなことがあったな、と思いながら私も鞄を懐に抱えて後を追う。《面影》の姿は雨に紛れて透き通る。

9.ぱちぱち
宿にしている民泊に辿り着き、ほっと息をつく。大分濡れたが鞄の中の仕事道具は無事のようだ。上がっていくかと彼に問うと、ぱちぱちと瞬きをして「お構いなく」と言った。その瞬きの様子に既視感を覚え、不思議なものだと思う。彼と私は知り合いではあるが、さして親しい間柄でもなかったはずなのに。

10.散った
民泊として提供されているアパートは、この時期は学者や私のような旅行者で満室なのだろう。薄い壁の向こうからはわずかに人の気配がする。ベッドに倒れ込み、かすむ思考をかき集める。静かな街並、ゆらぐ《面影》、同行人の彼。かつてこの街で暮らしていた私のこと。記憶は眠気とともに散っていった。

11.錬金術
《面影》とは、心霊現象でも、幻でも、失われた命を創造する錬金術でもない。無数に存在する《異なる世界線》がこの街のこの時期にだけ混線して可視化する、という並行世界説が有力だ。けれど私のような人間は、あれは人の魂ではないのか、という望みを捨てきれない。そこに何か、意味を、見つけたい。

12.チョコミント
合わないようで意外と合う組み合わせ、というものがある。チョコミントみたいな。「俺チョコミント嫌い」翌日公園で落ち合った彼に即答され、私は少し傷つく。何かとペースの合わない彼と私でも上手くやれる、という思いで出した例えだったのだけれど。「今日は学校行くんだっけ?」やっぱり合わない。

13.定規
彼と訪れた廃校にも《面影》が幾人かいた。私とは波長が合わないのか声は聞こえないけれど。机に残された定規や黄ばんだカーテンをいちいち触って確かめる私を「先生、そういうのも小説のネタになんの?」と彼が茶化す。彼に『先生』と呼ばれるのは妙な気分だ。彼と私は、この学校の同級生だったのに。

14.さやかな
彼とこの街で再会したのは偶然だった。売れない作家という袋小路に嵌った私が、縋る思いで手に入れたこの街の滞在許可証。訪れたはいいものの当ても無く夜歩きする私の前に、彼は現れたのだ。さやかな月光に透けた彼の姿に天啓を感じ、街歩きの同行を願った。偶然を導きに仕立てたのは私の浅ましさだ。

15.岬
岬に立ち、水平線を見渡す。海と山に囲まれたこの街は緩く外界と隔絶している。《面影》は街の境界を越えて外に現れることはない。層が違うのだ、とは学者の見解。「昔、泳いで向こう岸に行こうとした《面影》がいたんだって」と遠い目をして彼が言う。その《面影》は何を思って波間に消えたのだろう。

16.窓越しの
また喫茶店に来ている。静かで書き物が捗る。窓越しの景色に目をやると、歩いてくる彼と目が合った。硝子一枚を隔てて笑う顔は昔と変わらない。変わらない、と思ったことを書き留める。メモは手書きの方がいい。書いた方が記憶に残る気がするから。私は気づかぬままに、忘れて生きていけてしまうから。

17.半年
私は幼い頃に母を亡くし、一時期この街に住む祖母の家に預けられていた。たぶん半年程しかいなかったはずだ。音信不通だった実父が現れ、私は言われるがままに引き取られた。ろくな記憶ではないが、そのたった半年の縁のおかげで私にもこの街への滞在許可が下りたのだから、禍福とはわからないものだ。

18.蚊取り線香
住宅地を歩いていると、どこからか蚊取り線香の懐かしい匂いが漂ってきた。道の少し先では一人の《面影》が私と同じように匂いの来る方向を探していて、顔形がわからないほど透き通って見えたが静かに微笑んでいるようだった。異なる世界線に放り込まれた《面影》が、何かの懐かしい面影を探している。

19.トマト
枯れた畑があった。老婆の《面影》が土いじりをしていた。老婆の横で家族らしき男性が泣き笑いの顔をしていた。老婆が男性に何かを差し出し、男性が渡されたそれに囓りついた。「母ちゃんのトマト、また食えるなんてな」彼らの間にはトマトの《面影》が存在するようだ。夏暮れに滲む彼らの世界線には。

