可哀想な子でもなく、強くもなく、ただ褒められたかった子。

これはわたしの人生記録です。
いつかわたしがわたしに寄り添えるように
記録しています。

最近わたしは、ある本を読んでから
自分が幼少期から心理的虐待を受けていたことに気付きました。

幼い頃から、母に甘えることが出来ませんでした。
甘えさせてもらえませんでした。

母は、それを自らの言葉で
甘えられるのが嫌いだから。
と言ったことがあります。

わたしの短所と長所を教えてほしい。
と母に尋ねても

「あなたは隠していることが多いと思うから
あなたのことは、何も分からない」
と返答されたこともありました。

妹が統合失調症になって、
「お姉ちゃんが病気になればよかったのに。」
「お姉ちゃんなんかいなくなればいいのに。」
と泣き叫んでも

両親が守ったのは妹だけでした。
その後、
妹からの暴力で何をするか
分からないから
あなただけ家庭内別居をして欲しい。
と両親から言われました。

何をするのも1人。
妹がリビングにいる間は、
1人で自室に籠る。
妹がリビングを離れれば、
私が1人でリビングに行き食事をしました。

それでも両親は、
いつも妹に付きっきりでした。

それが普通の家族だと思っていました。

殴られたり、蹴られたり
食事を与えられなかったことはありませんでした。

そして"心理的虐待"なんて言葉も
知りませんでした。
ただ両親のことが怖かった。
だから、自分の状況が分かりませんでした。

怖くて辛いことが、当たり前でした。


世間体の良い両親のことを
"怖い"と周りに話しても
あんなに優しいお母さんなのに?
と言われてきました。

人前で褒められることもなく
もちろん家庭内で褒められることもありませんでした。

いつもわたしが思っていたのは、

可哀想な子だと思われたくないこと。
強い子だと思われたくないこと。
ただ、両親に褒められたい。


それだけでした。

わたしのことを母の前で
褒めてくれる人はたくさんいました。
でも母は、全力で否定し続けました。
家に帰っても、
2人きりになっても
褒めてはもらえませんでした。

わたしは、
自分はできない子。
悪い子なんだ。

と思いました。

友だちに虐められても言えませんでした。
成績が良くても褒められませんでした。
誰かと比べるのは怒るのに
両親は、わたしのことだって
見てくれませんでした。

怒鳴り、泣き叫び続ける母の姿は
幼少期から繰り返されて
忘れることができません。

怒られている理由が分からなくても
母が落ち着くならと
何度も謝りました。

わたしの意見など
聞いてもらわなくてもいい。
幼少期から何度も諦めていました。

大人と呼ばれる歳になっても
母がヒステリックになって
わたしを泣きながら怒鳴ることは
多々ありました。

わたしが少し精神的に安定していると

「あなたの方が妹より
いつ死んでしまうか分からない状態だった。」
と母は今でもよく言います。

ならば

何故、助けてくれなかったの?

何度も思っても
言葉に出せないままで
逃げ出したい気持ちが増えました。

友達にも
「家に帰りたくない」と
毎日言い続けました。

わたしは結婚することで家族から逃げました。

それでも離婚してしまい、
ボロボロになって実家に戻った時も
両親と妹を見ていると

わたしだけ家族じゃない

という幼少期から思っていた感情は
変わりませんでした。

今でも思います。

褒められたかったです。
大好きだと言われたかったです。

両親に愛されたかった。
わたしも家族と呼べる人が欲しかった。

それでも
両親のことも妹のことも憎んでいません。

今でも
愛されたいと願っているだけ。

わたしは、
子供を育てる自信がありません。


20歳になる前から
子供を育てられないから
子供はいらない。
と周囲に伝えていました。

子供が好きなわたしでも
本当に愛してあげられる自信がありません。

だから一生、
自分に子供はいらない。
と決意しました。

それは今も変わりません。

子供のため、
わたし自身のために。


気にかけて下さり、ありがとうございます*⑅୨୧いつか自分で自分を救える人になります‪𓂃 𓈒𓏸໒꒱見ていてください❁⃘*.゚