見出し画像

おばあさん仮説:人類は親が子育てをしない動物?

オペレータJです。今日はJが昔大学で学んでいた人類学についてのお話です。

少子化の話題はいつも尽きない今日この頃。

よく「生物的には」とか「人間の本質的には」みたいな理論で若い人が結婚するとか男女分業制といった伝統的な形態でないと少子化は解消できないみたいな論調は多いかと思います。

しかし、本当の意味で人という生物は若い人が結婚して子供を育てて、男性が仕事に女性が家事にという形態だったのかというとそれは違いそうだというお話です。

この「生きものとしての人」が本来の習性として家族や子育てがどうだったのかという話には"おばあさん仮説"というものが知られています。

英語でもそのまま"Grandmother hypothesis"という冗談みたいな名前だったりするので、最初見たときは笑えてくるのですが、内容としては割とまっとうなお話です。

これは女性の閉経が他の動物(特に猿などの類人猿)に比して人間がとても早いことに注目したもので、もし生物的に数を増やすのであれば、もっと長く出産可能期間があってもおかしくはないのに、人間は若い時にしか出産できないという点が不自然だということから、高齢の女性(といっても生物的には30歳や40歳も入ってしまいますが)は子育てに従事することで社会維持が可能になっていると考えたものです。

ようするに、人間の子育ては子供が生まれた後はおばあちゃんがその子供の面倒を見ることによって成り立っていたのじゃないかという仮説なわけです。
実際、祖母が面倒を見ることによって子供の死亡率が減ることが歴史的に確認されているので、ある程度その論拠には信ぴょう性があると考えられています。

一方で、
1、父型の祖母と母型の祖母では子供の生存率が違う事、
2、男性の役割が歴史的に定量的に測れないことから、女性の役割だけで話を完結させてよいのか?
といった疑念もあり、注意が必要な話でもあるのでご留意ください。

この批判を簡単な言葉で書けば、ようは「おばあちゃんが子育てすると子供が長く生きるし、子供が増える傾向にある」という仮説だけど、
1、父型のおばあちゃんと母型のおばあちゃんで子供の生存率や増え方が違うのを見れば、必ずしも祖母の働きで増えると言い切るのはおかしいし、
2、男性の働き次第で子供が長く生きたり、増えたりすることが全く考慮されてないのはどうなのよ?歴史的に男性の働きぶりのデータが取れないのに言い切っていいの?
ということです。

まぁ実際、世界人口の急激な増加には医療技術の進歩や社会制度の発達が欠かせなかったので、おばあちゃんが子育てしていたから子供が増えて長生きになりましただのは言えないわけですしね。

ただ、人間が科学技術を発達させていく以前の先史時代の社会においては、恐らく子育てをする余裕は親にはほとんどなく、子供が生まれて生き延びるには祖母の助けというのはかなり重要な要素だったのではないかと考えられます。
なお男性の話が出てこないのは上記の単純にデータが取れないという点に加え、そもそも30-40代で先史時代の男性は大体死亡しているので、先史時代において男性が子育てをしている可能性は全くないわけではないですが、基本ほとんどは労働の中で疲弊して死亡していっていたと考えて良いかと思います。

このおばあさん仮説の考え方から導かれる「子供を増やす」という点、当然医療技術等が考慮されていないのでぜーんぜん現代に当てはめられるものじゃないのですが、あえて「生物的な人の子育て」という話をするのであれば、"そもそも忙しい親が子育てをすることはできなかった"ので"他の助けが必要だった"というのが「本来の人類」の姿、といえるというところでは参考になるとは思います。

伝統的には「男女の分業があった」のは確かです。
また、「主に女性が子育てをしていた」のも確かでしょう。
しかし、基本、余裕のある時代がほとんどない人類の歴史においては(人類の歴史の大半が先史時代です)、「親が子育てをする余裕なんかなかった」というのも同時に事実なのです。
そして、男性は基本ずっと労働して労働の中で死んでいったのは確かですが、「女性も若い時期は男性と同等の労働(狩りや採集)をしていた」というのもまた歴史的な事実ではあります。生活に余裕がないなら働ける人が働くしかないのですから。

こう考えていくと、
・男女である程度の分業はあるかもしれないが、基本ほとんどの労働は若い男女両方で行わなければならない
・親が子育てをするのは無理であるので、子育ては余裕のある高齢世代ないし一般的な重労働に適さない人々が行う
というのが結局現代になっても現実に取れる選択肢でしかないということが見えてきます。

なので、
・「伝統的に男女の分業があったから」といって「今の職場を高度成長期的な男性社会にしよう」とか、
・「伝統的に若い女性に家事と育児だった」といって「今も同じように家でずっと子育てをしてもらおう」なんていうのは、
どちらも人類の長い歴史から見れば、一時的な高度成長期の余裕期に確立できた異常事態にしようというだけで、現実からはかなり離れていると思われます。

ところが、現代の「労働」というのは中々に難しいもので、狩りや人の手で農作業をするのに比べて、大部分の仕事はホワイトカラーとなっており、必ずしも子育てに比して重労働であるとも言い切れなかったりします。

とすると、「高齢の余裕のある層」(繰り返しますが30-40代を超えたら生物的には高齢です)や「重労働に適さない層」というのと完全な切り分けが難しく、ここをどう割り振っていくのか、というのが安定的に子供を増やし育てるうえでの解決に繋がっていくのではないでしょうか。

残念ながら、先史/古代を調べる人類学では"人類の基本的な労働の考え方"については話すことができても、その辺りの「現代的な仕事を割り振る」という点には全く言及できないので、それこそ現代の労働を改めて整理し、考える専門家が研究する課題なのではないかと思います。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?