20.摩天楼
娯楽の少ないこの街で夜な夜な若者がたむろする場所なんて、駅前かコンビニくらいしかなかった。街の名前を冠した展望台が駅を見下ろし、煤けた摩天楼は見る者にある種のノスタルジーを抱かせる。そんな駅前に集う《面影》たちは薄く、やけに人間的だ。夏の曇った夜景から、展望台の灯りが神秘を奪う。

21.自由研究
「毎年いたよな、《面影》で自由研究するやつ」彼は笑うが、私はあいにく夏休みが終わる前に引っ越したのでよくわからない。子どもの研究とて侮れず、《面影》についての定説は地元住民の観察の結果得られたものも多かったはずだ。《面影》として現れる条件は、この街での居住経験ともうひとつ、とか。

22.雨女
「雨の日だけ会える《面影》がいてさ、ガキの頃自由研究でインタビューしたことある」君は意外と定番を外さないタイプだったんだな、と思いながら彼の話を促す。「波長が合ったのか結構話せて、雨女なんですかーとか変なこと聞いたら言われたよ。こっちの世界線では私、雨の日に死んだらしいの、って」

23.ストロー
すっかり気に入ってしまった喫茶店でクリームソーダを味わいながら書き物をしていると、彼がやってきて向かいに座った。「なんか常連みてえ」「そうだね」「俺の世界線だとこの店もうないんだよ。一度くらい行っときゃよかったな。《面影》じゃ何も飲めないし」私は言葉が見つからず、ストローを噛む。

24.朝凪
朝凪の岬に立つ。風が入れ替わるこの瞬間のように、街は此岸と彼岸の境目にある。彼はすでにこの世の者ではない。少なくともこの世界線に今生きる人間が《面影》として観測された事例はない。私がこの街にいた頃、彼とはほとんど関わりもせず、私は街から去り、彼は死んだ。喫茶店で語らうこともなく。

25.カラカラ
《面影》として存在するのはどんな感じか尋ねると、彼は普段と変わらぬ調子で「はっきりした夢の中みたいだよ」と答えた。私はメモを取るふりをして彼の横顔から目をそらす。淡い面影に勝手な感傷を重ねて、カラカラに乾いた心に何がしかの思いを満たしてしまおうなんて、自分の浅ましさに目眩がする。

26.深夜二時
深夜二時、夜明けを待つ。この街にいられるのもあと六日。《面影》の小説を書くための取材という表向きの理由は、あまり達成されていない。こちらの世界線で死んだ彼があちらの世界線では生きている。それは有り得たかもしれない未来。取り戻せない可能性の面影だ。分岐し続ける明日がまたやってくる。

27.鉱物
珍しく彼の方から呼び出され、連れて行かれたのは土産物屋だった。店先に並ぶのは、山で採れる鉱物標本と、海の貝殻標本、日記帳、絵葉書、ボトルシップ……時をとどめるようなものばかりだ。「俺の方のあんたはずっとこの街にいて、なんか石とかちまちま集めるのが好きだったよ。あんたは違うのかな」

28.ヘッドフォン
わずかな夏の記憶だ。こちらの彼が生きていた頃の、私がこの街にいた頃の。一学期最終日の下校時、昇降口ですれ違った彼がつけていたヘッドフォンから聞こえたメロディ。気になって、けれど接点のない彼に聞けるはずもなく。《面影》の彼に聞いたとて知らないだろう。答えは失われて、もうかえらない。

29.焦がす
身を焦がすような強い衝動とは無縁のまま生きてきた。大きな悲哀も知らず。それなのに今込み上げるこの焦燥は何なのか、正体もわからぬまま手帳に言葉を書きつける。「紙に書いた方が記憶に残るんだっけ?」と彼が言う。私の信条を彼に教えたことはあっただろうか。それとも、あちらの私が言ったのか。

30.色相
七月が終わる。《面影》の季節が終わる。街の《面影》たちも随分色が薄くなった。彼も景色の色相から外れてしまって、まるで人型の陽炎のようだ。「ま、結構楽しかったよ」彼が笑う。「……こういう世界線もあったんだな」懐かしむような、悼むような目。そうか、彼にとっては私の方こそが過去なのだ。

31.またね
どこかの世界線に彼らはいる。取り戻せなくても。それは救いになるだろうか?「また会うこともあるだろ。あんたがこっちの《面影》になるかも知れないし」じゃ、と手を振ることもなく彼は消えた。またねが最後になるなんて有り得ないみたいに。私は祈るように呟く。逢おう、またいつか《面影》の街で。


素敵な企画をありがとうございました!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?