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変化する”子どもの学び”をどう家庭でサポートしていく?①:学びの変化の渦にいた日々と退職後のサポート活動

1 目の当たりにした変化

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「これは大変な事になる!」昨年一斉休校中に学校での授業のオンライン化が推奨され、実際にオンライン授業を体験出来る研修に初めて参加した時に受けた衝撃は忘れる事が出来ません。

まず、今では一般的になったgoogle classroomを紹介してもらい入室の仕方を習い、そのネット上の教室で体験をしたのが次のプラットホームやソフトウエアを使った授業です。

当時初めて知ったgoogle classroom。


ネットの教室内の授業で体験したクイズ形式で楽しく学べるプラットホーム。

教育向け動画ツール。


その場の参加者との相互のやり取りがすぐ出来るソフトウェア


その研修の時は模擬授業について行くだけで精一杯で、うまく操作が出来ない自分のふがいなさを痛感し本当に落ち込みました。

さらに、あまりにも斬新なテクノロジーを使った授業に度肝を抜かれ自分がそれまでやって来たアナログな授業スタイルがもう時代遅れだと“戦力外通知”を言い渡された気持ちになった事も覚えています。

でも逆に、そこで体験出来た学びのためのツールは学校再開後に何をどうしたらいいか思い悩んでいた私には一筋の光にもなりました。

調理実習が出来なくてもflip glidを使えば「生徒達が自宅で調理する動画をシェアする事が出来るかしれない!」kahootを使えば「栄養などの知識をクイズ形式で楽しく学べるに違いない!」mintimeterを使えば「生徒達の意見を集約出来る!」等ツールを取り入れた授業のアイデアは次々に浮かびます。

問題は機械音痴の自分がパソコンやタブレット等を操作して使いこなす姿がどうしても想像出来なかった事です。

しかも家庭科の受け持っていたのは超進学校の男子校。理系の子が多く情報の知識が豊富で最新の機器を使いこなす子も多数いました。
その状況の中で情報関係にはど素人の自分が1学年200人を越える生徒達を相手にツールを取り入れ授業をスムーズに進める事は至難の業だと思ってしまったのです。それほど、その時に体験したオンラインでの授業は私にとって革新的ですごい内容でした。

2 学校現場での葛藤

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そして、当時の私を悩ませたのは学校の動きが分からなかった事でした。

非常勤講師だった私は職員会議に参加する事も出来ず、他の先生方がどのようにオンラインに向けての準備をしているのかも分からず、家庭科の担当は一人だったので相談する相手もなく手探り状態でやっていくしかありませんでした。

今考えると自分から連絡を取れば学校や他の先生方の状況を知る事が出来たのだと思うのですが、講師の分際でどこまで関わればいいのか分からず、結局一人で考えネットなどで出来る事を探しやって行く事にしたのです。

まずは調理動画の作成です。中学生と高校生の両方を受け持っていましたが、調理に関われる時間と進学したばかりなのに登校出来ない状態でいる大変さを考えて中学生向けの動画に力を入れる事にしました。
その内の一部を作り変えた動画をまとめた記事が下記のモノです。

さらに授業で使う予定のプリントを配布し、それをベースにパワーポイントでスライド資料を作りナレーションを録音してgoogle classroomで配信しました。

そして結局使いませんでしたが、google classroomでテストが出来るように
両方の学年の試験問題と解答例を作る頃にはパソコンの操作や新しいツールにもかなり慣れて来ていました。

3 変化に翻弄された日々

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学校再開後どうすればいいか悩み抜いたのは田舎で一人暮らしをしていた母の事でした。

コロナ感染が広がる中で田舎に帰省する事は難しくなり、更に学校に勤めている状態では自分は無自覚でも感染している可能性があり帰省はほぼ不可能になりました。

もし母に何かがあっても”帰省出来ない“というのは辛い状況でした。

そして再開後の学校で待っていたのは生徒達へのコロナ感染の恐怖との闘いでした。
家庭科は実習を伴う科目です。「調理は無理でも被服実習は取り入れたい」そう考え実施しましたが、どれだけ感染予防をしても安心は出来ず「生徒達に何かがあったらどうしよう」という不安は常につきまといました。

それは学びの場の安全性に関わるとても大きな変化でした。マスクを義務付け生徒達を監視しながらになりましたが、グループワークも出来るだけ取り入れたのですが、それも今となっては自己満足に過ぎなかったのかもしれないと感じています。
(下記の記事は実際の取り組みをまとめたものです。)


4 学びとの関係を変える決意

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コロナで一変した学校生活は感染防止が徹底されマスク授業や授業時間の短縮が当たり前になりました。

その中で学校再開前に、あれ程すごいツールを体験したにも関わらず私自身は従来通りの保守的な授業しか出来ませんでした。

いや少しは工夫出来た事もありましたが、自分が体験したような「これってすごい!」と感じるような事を取り入れる事は出来なかったのです。

知らなかったならまだしも「自分がその面白さを経験しているのに自身の技量不足で取り入れる事が出来ない」この事実は私を苦しめます。

そして田舎の母の事もあり「もう私の出番ではない」と学校を去る事を考え始めたのです。「新しい事を意欲的に取り入れてくれる先生に後をゆずろう! 老兵は去るのみ」と自分に言い聞かせ学校を辞めました。

それは寂しい事ではありましたが超進学校からの解放でもありました。家庭科の必要性をほとんど感じていない生徒達に向けて何とか興味を持ってもらおうと試行錯誤する日々にピリオドを打つ事が出来たからです。

では「学校を辞めてどうする?」子どもの学びには何かの形で関わりたいと思っていた私が当時考えていたのは次のような事でした。

・これほどの”学びの変化”は子供達にどんな影響を与えるのだろう?

・オンラインが進みリアルと並行して行われるようになった時、これまでの進学や受験の考え方はどうなるのだろう?

・その子供達の学びを家庭で支える親御さん達は学校現場で実際に起こっている事をどの位理解しているのだろう?

・せっかく一方通行の講義型授業から探究型学習やグループワークなどの子供達の主体性を大事にする取り組みが出来て来たのに、この状況で今までの流れはどうなるのだろう?

・学校という学びの場の役目はどう変わって行くのだろう?

・これまでは「子供の学びをどうするか」は他の同級生に合わせて同じようにしていれば良かったけど、これからはそうは行かなくなるのでは?

・多分一番大変なのは受験生の親御さんでは?特に子供を一番身近で支えているママは本当に大変な事になる!

そんな事を考え退職後は”受験生のママのサポート”をしようと決意し活動を始めました。
下記の記事は当時書いたものです。


5 見えて来た子どもの学びと未来

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受験生のママのサポートを実際に行い、それまで勤めていた学校以外の学びの場を知れば知るほど、自分が描いていたサポート活動に違和感を感じるようになりました。

それは、学校が多様化し学校で行われる学びへのアプローチが激変し、子ども達の学びの先にある未来のビジョンがこれまで考えていたものと全く違うものになっている事に気づいたからです。

当時その気付きから書いた記事が下記のものです。

そして退職後いろいろな活動をして来て、ようやく子ども達の未来のために何よりも力になりたかったママのために本当に役立つと思える事にリセットして活動を始めました。

それが「子どもの学びとママをつなぐサポート」です。

では「なぜママが“お子様の学び”とつながる必要があるか?」その答えとして私が考えている事は、次回の〈変化する“子どもの学び“を家庭でどうサポートする?②〉でお伝え出来ればと思います。

長文にお付き合いいただきありがとうございました。(終わり)